野性派でいこう!

日々の徒然です。子供四人。自然派。遺跡発掘事務所でお仕事。遺跡発掘調査で働き、やっぱり描いたり書いたりする日々。

世界を見にいく@学園祭

2015-11-21 22:38:03 | 日記
本日は東京外国語大学の学園祭へ。

一年生が語科ごとに、専攻している国の料理の店をだす。

世界各国の料理を1日で食べることができるという大変面白い祭りなのだ。

昨年は、料理に虜になりすぎた。

反省を生かして今年は、室内展示などもくまなくめぐる。

世界各国の言語で名前を書いてもらえたり、
民族衣装を着れたり、世界のおかしがあったり。

ブラジルからの日系三世の留学生やメキシコからの留学生と話もした。


そうして、我々は南アジア研究会の部屋に足を踏み入れてしまった。

そこで、テレビで上映しているボリウッド映画に出会う。


終わりの十五分くらいしか見ていないのに、すっかり夢中!

オーム、シャンティ、オーム
というインド映画なのだ。

いきなり途中から見たのに、オペラ座の怪人を意識しているらしい演出に、マイケルジャクソンのミュージックビデオバリの作り込み感、
からの東洋のエッセンスが感じられる為に、なぜか歌って踊りアクションをするインド人俳優がジャッキーチェンに見えてくるという筋で。

しかも、輪廻の恋を描いているのである。

もう。すごすぎる。

その部屋を出るときには思わず、劇中歌を口ずさんでしまっていた。

魅惑のインドである。


さて、そんなこんなで大変に面白いお祭りを楽しんだ休日であった。

鉄塔物語

2015-11-20 20:49:57 | 日記
もう14年前。

上の子供たちが通っていた保育園で、開園記念日かなにかの時、保母さんたちと親と一緒に人形劇をして子供に見せようということになった。

東欧の物語がベースで、元気なボールが飛びはねて冒険する物語。

わたしは背景の絵を描いた。

鉄塔が出てくる背景。

その時、わたしの描いた鉄塔の絵を見て、園長先生が、
なぜ、地面から三角形の鉄塔が出ていないのか、と言った。

確かに、わたしは、鉄塔の脚がこちらに迫りくる壁のように、逆の傾斜をつけて描いたのだった。


ストーリーは、その鉄塔の上の方に雨雲があって、悪役の凧のムラクがその雲の中に住んでいる。

これから、元気な子供のボールは、凧のムラクと対決しようとするシーンだ。

ならば絶対に、
客観的に遠く見える三角形の鉄塔ではなくて、

ボールの子から見た、迫りくる壁の鉄塔でなくてはいけない。

と、思ったのだが、わざわざ説明しなかった。


その時のわたしは、逆にそういわれればそうだなぁ。と、初めて気がついておどろいて、説明するまで頭が回らなかったのだ。


でも、園長先生はそのままその絵を使ってくれた。

わたしは自分の感覚がちょっと人と違うということに気づかなかった。

たいてい、自分のままを出すといつもこっぱずかしい目にあってしまうのだ。

でも、園長先生がスマートにスルーして受け入れてくれたので、いま思うと大変ありがたい事だったなぁ。と、思った。


今日、仕事場のお山の上の発掘現場から、隣の敷地に立つ鉄塔を見ると、
やっぱりこちらに迫ってきている。

そして、写真を撮ってみるとちゃんと地面から三角形に立っているのである。

おやまぁ。

また、ちょっと驚いて、14年前の鉄塔にまつわるお話を思い出してしまったというわけなのだった。

わたしがママよ。

2015-11-19 21:37:05 | 日記
スーパーでかまぼこの裏を見ていた。添加物が入っているのかと。

次から次へと見ていると、ちょうど妖怪ウォッチかまぼこを手にとっているところで、お菓子売り場にいた末っ子がよってきた。

どうしたの、ママ!?
妖怪ウォッチかまぼこなんて!!
普通のママになろうとしているの!?

と、びっくりしている。

普通のママってどんなの?
と、聞くと、普通のママのいる家にはリビングに大きなテレビがあるんだよ。それからね…

いろいろ教えてくれ始める。

そう。わたしは
テレビ、でぇきれえ。

うちの屋根裏にある小さいやつだって、叩き壊して捨てたいくらいだ。


まぁ、そんなこんなで、末っ子にはわたくしが、普通のママとは思われていないことが判明した。

救いは、彼の口ぶりが、
もう蜃気楼である“普通”に対する切望も消えたみたいに、明るい事だ。


それから、二人で夕飯を済ませた。

そして、遅く帰ってくる大学生と高校生の子の分の夕飯を準備した。

鍋焼きうどんが自分ですぐできるセットである。

お惣菜コーナーのエビ天と水菜とかまぼこと卵を皿に並べた。

冷凍うどんの上に丸々乗せて汁を入れて火にかければ、あっという間に暖かい夕飯の出来上がりである。


それを見た末っ子は、

わぁ!
すごい!
普通のママ以上だね!!


と、興奮。

普通のママ以上の称号をいただけた。


しかし、彼はわたししか知らないのである。
彼の思う普通のママを一回見てみたいもんだなぁ。

ご飯制度新案

2015-11-18 20:57:26 | 日記
毎日のご飯。

悩みである。

お昼にお弁当を食べながら、もう夕御飯のメニューを考えているわたし。
偉いわ。


でも、いろいろやっていると、ご飯作りになかなか取りかかれない時がある。


先週の日曜日は、二十歳の長男が家にいて、フラりと近所を散歩にいって、帰ってきたときには、手に里芋と大根の入った袋をぶら下げていた。

白笹稲荷の裏の八百屋で里芋百円。で、この大根は、ご自由にお持ちくださいだったんだよ!

それから上機嫌で、豚汁を作ってくれた。

長男の豚汁は、具材を胡麻油で炒めてから煮込むので、コクがあっておいしいのだ。


こうやって、ご飯つくりたい人が作ってくれるもんはおいしいよね。

昼から考えているわりには、あんまり感動的なものが作れないわたしは思ってしまった。

わたしんちでは、年齢性別役割関係なく、ご飯つくりたい人がつくる制度が浸透しないかなぁ。
(わたしも、餃子だけは、誰にも手出しされずに作りたい)

自由がちょっと形になる。

2015-11-17 21:57:13 | 子育ての事
末っ子を、産まれた頃に抱っこしまくった。

お腹の中でも最近の赤ちゃんはなかなかストレスが多いらしく、
産まれたばかりの赤ちゃんなのに身体がガチガチで大変だった。

まだ手の内に抱けるうちに、首の後ろとセンコツに手を当てるように正面抱っこして、小刻みに揺らして脱力させて、
目をあわせてずっと話しかけた。

身体は脱力しているのに、目は自分の意思で使える。
これは、新生児にとってはなかなか高度なテクニック。
身体と脳を切り離して使うのだ。

赤ちゃんは白黒を認識するから、これをフラッシュカードでやる早期教育法もあるみたいだけど、
人間の赤ちゃんを育てているのだ。生きてないカードを見せるより、お母さんの目を見ているほうが断然いい。

首の後ろとセンコツに手を当てると、血流がよくなる。
首から脳にどんどん血液やらリンパ液やらも送られる。

実は、気のスポットもその二ヶ所にあるらしい。

西洋医学と東洋医学は切り口が違うだけで、案外同じ事を言ってるようだ。


それはさておき。
そんな事をたくさん、赤ちゃん時代にやった。

左手をギュッと固くにぎって麻痺しているほどの赤ちゃんだったので、抱っこして緩めて、暖めてマッサージをしてを、必死にやった。


いろいろやって、小学生になった今では、いたって普通のガキンチョである。


しかし、ピアノである。

実は、サッカーもやりたくなってしまったので、曜日の都合で、今月からピアノ教室を今までと違うところに変わった。

新しい先生は、今までのピアノの先生とちょっと違う。

教えかたがうまい方なのだろうが、
末っ子もすぐに反応して、二人でセッションみたいになる。

赤ちゃんの頃に、固くにぎっていた左手を、今では自由に使って、音楽で話をしているのである。

良かった。と思った。

あの頃は、ただ、目の前の赤ちゃんを自由にしてやろうと懸命に育てた。

彼がどんな大人になるかはわからないけど、
ピアノの先生と楽しそうにしているのを見て、本当に良かったなぁ、と、わたしはしみじみしていた。誰も気づかないと思うけれども。

末っ子、、、うん、もう。

2015-11-16 21:55:35 | 日記
また
末っ子の話で恐縮なのですが、

男の子って、なんでこうも武器が好きなんだろ。

家でも毎日、剣を作り、振り回し、ヌンチャクを回し、手裏剣を投げる。

オモチャの
と、わかっているのだが、イライラするのだ。

急にこちらに飛んでくるとびっくりするし。

「あああ!やめて!心臓がドキッとするから!」

と、言うと

「ああ。オレが格好良くて?」

と、真顔で言う。

どうしよう。いよいよ、付ける薬とやらを探すべきなのか。

末っ子、狂想曲。

2015-11-15 22:53:01 | 日記
末っ子である。

親のほうに、頑張り感のまるでない四番目である。

サッカーやりたい。

え?
当番とか役員とか、もう二度と嫌だし
休みの日にどこにもいけなくなる!!

わたしは、激しく抵抗し
表面的には聞こえないふりをし続けて
ついに四年生になった。

しかし、とうとう根負けしてしまった!

だって、近頃は休みの度に、
わたしのやりたいことと、末っ子のやりたいことが噛み合わなくて、イライラ。

そういえば、11月3日にお友達と二人だけで、待ち合わせをし、バスに乗って会場に行き、市民祭りを回ってきた。

事前の計画が驚くほど念入りで、何回も電話でも打ち合わせしていた。

何時のバスに乗るか(本当は歩いていける会場に、無料のシャトルバスに乗りたいがために反対方向の駅で待ち合わせ)、
持っていくおこずかいの額。
水筒などの持ち物。


そして、帰ってきた時に、いい顔をしていた。

無人島で、ではないけれど
この街をサバイバルして帰ってきた顔だな、と思った。

もう、お母さんと、じゃ、もの足りなさすぎるって事。


あああ!
仕方ない!
サッカーチームでもなんでもおやり!!

今日、体験に行った。
一足先に入団した友達たちが駆け寄ってきてくれた。
知らない人たちの輪に入って自己紹介していた。

いつもモジモジヘラヘラしているのに、はっきり大きな声だった。

さぁ、腹を決めるか。わたしも最後の母っぽい事をやりますか!


みんな、大きくなりました

2015-11-14 22:18:32 | 日記
今日は、雨だった。

末っ子の誕生日であった。
しかし、昼間はわたしと二人で極限までだらだらした。
これじゃあんまりだと言うことで、
長男と次女の帰りを待って、近所のお好み焼き屋さんに行った。


このメンバーでお好み焼きなんぞは初めてである。

注文から長男と次女が頼もしく、次女が誠に上手に焼いてくれるので助かった。
むしろ、わたしが手を出すと、注意を受けた。

今時の高校生なんかは、友達とお好み焼き屋にいくらしい。

慣れている若いもんにすべておまかせだ。

そして、末っ子の誕生日でもあるので、写真を撮った。見てみると、予想外におばさんのわたしに愕然。

そうか。世代交代だ。
と、肌で感じた。

でも、お会計で財布を開けるのはわたしだけであった。

そこのところももう少し、次世代チームがわかってくれれば完璧だぞ、と思った。

なには、ともあれ、末っ子の誕生日であった。

穴を掘る。

2015-11-13 22:58:55 | こころ
仕事で穴を掘る。

地面に黒い染みみたいなのが、ポツポツある。

それが、何かの遺構。

茶色いネトリとした、固い土に、黒いジャリジャリした土が入っていたりするからわかる。

ここを掘って、と指示されるから、掘る。

でも、すごく浅い穴の事もあるし

想定していたのより、大穴になるときもある。

土の違いで、わかる。
と、書いたけど、実際は木の根っこで土が混じっていたり、
徐々に穴が埋まっていったのか、
土が混じっていて分かりにくい場合もある。

それに、あんまり大きい穴だと、本当に正しく掘っているのか不安になる。

そんな時には確実なところの土を確かめに見に行ったり、ボスに確認する。


それでも、掘り進めると、必ず、穴の底にあたる。


井戸を掘ったときも、
1、8メートル掘って、

ユンボで地面を下げてさらに、2メートルくらい掘ったら、
井戸の底が出てきた。


底って、あるのだ。

同じだな。と、思う。

これでいいのかな。って思いながら、毎日を生きて、確信がないまま自分を掘り下げて。

でも、
そんな時は、穴たちの底を思う。

大丈夫。

必ず、たどり着く。

村上春樹の小説にも、モチーフとして、井戸を掘る、穴をたどるみたいなのがたまにでてくることがあるけれど、
底にたどり着いた話はあったっけ?


フフフ。
わたしは井戸の底まで掘った事があるもんね。

条件無しの愛

2015-11-12 21:09:33 | こころ
がんばれーっ!

って、あんまり好きじゃない。

みんなもうがんばってるし、
がんばってないともらえない条件付きの愛なんて
全然素敵じゃない。

ここは一髪ふんばらなきゃいけない時は、人ってわかるもんだし、

そういう時は、がんばれーって言われなくても、やっちゃうもの。


明らかに子どもも四人目ともなると、そんなスタンスになってきている。


大丈夫。大丈夫。やるときはやるでしょ、あなたなら。
と、子どもたちの事は信頼できる。


でも、

わたし、自分に対してはどうだろう。

仕事でヘマをしたり。
事が予定通りにうまくいかない。

なんだか、頑張れない。


そんなとき、
ダメだなぁ、ワタシ。
って、落ち込む。

これはどうなんだ?

自分の事、ダメダメだらけだと愛せない。

それって条件つきの愛じゃないの?

それって、ご先祖さまたちの存在も否定しちゃう事にならないかい。


なんでもいい。

存在してんだからいい。

そんな風に自分に言ってあげられるかな。

これ
けっこう大きな修行なのかもしれない。


眠たすぎて、全然文章推敲する暇もなし。
自分自身の覚え書きみたいなもんとして、ここに記す。