臨床医の限界が身に沁みます。{基礎医学との狭間に喘(あえ)
いで…。
(何しろ、皆さん、長生きになりました。)
近頃、【抜かない治療の専門医】として、なりに、その医学的評価も得ている私としては、
人間、長生きするようになって、
《近頃、その存在に、頭を悩ましているのは、親知らずの問題です。》
インプラントの宗教化に、悩みを深めて、つくづく、臨床医の限界が身に沁みます。
私は、
《インプラントは、
歯ではありません。
牙である。
ある種、武器であり、凶器です。》
と、再三、言って、記してますが、
牙は、歯の変形、発達したもので、…
歯かもしれませんし…第一、そもそも、
牙も(動物にとっては、)紛れもなく、《自分のもの》だから、
牙は、【異物であるインプラント】とは、正確には、また違うものですね。
歯の寿命は、80年、と言われてきました。
それも、最も長生きする歯=保つ(もつ)歯の犬歯(けんし)がです。
だから、80歳になると、上下犬歯だけ4(歯)本だけしかないのが普通でした。
もちろん、80歳前に歯を全部なくしている人はざらでした。
しかし、今は、歯ブラシも行き届き、清潔で、栄養状態もよくなり、80歳過ぎても、20(歯)本以上、歯が残っている人が多いのです。
私が、再三再四、繰り返しているように、
小臼歯までの20(歯)まであれば、
そのまま、今ある20(歯)を、ケアしていれば、インプラントはもちろん、何もしなくていいのです。
【原則論をいれば、そのまま、何もしない方がいいのです。】
狭い口の中を複雑にして、不潔な場所(不潔域と云います。)
を、極力作らない方がいいのです。
狭い口の中を、磨きやすく、清潔にしやすく保つことが、肝要、大切なのです。
此処で、
私が、近頃、悩んでいるのが、《親知らず》の存在です。
通常、人間の歯は、上下、28(歯)本、
親知らずが全てある人は、上下、32(歯)本です。
私の患者さんで、87歳で、親知らずまで、全ての歯が揃っている人がいます。
64歳の時に、右下4(歯)本を抜いて、義歯にすると言われ、
私の治療を受け、以後、87歳の今日まで、全て自分の歯です。
3~4ヶ月に1回の定期検診とブラッシング指導、歯のクリーニングだけで済んでます。
ただ、この患者さん、《親知らずまで32(歯)本、あるのです。》
80歳を過ぎる頃から、親知らずが、腫れたり、 揺れるようになりました。(時に痛みも。)
「先生のおかげで、1(歯)本の歯も失わず、死ねます。
親戚、友達にも、驚かれ、ほめられます。
先生は、名医です。」
と、言ってくれます。
しかし、この患者さんの《親知らず》は、もう少し若い時期に抜いた方がよかったかな、と思うのです。
しかし、《親知らずだから、》と、
むやみに、抜いて(抜かれて)
顎に、噛み合わせに、支障をきたし、私の治療を、相談を受けに来る人もたくさんいます。
【人間、やはり、個人個人違います。(当然です。)】
だから、やたら、むやみに、奥歯にインプラントにしようというのは、殺人行為です。
【敢えて、過激にいえば、親知らずの位置に、インプラントをした歯医者は、まさに、狂喜の沙汰です。
凶器(=インプラント)の沙汰です。】
細かい多くの障害はもちろん、結果、インプラントで死人も出した歯科医院です。(それは豪華な歯科医院です。)
日本全国から、開業医はもちろん、(時に、大学病院からの、医学部からも、)
紹介で、
私の、拙著【この歯医者がヤバい】(幻冬舎新書)で、
私の所に、相談も含めて、来院してくれます。
(新幹線もあり、そんなに遠くないです。自分の歯は大切ですとも言ってくれて。)
{インプラントの1本、50万円…。
それも、本当に、残せないのか、抜かなくては、抜かれるのか…抜くのか…いろいろ、思案して。}
【改めて、本当に、恐縮します。】
それ故に、深く、真摯に悩みます。
長生きすると、やはり、体も弱り、
歯も奥まで、磨くのが下手になります。
(うがいだけでは、やはり限界があります。)
やはり、原則、しっかり、動的にブラッシングして、血が出ても、歯肉のマッサージもしないと… …。
【臨床は、原則通りにはいきません。】
[しかし、原則、公式、基礎を、きちんと、把握、勉強してないと、知らないと、応用=臨床には進むことはできません。
その優れた治療技術(スキル)も、絶対に得られません。臨(望)めません。
とても、 臨(望)めないのです。]
日々、悩み、勉強、修練、反省、修行です。
高齢者へのインプラント、死ぬまで、噛めて、長生きして。
ですか?
全否定はしません。
しかし、ヤラズブッタクリだったら…。
《まっ、いいか?
インプラントで、長生きするわけないから。》 ですか?
噛む(咬む)ことは、長生きの秘訣かもしれません。
噛める(咬める)ことも、幸せ、かもしれません。
しかし、インプラントが、入れ歯(インプラントも入れ歯の一環)が、義歯が、咬むことの全てではありません。
歯は顔の一部です。
歯は、体なのです。
見栄も見映えも見てくれもあります。
しかし、そこには、やはり、人間性、人間味もあるのです。(その心構えも。)
作家の曽野綾子さんが、先日、 「日本だから、20年の冤罪が晴れる。
イスラエルや、アフリカや、北朝鮮、中国…ようなら、冤罪は晴れない。日本は、いい国だ。…」
と、云ってました。
しかし、日本はいい国かもしれませんが、
《冤罪は、たまったものではありません。絶対にあってはなりません。》
《「冤罪が晴れることで、日本はいい国だ。」というのは、上から目線の歪みです。間違った視点、比較です。》
しかし、曽野綾子さんは、頭のいい人です。
敢えて、悪く言われるのを覚悟たったのでしょう。
以前、曽野綾子さんは、目の見えない人が、ヨットで太平洋を横断しようというのは、無謀、というより、非常識、迷惑だ、と、誤解されやすく、言いづらいことを、きちんと、言った人です。
(私は、これには、曽野綾子さんが正しく、真っ当だと思いました。)
というのは、ネット社会です。
私の所にも、
「何軒も、歯医者も、大学病院にも行きましたが 、先生だけが抜かない治療をすると、言いました。
で、先生、
抜かないで治る確率は、どれくらいですか?
ネットで調べると… …。」
長々と、ネットの蘊蓄(うんちく)を語る患者さんがいます。
敢えて、私も(曽野綾子さんのように)、悪者になると、
【素人がネットが、プロに対して、どうこう言うな。無礼だ。他の歯医者に行きなさい。】
プロを舐めるな!
そんな、生兵法、ネットの生半可な知識で、どうこう言われるような、
つけやいばで、私を試すな。
どれだけ勉強し、日々、学習し、医学的にも認められてる治療技術(スキル)を身に着けたと思っているのか。
有名無名を問わず、(ネットを使いこなしている人も、)
年齢も関係なく、学歴も職業も関係なく、
…自身、真面目にその道のプロとして生きている人は、
私に、きちんと、礼儀正しく接してくれます。
《相性、好き嫌いはあります。》
しかし、私をプロとして、接してくれる人には、私は、トコトン、親切に対応します。
全力、誠意を尽くします。
採算ぬきで、時には、時間外でも親切に対応します。(私は色眼鏡で患者さんを見ません。観ません。診ません。)
しかし、私は、頑固、つむじ曲がりです。
時には無礼と思う人もいるでしょう。
《中には、私に、治療費、交通費も返して欲しい。という人も居ます。
敢えて、言います。
まあ、私も、お詫びしますが、どこに行っても、不満分子は喧嘩してるんですね。情けない、哀れです。不幸ですね。つまらない人生ですね。》
私の患者さんで、ミシュランの三ツ星の料理人がいます。
「先生、どこの世界も、プロは、たいへん。私のお客さんにも、
《思ったより美味くない、 もっと、綺麗な店かと思った、とか、
値段も高いな、接客も今一つだ、云々…。》
と、さんざん、言って帰るお客さんがたくさんいます。
先生、お互い、頑張りましょう。
また、食べに来てください。
歯の具合はいいです。
ありがとうございました。」
と言います。
有りがたいです。心強いです。励まされます。
プロとして、遣り甲斐、幸せ、生き甲斐を感じる一瞬です。
人生、悲喜こもごも、一瞬=今の連続です。
革命家で、スターリンに殺されたトロツキーの言った一言。
【おまえはただの現在にすぎない!】に、やはり、尽きますね。
私はプロとして、 その【歯を残す治療技術(スキル)には、医学的、全国的にも認められています。】
いい意味でのプライドも誇りもあります。
ただ、私も、(患者さんも含め、)とにかく、その道のプロは、自惚れてません。
私は、(もちろんただの凡人です。)自惚れてる暇はありません。
有名無名に関係なく、政治家でも、芸能、スポーツでも、プロとは思えない輩もいっぱいいるじゃないですか!
【私も、患者さんを選びます。】
真摯に、紳士に、接します。
見ます。観ます。診ます。
好き嫌い、相性、…私と合わない人、そして、私をプロフェッショナルとして、認めてくれない人、(特に、ネットの生半可な知識で、)
申し訳ありません。
私を舐めないでください。甘く見ないでください。
私はプロフェッショナルとして、自分にも厳しく接しています。
仕事を離れれば、私はそこらの不器用な凡人です。
家族にも、友人にも、従業員にもよく叱られる、酒と映画と本に憧れている気弱い男です。
しかし、プロフェッショナルな人間は、こと、仕事には、真底(心底)親切で、強くもあります。
近々、また、テレビに出ます。(決定ではありませんが、レギュラーの話もあります。)
次の本の話もありますが、出版も商売ですから。(自費出版で、自己満足したくありません。)
やはり、第三者の評価がないと。
だから、電子版も含め、【幻冬舎新書・この歯医者がヤバい。】
どうか、よろしくお願いいたします。
表現、言論の自由は、人間の基本です。
しかし、かの天才アニメーション作家の宮崎駿氏も言っているように、
「弱い人達が、宗教でも、趣味でも、なんでも、その拠り所にしているものを、大切にしているものを、相手の気持ちを考えず、自由だからと云って、誹謗したり、からかうものではない。」
フランスのテロへの忠告です。
これは、思想の問題ではありません。
右も左もありません。
【自由には、自由であれはあるほど、その責任が伴うのです。】
テロ、暴力は断じて許されません。
しかし、例えば、親の形見の(それがちゃちな人形でも、)
やたら、からかわれたり、傷つけられれば、怒り心頭になるでしょう。
少数意見(異見)、多様性を認め、尊重しないと、最悪、テロに通じます。
《無責任な、人の気持ちを考えない意見は、時に、それ自体が、テロなのです。》(ましてや、匿名では。)
【似非自由、自由の履き違えです。】
歯科の初心は、(いつもです。繰り返します。)
まずは、その歯が残るか、残せるか、です。
抜くことも含め、まずは、そこから!…!』
(何しろ、皆さん、長生きになりました。)
近頃、【抜かない治療の専門医】として、なりに、その医学的評価も得ている私としては、
人間、長生きするようになって、
《近頃、その存在に、頭を悩ましているのは、親知らずの問題です。》
インプラントの宗教化に、悩みを深めて、つくづく、臨床医の限界が身に沁みます。
私は、
《インプラントは、
歯ではありません。
牙である。
ある種、武器であり、凶器です。》
と、再三、言って、記してますが、
牙は、歯の変形、発達したもので、…
歯かもしれませんし…第一、そもそも、
牙も(動物にとっては、)紛れもなく、《自分のもの》だから、
牙は、【異物であるインプラント】とは、正確には、また違うものですね。
歯の寿命は、80年、と言われてきました。
それも、最も長生きする歯=保つ(もつ)歯の犬歯(けんし)がです。
だから、80歳になると、上下犬歯だけ4(歯)本だけしかないのが普通でした。
もちろん、80歳前に歯を全部なくしている人はざらでした。
しかし、今は、歯ブラシも行き届き、清潔で、栄養状態もよくなり、80歳過ぎても、20(歯)本以上、歯が残っている人が多いのです。
私が、再三再四、繰り返しているように、
小臼歯までの20(歯)まであれば、
そのまま、今ある20(歯)を、ケアしていれば、インプラントはもちろん、何もしなくていいのです。
【原則論をいれば、そのまま、何もしない方がいいのです。】
狭い口の中を複雑にして、不潔な場所(不潔域と云います。)
を、極力作らない方がいいのです。
狭い口の中を、磨きやすく、清潔にしやすく保つことが、肝要、大切なのです。
此処で、
私が、近頃、悩んでいるのが、《親知らず》の存在です。
通常、人間の歯は、上下、28(歯)本、
親知らずが全てある人は、上下、32(歯)本です。
私の患者さんで、87歳で、親知らずまで、全ての歯が揃っている人がいます。
64歳の時に、右下4(歯)本を抜いて、義歯にすると言われ、
私の治療を受け、以後、87歳の今日まで、全て自分の歯です。
3~4ヶ月に1回の定期検診とブラッシング指導、歯のクリーニングだけで済んでます。
ただ、この患者さん、《親知らずまで32(歯)本、あるのです。》
80歳を過ぎる頃から、親知らずが、腫れたり、 揺れるようになりました。(時に痛みも。)
「先生のおかげで、1(歯)本の歯も失わず、死ねます。
親戚、友達にも、驚かれ、ほめられます。
先生は、名医です。」
と、言ってくれます。
しかし、この患者さんの《親知らず》は、もう少し若い時期に抜いた方がよかったかな、と思うのです。
しかし、《親知らずだから、》と、
むやみに、抜いて(抜かれて)
顎に、噛み合わせに、支障をきたし、私の治療を、相談を受けに来る人もたくさんいます。
【人間、やはり、個人個人違います。(当然です。)】
だから、やたら、むやみに、奥歯にインプラントにしようというのは、殺人行為です。
【敢えて、過激にいえば、親知らずの位置に、インプラントをした歯医者は、まさに、狂喜の沙汰です。
凶器(=インプラント)の沙汰です。】
細かい多くの障害はもちろん、結果、インプラントで死人も出した歯科医院です。(それは豪華な歯科医院です。)
日本全国から、開業医はもちろん、(時に、大学病院からの、医学部からも、)
紹介で、
私の、拙著【この歯医者がヤバい】(幻冬舎新書)で、
私の所に、相談も含めて、来院してくれます。
(新幹線もあり、そんなに遠くないです。自分の歯は大切ですとも言ってくれて。)
{インプラントの1本、50万円…。
それも、本当に、残せないのか、抜かなくては、抜かれるのか…抜くのか…いろいろ、思案して。}
【改めて、本当に、恐縮します。】
それ故に、深く、真摯に悩みます。
長生きすると、やはり、体も弱り、
歯も奥まで、磨くのが下手になります。
(うがいだけでは、やはり限界があります。)
やはり、原則、しっかり、動的にブラッシングして、血が出ても、歯肉のマッサージもしないと… …。
【臨床は、原則通りにはいきません。】
[しかし、原則、公式、基礎を、きちんと、把握、勉強してないと、知らないと、応用=臨床には進むことはできません。
その優れた治療技術(スキル)も、絶対に得られません。臨(望)めません。
とても、 臨(望)めないのです。]
日々、悩み、勉強、修練、反省、修行です。
高齢者へのインプラント、死ぬまで、噛めて、長生きして。
ですか?
全否定はしません。
しかし、ヤラズブッタクリだったら…。
《まっ、いいか?
インプラントで、長生きするわけないから。》 ですか?
噛む(咬む)ことは、長生きの秘訣かもしれません。
噛める(咬める)ことも、幸せ、かもしれません。
しかし、インプラントが、入れ歯(インプラントも入れ歯の一環)が、義歯が、咬むことの全てではありません。
歯は顔の一部です。
歯は、体なのです。
見栄も見映えも見てくれもあります。
しかし、そこには、やはり、人間性、人間味もあるのです。(その心構えも。)
作家の曽野綾子さんが、先日、 「日本だから、20年の冤罪が晴れる。
イスラエルや、アフリカや、北朝鮮、中国…ようなら、冤罪は晴れない。日本は、いい国だ。…」
と、云ってました。
しかし、日本はいい国かもしれませんが、
《冤罪は、たまったものではありません。絶対にあってはなりません。》
《「冤罪が晴れることで、日本はいい国だ。」というのは、上から目線の歪みです。間違った視点、比較です。》
しかし、曽野綾子さんは、頭のいい人です。
敢えて、悪く言われるのを覚悟たったのでしょう。
以前、曽野綾子さんは、目の見えない人が、ヨットで太平洋を横断しようというのは、無謀、というより、非常識、迷惑だ、と、誤解されやすく、言いづらいことを、きちんと、言った人です。
(私は、これには、曽野綾子さんが正しく、真っ当だと思いました。)
というのは、ネット社会です。
私の所にも、
「何軒も、歯医者も、大学病院にも行きましたが 、先生だけが抜かない治療をすると、言いました。
で、先生、
抜かないで治る確率は、どれくらいですか?
ネットで調べると… …。」
長々と、ネットの蘊蓄(うんちく)を語る患者さんがいます。
敢えて、私も(曽野綾子さんのように)、悪者になると、
【素人がネットが、プロに対して、どうこう言うな。無礼だ。他の歯医者に行きなさい。】
プロを舐めるな!
そんな、生兵法、ネットの生半可な知識で、どうこう言われるような、
つけやいばで、私を試すな。
どれだけ勉強し、日々、学習し、医学的にも認められてる治療技術(スキル)を身に着けたと思っているのか。
有名無名を問わず、(ネットを使いこなしている人も、)
年齢も関係なく、学歴も職業も関係なく、
…自身、真面目にその道のプロとして生きている人は、
私に、きちんと、礼儀正しく接してくれます。
《相性、好き嫌いはあります。》
しかし、私をプロとして、接してくれる人には、私は、トコトン、親切に対応します。
全力、誠意を尽くします。
採算ぬきで、時には、時間外でも親切に対応します。(私は色眼鏡で患者さんを見ません。観ません。診ません。)
しかし、私は、頑固、つむじ曲がりです。
時には無礼と思う人もいるでしょう。
《中には、私に、治療費、交通費も返して欲しい。という人も居ます。
敢えて、言います。
まあ、私も、お詫びしますが、どこに行っても、不満分子は喧嘩してるんですね。情けない、哀れです。不幸ですね。つまらない人生ですね。》
私の患者さんで、ミシュランの三ツ星の料理人がいます。
「先生、どこの世界も、プロは、たいへん。私のお客さんにも、
《思ったより美味くない、 もっと、綺麗な店かと思った、とか、
値段も高いな、接客も今一つだ、云々…。》
と、さんざん、言って帰るお客さんがたくさんいます。
先生、お互い、頑張りましょう。
また、食べに来てください。
歯の具合はいいです。
ありがとうございました。」
と言います。
有りがたいです。心強いです。励まされます。
プロとして、遣り甲斐、幸せ、生き甲斐を感じる一瞬です。
人生、悲喜こもごも、一瞬=今の連続です。
革命家で、スターリンに殺されたトロツキーの言った一言。
【おまえはただの現在にすぎない!】に、やはり、尽きますね。
私はプロとして、 その【歯を残す治療技術(スキル)には、医学的、全国的にも認められています。】
いい意味でのプライドも誇りもあります。
ただ、私も、(患者さんも含め、)とにかく、その道のプロは、自惚れてません。
私は、(もちろんただの凡人です。)自惚れてる暇はありません。
有名無名に関係なく、政治家でも、芸能、スポーツでも、プロとは思えない輩もいっぱいいるじゃないですか!
【私も、患者さんを選びます。】
真摯に、紳士に、接します。
見ます。観ます。診ます。
好き嫌い、相性、…私と合わない人、そして、私をプロフェッショナルとして、認めてくれない人、(特に、ネットの生半可な知識で、)
申し訳ありません。
私を舐めないでください。甘く見ないでください。
私はプロフェッショナルとして、自分にも厳しく接しています。
仕事を離れれば、私はそこらの不器用な凡人です。
家族にも、友人にも、従業員にもよく叱られる、酒と映画と本に憧れている気弱い男です。
しかし、プロフェッショナルな人間は、こと、仕事には、真底(心底)親切で、強くもあります。
近々、また、テレビに出ます。(決定ではありませんが、レギュラーの話もあります。)
次の本の話もありますが、出版も商売ですから。(自費出版で、自己満足したくありません。)
やはり、第三者の評価がないと。
だから、電子版も含め、【幻冬舎新書・この歯医者がヤバい。】
どうか、よろしくお願いいたします。
表現、言論の自由は、人間の基本です。
しかし、かの天才アニメーション作家の宮崎駿氏も言っているように、
「弱い人達が、宗教でも、趣味でも、なんでも、その拠り所にしているものを、大切にしているものを、相手の気持ちを考えず、自由だからと云って、誹謗したり、からかうものではない。」
フランスのテロへの忠告です。
これは、思想の問題ではありません。
右も左もありません。
【自由には、自由であれはあるほど、その責任が伴うのです。】
テロ、暴力は断じて許されません。
しかし、例えば、親の形見の(それがちゃちな人形でも、)
やたら、からかわれたり、傷つけられれば、怒り心頭になるでしょう。
少数意見(異見)、多様性を認め、尊重しないと、最悪、テロに通じます。
《無責任な、人の気持ちを考えない意見は、時に、それ自体が、テロなのです。》(ましてや、匿名では。)
【似非自由、自由の履き違えです。】
歯科の初心は、(いつもです。繰り返します。)
まずは、その歯が残るか、残せるか、です。
抜くことも含め、まずは、そこから!…!』