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安井金毘羅と建仁寺

2013-05-11 | 気まま旅

「安井神社」安井金毘羅。
藤・山吹の名勝の地であり、天智天皇の治世に藤原鎌足が当地に藤原家一門の繁栄を祈願した仏堂を建立し、藤を植樹して藤寺と号した。
崇徳天皇は藤寺の藤を愛でるとともに、寵愛した阿波内侍を住まわせて、たびたび御幸した。
崇徳上皇は讃岐国に流刑になった後、阿波内侍に自筆の尊影を下賜した。崇徳上皇が讃岐国で崩御すると、悲嘆にくれた阿波内侍は出家して尼になり、崇徳上皇の自筆の尊影を藤寺観音堂に奉納して、日夜ひたすら勤行した。

治承元年(1177年)、崇徳上皇の自筆の尊影が奉納された藤寺観音堂に大円法師が参拝した際、崇徳上皇の霊が現れたことから、後白河法皇の詔によって建治年間(1275年-1277年)に光明院観勝寺が建立されたのが当社の起こりとされる。

東山区中央に鎮座する


崇徳上皇の尊霊の鎮魂のために堂塔を建立して仏堂に准胝観音を本尊として祀り、奥の社には崇徳天皇を祀るとともに、金毘羅権現・源三位頼政を合祀し、安井の金毘羅と称したとあり、「崇徳帝・金毘羅は一体にして和光の塵は同じうして擁護の明眸を... 利生霊験いちじるし」と記されている。
明治6年(1873年)村社に列し、1882年郷社に昇格し「安井金比羅宮」の名称となり現在に至る。

本殿                            境内



「建仁寺」、臨済宗建仁寺派総本山、京都最古の禅寺 、1202年日本に初めて茶をもたらし、茶祖と称される「栄西禅師」が開山。
華やかな風神雷神図、法堂には迫力の双龍図が。

「栄西」 1141-1258 日本臨済宗の開祖 延暦寺で学び、入宋し仏書を天台座主に献じた。再び入宋して臨済禅を学ぶ。
「興禅護国論」を書いたが反論され鎌倉の北条政子の寺の「寿福寺」の住職にとなり、二代将軍頼家が建仁寺を建てその住職に。
天台、真言、禅の三宗の道場を兼ね安全をはかったと云う。三代将軍実朝に「喫茶養成記」を書いている。

伽藍は、勅使門、三門、仏殿、方丈、大小書院、、、。


山号東山、本尊釈迦如来、「源頼家」の保護を受け、土御門天皇は、官寺と定め年号を寺名を与えている。
1258年円爾弁円、蘭渓道の時代に禅宗寺を確立させている。

本殿                    双竜図                   境内


足利義満京都五山制度を定め、第三位となる。伽藍は、勅使門、三門、仏殿、方丈、書院が南北一列上に並ぶのが特徴
左右に14の塔頭が建ち並ぶ、勅使門は、鎌倉時代後期の禅宗総門を伝えている。

鎌倉時代の禅宗総門                           境内



方丈は、室町時代のもの、
開山降誕会(禅宗茶会)・開山、栄西忌などが知られている。
重文ー風神雷神図、十六羅漢像、竹林七賢図など多数ある。

末寺
   

次回は、伏見稲荷神社へ。  

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