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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨の日はパソコンと睨めっこ

2025年04月13日 21時06分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースの5月号は、ようやく全体の70%近くが出来上がった。これで翌19日の退職者会の総会の記事をのぞいて、18日(金)の入稿にはなんとか間に合う。
 本日は終日雨、そして終日パソコンと睨めっこで記事を作り上げた。眼も疲れた。肩も凝った。運動不足にもなった。雨の日と、作業でパソコンと睨めっこばかりの日は、私は苦手である。コーヒータイムは我が家でのドリップコーヒー。これはこれで悪くはないのだが。またも読書時間が取れなかった。

 明日は9時過ぎには家を出て、退職者会の役員会・幹事会などをこなす。かなりの重労働である。明日も残念ながら読書タイムは難しい。


二日酔いとは情けない

2025年04月12日 22時11分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩の帰宅は23時59分。日付が変わる直前に玄関の中に入ることが出来た。とはいえ妻を起こすわけにもいかないので、呼び鈴は押さずにいつものとおり自分で鍵を回したものの、酔っていてなかなか鍵穴に鍵が入らず、1分ほど手間取った。
 酔ってこんなに遅く帰ったのは何年ぶりだろうか。飲まずに深夜まで仕事をしたり、組合の用事や徹夜交渉で明け方に帰ったことは何度もあるものの、酔って日付が変わったことは記憶にない(忘れただけかもしれないが)。
 シャワーを浴びたり、風呂のお湯を追い炊きしたりして音を立てるのも近所迷惑になるので、寝巻に着替えて早々に就寝。朝になってようやくシャワーを浴びた。しかしスッキリとはせず、なんとなくまだ意識がフワフワしていた。
 妻が用事で出かけたので一人で昼食。妻が作ったスープを温めてようやく人心地がついた。

 少しばかり退職者会ニュースの原稿づくりを始めたが、頭がスッキリせず作業の継続は断念。

 新横浜まで出かけて家電量販店で給電式のUSBハブを購入後、喫茶店で甘食とコーヒーで一服。少し頭が回復した模様。「天気でよみとく名画」の3編程に目を通した。

 早めに帰宅したものの、妻に請われて一緒に食材等の購入にバスにて大型スーパーへ。買い物が終了後、いつものとおり荷物運び役。夕食はとんかつ屋さんで。

 20時過ぎに帰宅。ようやく昨晩の酔いが醒めてきたようだ。飲み過ぎは翌日まで尾を引く。わかってはいるのだが、繰り返してしまう。73歳にもなって二日酔いとはあまりにみっともない。
 明日には退職者会ニュースの7割以上は仕上げたいものである。

 


フラワー緑道の現在

2025年04月10日 22時56分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中に通院、先週の採血・採尿の結果を聞き、いつもの薬の処方をしてもらった。市民病院での採血の結果と照らし合わせ、尿酸値を抑える薬については半減しようといわれた。前々回の血圧の薬の減薬と合わせて、二種類目の減薬。嬉しい限りである。-17㌔の成果というところ。本当はあと5キロでBMIの適正値と言われる体重になるが、この年でそこまでは落とすこともないように思われる。今の体重の維持に心掛けたい。
 身長・体重ともに中学2~3年生のころの体形とほぼ同じになっている。
 薬局で薬を処方してもらい、遠回りでウォーキングをしながら帰宅。フラワー緑道で今のカワヅザクラとヨコハマヒザクラの写真をスマホで撮影。

      

 ヨコハマヒザクラは葉も赤味が強く、花はだいぶ散っているものの全体が赤味を帯びている。カワヅザクラは新緑の葉ばかりとなり、実がたくさん付いていた。
 カワヅザクラの根元にヤマブキが花を咲かせていた。

 本日の退職者会の作業はそれなりに順調に進めることが出来た。明日の午後からの会議の準備は完了。

 


作業がなかなかはかどらない

2025年04月09日 22時44分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中から夜まで、退職者会のニュースの原稿づくりと作業を継続。ほとんど出歩くゆとりがなかったのだが、途中で急遽親の通院の付き添いと薬局での薬の受領と買い物の依頼。運動量はほとんどなし。通院といってもごく近くの病院なので、買い物をしても往復わずか3000歩に満たなかった。
 夕食後に思い切って夜のウォーキングに出かけ、6000歩ほどをまとめて歩いてきた。域が切れるほどのスピードで汗もだいぶかいた。歩数は少なかったものの、運動量としてはそれなりのものになったような気がする。

 明日もまた一日退職者会のニュースの原稿づくりと若干の作業の継続。本日も読書するゆとりがなかった。明日もまた難しそう。明日は私の通院の予定でもあるが、果たして行けるであろうか。

 


酔い覚ましに夜のウォーキング

2025年04月08日 22時08分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は午前中から昼にかけて好天、夕方からは雲が全天を覆い、薄いジャンバーとポロシャツ1枚では少々肌寒さを感じた。久しぶりに数人の友人と喫茶店と居酒屋で楽しく会話。居酒屋で別れたのちは、ウォーキングで遠回りをしながら帰宅。6000歩ほど。酔いはほどよく醒めてきた。良いウォーキングではないとは思いながらも、酔うと昔から歩きたくなる。
 結局読書は本日も見送り。何冊も読みたい本があるものの、遅々として進まない読書であるが、友人との会食のほうに吸いよせられる。明日こそは少しでも読みたい本をめくってみたいものである。明日の午前中は退職者会の作業と資料づくり。午後からは何とかしたい。

 ウォーキングで少し醒めたとはいえ、本日はだいぶアルコールが入ったので、温いお風呂に入り、早めに就寝したいもの。


渋谷駅界隈でうろうろ

2025年04月07日 22時24分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後からは喫茶店でコーヒータイムと読書タイム、と考えていたのだが、妻から渋谷・自由が丘での所用の付き添いを命じられた。渋谷駅界隈で訪れたことのない場所を探す手伝いと、帰り際の自由が丘駅での買い物のお伴であった。
 来月、妻は渋谷に一人で行かねばならず、道順を確認するためである。地下よりも地上を歩いたほうがわかるはず、というのだが、とりあえず地下通路を通って目的地まで。帰りは地上を通ることにした。しかし地下通路は意外と遠回り、かといって地上では再開発の工事がまだ終わらず、遠回りを強いられ、しかも人通りが多い。わかりやすく人通りの少ない経路が見つからなかった。
 いったん喫茶店でくたびれた足を労わりながら、結論は先延ばし。自由が丘駅でいったん下車して、妻はケーキとコーヒーで一服。私はコーヒーでお付き合い。目的のひとつである和菓子店で最中を購入。

 夕食を作る体力も使い果たし、横浜駅で外食となった。明日以降の食材を少し購入して、バスにて帰宅。
 渋谷駅界隈を歩き回るのはとても疲れる。結局経路の結論は出ず、私は予定していた読書も出来ず。実りの少ない日であった。

 


ヨコハマヒザクラは満開を過ぎ・・・

2025年04月05日 10時39分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 昨日は、午前中は病院で採血・採尿の検査。フラワー緑道のヨコハマヒザクラの様子を見てから、午後からの役員会に臨んだ。
 フラワー緑道のヨコハマヒザクラは咲いているのが半分ほど。残りはすでに花弁が付いていなかった。しかし桜蕊も赤いので、艶やかであることに変わりはない。晴れた空に良く似合う花である。もっとも赤すぎて、敬遠される方も多いと聞く。
 役員会の終了後、横浜駅にもどり、家電量販店や書店を回っているうちに17時を過ぎてしまい、慌てて頼まれた食材を購入して帰宅。バスターミナルに出てみると雨が降った痕があり、驚いた。
 夕食後、リビングルームの椅子でいつの間に熟睡。気がついたら23時近くになり、慌てて夜のウォーキングを少しだけ。終了後急いで入浴といつものルーティンをこなしてベッドで就寝。昨晩は退職者会のニュースの原稿づくりと、ブログのアップを忘れてしまった。
 採血と夕食後にリビングルームで熟睡してしまったこと以外は特に普段と変わらない日。

 本日は昼から親族の葬儀。痩せたこともあり、着用できたばかりか、少し大きすぎる。小さくて着られないよりは、大きい方が何とかなる。


本日より退職者会ニュースの原稿づくり

2025年04月03日 21時38分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も寒かった。雨がなかなか上がらず、夕方近くになってから、久しぶりに新横浜駅の喫茶店に出向いてみた。相変わらず駅構内も喫茶店も旅行客で混雑。外国語・日本語が飛びかい、賑やかである。家電量販店のパソコンコーナーでいろいろと勉強がてら見て回った。特に購入予定はないのだが、どの程度のスペックのパソコンやプリンターが主流となっているか、見て回った。

 本日から退職者会ニュースの5月号の編集作業。午前中と夕食後に時間をかけて、概略の割付、記事を1本、写真を5枚ほど配置してみた。依頼してある原稿がすでに1本送られてきているので、明日の午前中に入力予定。これを明日の夕方からの役員会に素案として提示できる。
 毎年5月号と正月号は連休がはさまるので、編集日程がきびしい。しかも入稿日まで予定が詰まっている。印刷会社の現職の社員のかたに迷惑をかけるわけにはいかない。早めの入稿が必要である。労働組合の退職者会としては守らなければならない事がらである。

 実は午前中にかかりつけ医での採血・採尿検査のために出かけるつもりであったが、迂闊にもつい朝食を食べてしまった。検査は明日の昼前にすることにした。
 夕方からは退職者会の役員会。


がん検診終了

2025年04月01日 20時51分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日から新年度。といっても退職後13年も経つと、あまりピンとこない節目である。

 本日の5項目(胃、肝・胆・膵、大腸、前立腺、肺)のがん検診は無事終了。遅刻せずに病院に辿り着いた。
 受けつけもスムーズで、肝・胆・膵のエコー診断と採血、大腸の便鮮血検査、前立腺の採血、肺X線撮影はいづれも滞りなく進行。被験者である私の体の負担も特にない。しかし胃カメラは2回目であるが、とてもつらい。カメラが喉を通るときと、空気を入れで胃を膨らませる時がともにつらい。これは慣れることはないと思われる。できれば次回はバリウムを飲んでX線撮影のほうが楽である。

 入れた空気を完全に排出するまでの間も消化管の不快感はとれない。喉元の麻酔が切れるまでは飲食はできないが、切れる予定の時間が過ぎても食欲はわかず、かといってバスに乗車して帰宅するには車酔いしそうなので、病院のソファに座って静かにしていた。
 2時間近く経ってから、病院内の喫茶店で昼食。不快感が無くなると同時に食欲は正常に戻った。
 しかし昨日も記載した通り、便潜血検査で再検査となると大腸の内視鏡検査をまた受けなければ行けなくなる。6週間後までビクビクである。

 昼食を食べた後、妻と横浜駅で待ち合わせて食材の買い出しとコーヒータイム。小雨の中をバスにて帰宅。夕食は普段通りの量を食べた。

   

 帰宅後は夕食まで、「良寛和尚歌集」(相馬御風編注、岩波文庫)の「序」(相馬御風)と解説(鈴木健一、復本一郎)、「ミロ展図録」、ならびに「図書4月号」(岩波書店)を少々。

 明日・明後日と雨が降り続き、気温も低いとのこと。金曜日以降も天気は不安定らしい。


順応

2025年03月23日 11時43分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 昨日の温かさでヨコハマヒザクラの蕾はさらに赤味を増して自ら綻びを待っている。
 コブシの花の愕の裏には薄緑色の一枚葉がそっと添えられるように張り付いている。
 カワヅザクラの葉の新芽が太陽光を透かして赤い葉脈が力を溜めている。



 本日はさらに気温が上昇し、夏日になるかもしれないとの予報である。横浜市域の予想最高気温は24℃。昨日・本日と初夏の陽気。絶え間なく横浜駅を発着する電車が、明るさに色を添える。

 しかしここ数年の異常気象・天候不順はすっかり季節感を人間からも植物からも奪っている。
 
 さて、牽強付会ではあるが、「識者」なる人々は季節が四季から二季に変わったと訳知り顔に解説している。戦前から「モンスーン地帯の風土論」をかざして「世界に誇るべき日本の風土は優れた日本文化を生んできた」と繰り返していた「識者」は何の反省もない。彼らの言が正しかったならば、二季制の弧状列島はきっと文明が尻すぼみに劣化していく運命なのである。日本文化の盛衰と、四季のあるなしに相関関係があるならば、戦後日本の劣化は気候変動が要因で衰退の道をたどるだけなのだろうか。衰退の要因は別に求めたほうが良いと思うのは私だけだろうか。
 人間は不思議である。異常な気象のことは1年も経つと忘却してしまう。果たしてこれが順応ということなのか。順応してしまうことが、思想の無節操に繋がっている。これはさらに恐ろしい気がする。


ヨコハマヒザクラの開花も間近

2025年03月21日 22時19分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は12週間ぶりに横浜市立市民病院での採血と診察の日。早起き(といっても8時起床)をして、朝食抜きで9時に家を出て市民病院へ。本日の受けつけは割と空いていたが、診察室の前では既に多くの人が椅子に座って順番待ちをしていた。お昼までかかるかと覚悟をしていたら、予約時間を10分ほど過ぎたときに呼ばれてホッとした。他の診療科が混雑していたようだ。
 これまで12週間に一回の採血・診察であったが、次回は16週間後となった。数値が安定しているので、間隔をあけても問題ない、とのことであった。
 病院内の喫茶店で朝・昼兼用の食事をしながら若干の読書タイム。
 かかりつけ医の近くのいつもの薬局が混雑していたので、歩いて横浜駅へ。書店で時間を潰して、同じ道を再び歩いて薬局に戻ると待合室はガラガラ。すぐに薬を処方してもらった。
 温かい陽射しのもと、気持ちよく歩いた。帰宅してみると1万2千歩。先ほど夜のウォーキングで2千5百歩ほど。先週の感染性胃腸炎発症以来、1万5千歩も歩いたのは11日ぶり。足に傷みや疲労はなく、ホッとしている。



 途中のフラワー緑道でヨコハマヒザクラの蕾の撮影に再度挑戦。先日よりはうまく撮れたが、それでもピントは合っていない。

 友人からヨコハマヒザクラとはどんなものか、と聞かれた。専門家ではないのでネットで調べると次のような解説に出くわした。一応半分は知っていたが、半分ははじめての知識である。
由来

・1972(昭和47)年頃、横浜市港北区在住の園芸家により、カンヒザクラと、オオシマザクラとタカネザクラの交雑種のケンロクエンクマガイ(兼六園熊谷)とを交配して作られた。1985年種苗法に基づき観賞樹として品種登録された。カンヒザクラの特徴的な緋色と、ケンロクエンクマガイの花形の良さを兼ねる。品種名は出生地である横浜と、花の色の特徴である緋色から名づけられた。
・1996(平成8)年に、横浜公園開園120周年を記念して同園内に植樹、1997年中区の区制70周年を記念して本牧山頂公園に原木が寄贈。
・花弁はソメイヨシノに比べ色が濃く鮮やかで、一重の平開咲。やや下向きの大輪の花を付ける。葉の形が倒卵状楕円形であること、花序の形状が散房状であること、花弁が楕円形であること、花が紫ピンクの大輪の花であることなどからカンヒザクラと区別できる。
・ソメイヨシノと同様に、葉が出る前に花が咲く。花の形状は同様で開花時期が異なる3つの品種があり、育成地である横浜では早咲きは概ね3月20日頃、遅咲きは4月10日頃から咲きはじめる。学校の入学式の時期に満開を迎えたいケースでは、中間咲きの品種が選ばれる。開花時期を調整できる特徴から、ソメイヨシノの前後に咲くようにヨコハマヒザクラを植えることにより長期間花見を楽しむことができる。     【以上、Wikipediaの要約】

 また病気などにも強い品種であるといわれているようだ。私がはじめてこのヨコハマヒザクラの存在を知ったのは30年以上前であるが、当時はそれほど有名ではなかった。職場の傍の幹線道路の街路樹として数本植樹されたのを見てからである。植えられた幹は、植樹桝からすぐに幹が数本に分かれ、街路樹としてはあまり良い性質ではないかと思えたが、見栄えもよく、地元では評判が良かったようだ。青空に良く映える色である。

 本日のフラワー緑道の一番横浜駅川の植えられた2本のヨコハマヒザクラの蕾はかなり赤くなっていた。例年はソメイヨシノよりも1週間程度早く咲くのだが、今年はあと数日。ソメイヨシノとほぼ同時に開花しそうである。
 


夜のウォーキングは雨で断念

2025年03月11日 21時47分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は団地のボランティア作業を30分ほど。ごく短時間で済ませた。午後からウォーキングを兼ねて、近くのターミナル駅へ。商業施設の中の喫茶店でコーヒーを喫しながら、14年前の3.11のことを思い出していた。
 帰宅してみると往復9千歩ほど。夕方からは、先ほどアップしたブログを記事をまとめた。
 夜のウォーキングに出かけようとしたら、小雨ながら雨が降り始めてしまい、断念。歩いた歩数としては少々物足りない。

 明日は組合の事務所へ寄ってみることにしている。来週の月曜日の幹事会の準備作業である。
 


14年目の3.11

2025年03月11日 20時10分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は東日本大震災から14年の日である。しかしこの3月に大船渡の山林火災という大きな災害に見舞われるという事態が起きている。何とも言葉もない。

 毎年3月11日はその日に自分が何をしていたか、災害発生時やその直後のことをいろいろと思い出している。発生した2011年は、定年退職まであと13か月という時期。翌年3月31日の定年と同時に退職する意向は固めていたし、労働組合の役員もその前年の10月の支部大会で退任していた。
 発生した時間での職場での振る舞い、帰宅途中での体験、その翌日から数日のこと、労働組合役員経験者としての組合員の安否確認の補助や支援活動での体験など、何度も思い浮かべる。当然忘れたこともあるが、かなりは鮮明に覚えている。
 地震発生日と原発事故の数日は、そのことに追われたが、翌週からは1995年1月17日の阪神淡路大震災時のことを思い浮かべながら、余計なこととは思ったが、引き継いだ役員へ経験上の体験などを電話で伝えたり、慌ただしかった。

 災害対応というのは、共通課題が多い。そしていづれも風水害、地震、火災、八潮市での都市基盤での発災等々、いづれも日常業務の延長であることも多い。
 労働組合はボランティアとして、あるいは業務としての支援活動への関与などだけではない。特に私などの労組の支部のように都市基盤整備の第一線に携わる部所では、労働安全衛生法を最大限活用し、日常の人員体制、日常使う機械器具類の整備、日常災害時の連絡体制、指示系統の整備・に生かすことが体制整備に必要である。これらの事項の交渉過程では常に「大きな災害にも連動させて日常体制を考える」ことが大切であるというのが、阪神淡路大震災での私たちの支部の大きな教訓であった。
 ここが当局とのズレを埋めて職場体制を強化する視点であった。これを今でも労使交渉の大きな柱として生かしてほしいと心から願っている。

 そんなことを考えながら、本日は過ごした。

 


ウォーキング日和と家族の食事会

2025年03月09日 22時21分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は自宅前の雑草刈りを1時間ほど。さらに団地の管理組合の諮問機関に関連する事務作業を少々。

 午後は昨日都は違い晴れて、太陽が顔を出してくれた。薄手のジャンバーを着て、新横浜駅までの距離の約半分をウォーキング。地下鉄の新横浜駅の二つ手前の駅から新横浜駅のビルにある家電量販店まで。パソコンとその周辺機器の値段の調査(といっても購入する気はなし)と喫茶店での読書。
 新横浜駅内は旅行客で混雑。喫茶店も満杯であった。かろうじてひとつだけ空いた席を見つけることが出来た。
 読んだ本は「芸術原論」(赤瀬川原平)の第四編「路の感覚」の「『吾輩は猫である』の猫の子孫」と「植物的無意識の採集」。
 路上観察学会の活動の紹介のような箇所。同時にその活動への著者のこだわりを楽しく読み進めた。

 帰りは新横浜駅から地下鉄で二つ目までは乗車。その先は少し遠回りをして神奈川大学のキャンパスの周囲をめぐってから帰宅。往復で1万5千歩程のウォーキング。
 太陽が出ている時は暖かであったが、日がかげると風が冷たかった。

 夕方には娘夫婦が我が家に来て、ハワイ旅行の報告会。私の親と5人での食事を楽しんだ。

 明日は一日出かける予定。


代々木公園へ

2025年03月08日 23時13分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は代々木公園で開催された「3.11福島原発事故を忘れない さようなら原発3.8全国集会」に退職者会の仲間20余名とともに参加した。
 12時前に横浜駅に集合し、13時過ぎに代々木公園に到着。時折り細かい雪が降ってきたが、途中で日も差す温かい時間もあった。公園入り口ではちょうど見頃の河津桜が美しかった。
 外苑前駅でデモが終わって渋谷に戻ると、雨になっていてびっくり。代々木公園で集会があると必ず寄ることになっている道玄小路の沖縄料理の店に10名で入店。2時間、泡盛等で体を内側から温めて帰路についた。
 横浜駅からはバスで帰宅。団地の最寄りのバス停で降りるとすでに歩道上は雪が1cmほど積もっていた。
 前回の雪よりも少しばかり多めに積もっているように思われた。帰宅すると2万歩を大きく超えていた。