野性派でいこう!

日々の徒然です。子供四人。自然派。遺跡発掘事務所でお仕事。遺跡発掘調査で働き、やっぱり描いたり書いたりする日々。

産み落とされる、直前の。

2016-01-28 21:43:04 | 子育ての事
巷には、右を見ても、左を見ても、キャラクター。

商業の沼から産まれ出でた形象の人格が、ニコニコ愛想をふりまいてくる。


わたしはテレビが大嫌い。
キャラクターモノも嫌い。
ダサい。


世界には、もっともっと素敵なものがたくさんあるから、子らが小さい頃にはわざわざダサい塊人形を身近に置くことはない。
というスタイルを貫いた。

もっと嫌なのは、キャラクターのフォルムが子の想像力を固定してしまうこと。

例えば、人類がどうやって文字を産み出したかを考える。

文字になる前のモヤモヤしたものがたくさんたくさんあって、そこから創りだされてきたんだと思う。

同じように、子供の創る力を信じるならば、

安易に文字やキャラクターを馴染ませる大人にはデリカシーがない。という一言につきる。


仕事で縄文土器に触れる。
シンプルなパターンの繰り返しと組み合わせで、すさまじいバリエーションの文様が存在する。

シンプルなパターンが、リズムを産んでいる。

自然界のありとあらゆるものの形象と同じだ。
麦の穂の粒々。蔦の描く螺旋。打ち寄せる波の反復。
文字を持つ以前の人々の造ったモノから圧倒される。

子供、それ自体がリズムそのものである。

キャラクターやら、文字教育には、それを固定化してしまう力があるような気がして、わたしは怖かった。

まぁ、今時、こんな事を言うママなんてよほど神経質でしょうけど。

それに、アレダメ!コレダメ!って言う大人が一番ダサい!!

文字やキャラクターやテレビを遠ざけるには、スマートに。
そう、生活自体がスマートならば、大丈夫なのだ。

どうか小さな子供たちの出会う世界が、平和で穏やかでありますように。

そんな、気持ちを込めて、あえて、キャラクターやら文字のはなしをなんで今頃書いてみたかな。