fMRI(機能的磁気共鳴画像法)により得られた脳スキャン画像に基づいて、被験者が一定の思考等を行ったときに脳が活性化する(酸素消費量が増える)部分を特定し、それにより一定の思考等を行う脳の部分を割り出して、脳スキャン画像から被験者の思考等を評価判断するという脳科学の試みについて、現時点での科学的評価を行うとともに、脳科学を標榜するビジネスの問題点を指摘する本。
fMRIの脳スキャン画像の評価では、人間の心理的作業の複雑さを正しく分解・解析できているか疑問があり、ニューロン(神経細胞)の活性化から酸素消費量の変化までのタイムラグなどもあって、一定の心理的作業をつかさどる脳の場所の特定自体容易ではないこと、実験の統計的な評価での問題もあり、死んだ鮭の脳のスキャン画像で統計処理をして評価すると脳の小領域が活性化したかのような結果が出た(47~56ページ)などの指摘があり、なるほどと思いました。
この本の表題からは、以上のような理系的な(科学的な)説明がテーマかと思ったのですが、それは第1章までで、あとは、脳科学を標榜するビジネスへの警鐘と裁判での利用への批判が中心となっています。そういう意味では、自然科学系の本ではなく、社会科学系の本と分類すべきかなとも思いました。
終盤は、特に、「脳科学」の成果を利用して刑事裁判での減刑や無罪(自由意思がなかったのだから責任を問えない)の主張をする弁護士への批判が中心となっています。それも脳スキャン画像の解釈に誤りがあるとか、脳スキャン画像に関する現在の科学技術水準からそこまでを読み取ることはできないという科学的な指摘に基づく批判ではなく、刑事責任のあり方というような哲学的な観点からの批判に相当程度踏み込んでいるように思えます。私が弁護士だからかもしれませんが、精神科医と心理学者がする批判としては、専門知識に基づくものを超え、価値観が先行したものと思えます。著者の専門性からは第1章までにとどめるべき本ではなかったか(でも著者はむしろその後を書きたかったんでしょうけどね)と思います。

原題:BRAINWASHED The Seductive Appeal of Mindless Neuroscience
サリー・サテル、スコット・O.リリエンフェルド 訳:柴田裕之
紀伊国屋書店 2015年7月10日発行(原書は2013年)
fMRIの脳スキャン画像の評価では、人間の心理的作業の複雑さを正しく分解・解析できているか疑問があり、ニューロン(神経細胞)の活性化から酸素消費量の変化までのタイムラグなどもあって、一定の心理的作業をつかさどる脳の場所の特定自体容易ではないこと、実験の統計的な評価での問題もあり、死んだ鮭の脳のスキャン画像で統計処理をして評価すると脳の小領域が活性化したかのような結果が出た(47~56ページ)などの指摘があり、なるほどと思いました。
この本の表題からは、以上のような理系的な(科学的な)説明がテーマかと思ったのですが、それは第1章までで、あとは、脳科学を標榜するビジネスへの警鐘と裁判での利用への批判が中心となっています。そういう意味では、自然科学系の本ではなく、社会科学系の本と分類すべきかなとも思いました。
終盤は、特に、「脳科学」の成果を利用して刑事裁判での減刑や無罪(自由意思がなかったのだから責任を問えない)の主張をする弁護士への批判が中心となっています。それも脳スキャン画像の解釈に誤りがあるとか、脳スキャン画像に関する現在の科学技術水準からそこまでを読み取ることはできないという科学的な指摘に基づく批判ではなく、刑事責任のあり方というような哲学的な観点からの批判に相当程度踏み込んでいるように思えます。私が弁護士だからかもしれませんが、精神科医と心理学者がする批判としては、専門知識に基づくものを超え、価値観が先行したものと思えます。著者の専門性からは第1章までにとどめるべき本ではなかったか(でも著者はむしろその後を書きたかったんでしょうけどね)と思います。

原題:BRAINWASHED The Seductive Appeal of Mindless Neuroscience
サリー・サテル、スコット・O.リリエンフェルド 訳:柴田裕之
紀伊国屋書店 2015年7月10日発行(原書は2013年)