Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の褒美ならざる褒美

2013年01月16日 23時00分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 本日アップした、ベトナムの印象(その4)。あまりにその出来が悪いのでご褒美は無しと思ったが、気分をあらためることを目的に冷蔵庫にしまっていたご褒美を出してきた。理由は何とでもなる。
 福岡県うきは市浮羽町の「礒乃澤」。純米吟醸のうすにごりとなっている。つまみは友人からもらった蟹入りの松前漬け。そして急遽もらった豚の耳。豚の耳は日本酒よりは焼酎のほうが合うなぁと思いつつ、食べ終わってしまった。しかし松前漬け、久しぶりにおいしくいただいた。幸せである。この4合瓶がなくなったら今度は焼酎を買いに行こうと思う。
 ベトナムの印象(その4)はあまりに不出来なので、もう一度書き直したいが、そのエネルギーは今のところ残っていないm(__)m
 読むに耐えないと思われた方は、そのまま無視をしていただくとうれしいです。

ベトナムの印象(その4)

2013年01月16日 21時48分21秒 | 山行・旅行・散策
 ベトナムに行って街を巡りながら、私なりにいろいろ思ったことをももとまりはないが思いつくまま書いてみる。

 まず私は旅行に行くとそこの博物館や美術館をまず訪れてみる。国内旅行でもその自治体や地域で管理している博物館を訪れて、その地域の歴史や成り立ちの概観を見る。事前の調査どおりの場合もあるが、その地域独特の雰囲気も肌で感ずることがある。
 今回も博物館や美術館をたくさん訪れたが、国立の博物館・美術館のどこもが古い建物の中で、博物館としてこんな仕方でいいのかなという
展示ばかりが目に付いた。
 ベトナム戦争からの復興、しかし都市基盤整備もまだまだという段階で博物館・美術館まで予算が回らないのは理解できなくもないが、それでも国家を形作るアイデンティティとしても重要なものではなかろうかと思うのだが‥。また遺跡の発掘や発掘品の収集展示にも手が回っていないようだった。
 美術館というものもベトナムという地域の文化がどのように現在発信されているのかを見る重要なものであると思っている。確かに「社会主義」国家の国立の美術館に収まるような美術は、評価が定まったり、国家による評価を経ないといけないのかもしれないが。それでも1975年以降の新しい美術の萌芽くらいは感じられるかもしれないと思ったのは間違いだったろうか。ちょっとさびしい見学であった。かえって日系の資本のホテルなどに目をひく現代美術作品などが飾ってあり、これからが新しい文化が発信されるのかなという感想をもった。これだけの人口を持ち、これだけの経済活動のある社会である。人々を感動させる文化が私の目に触れないところで開花しているはずである。それが見たかった。

 博物館・美術館のさらなる充実はこれからのベトナムにとって重要課題と思うがいかがだろうか。

 ドイモイ政策の成果なのかどうかはわからないものの、街は市場に限らず小さな商店に商品があふれるようにたくさん出回っている。日用品全般にわたり豊富であると感じた。
 しかしそれが活発に流通し、回転しているのかはわからない。私の見た限り、山のような商品に囲まれてじっと店番をしている人々もかなりの数にのぼっていたように思う。
 人の往来は極めて活発だ。現地のガイドさんに言わせると、「ベトナム人は会社勤めや工場勤務など時間に縛られるのを嫌うので、勤めより店を出したがる」「オートバイは朝早くから夜遅くまで走り回っているが何を目的に走り回っているかベトナム人自身も不明なところが多い」という言葉がとても気になっている。
 活発な人の動きが経済活動へどのように寄与しているのか、計り知れないものがあるように感じた。

 もうひとつ気がついたことがある。ハノイでもホーチミンでも、ガイドの案内コースには、ベトナム戦争に関係のあるホーチミン廟・戦争証跡博物館・統一会堂を除いて、政府関係・党関係の施設について語りたがらなかった。聞いても無視されたり、曖昧な答えがかえってきたりしたことが印象に残っている。
 どうも現在のベトナムを支配する党や政府とは距離を置いた対応のようだった。市民生活に党や政府があまり関与出来ていないということなのか、評価できるだけの情報はない。党や政府が、人々にとって触れたくもない存在、批判されるべき存在なのか、それもわからなかった。
 「社会主義国」のイメージとして党や政府による報道の統制、日常生活への過剰な関与などがあるが、今回の旅行に関してはそのような事象は目に付かなかった。少なくとも人々の街中の往来や物の流通などについて規制はなかったように感じた。かえって良好な交通・安全な交通のためにはもっと交通警察の規制があってしかるべきだとさえ感じたくらいだ。
 南北間の差は、はやりあると感じた。打倒された南ベトナムだが、ホーチミン市の都市基盤整備についてはハノイよりも良好だし、食もホーチミン市の方が豊かであると感じた。それは美術館の在り様にも感じたことは、その3で触れたと思う。ホーチミン市が経済でベトナムを牽引しているということは、文化面でもホーチミン市が、政治都市ハノイをリードしているということなのであろう。

 私はベトナムの文化の発信力について素人だし、どのような先端的な芸術が生れているか知らない。しかし私の目に触れるほどにもっともっとベトナムという文化の力の発信力が豊かになるよう願っている。フランスやアメリカという超大国を向こうに回して近代国家を作り上げてきたベトナムという国のおしつぶされない力、特に文化的な発信力。それが40年前にベトナム戦争というものに日本の片隅で関わったものとしての切なる願いである。

 あまりにまとまりのない記事にしかならなかったが、とりあえずこれでベトナム旅行の感想は終了する。