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富士吉田道の駅と忍野八海

2013-09-05 | 富士山麓日記

「 道の駅 富士吉田」富士山の恵みの名水の道の駅で知られている。
富士山に降った雨や雪が溶岩層によってろ過された伏流水は、健康効果が注目されている「バナジウム」の含有量が高い名水として特に人気。その富士山の天然水を使い、ドイツ仕込みの醸造法で本場の味を再現した地ビール「ふじやまビール」が飲めるレストランも併設している。

中央自動車道河口湖I.Cから約5km、国道138号線沿い。

道の駅富士吉田は、隣接する富士山親水公園に、「富士山レーダードーム館」が併設されており、かつて富士山測候所で使用されていた気象レーダードームが移設・展示されている。

富士吉田道の駅の駐車場はいつもいっぱい。湧水を汲みに来てる人も多い。
  

道の駅国道を挟んで、「吉田市歴史民俗博物館」がある。
市の歴史・民俗・産業資料を展示、明治時代の参道沿いの家並み模型や織物道具の展示など、富士山信仰と甲斐絹織の資料が充実。
廃れてしまった吉田歌舞伎の衣装など、一帯はサンパークふじと名付けられた公園で、古い農家や御師の家が移築・復元されている。

   


「忍野村」は、山梨県の東南部の富士山の麓にあり、北東に都留市、北西に富士吉田市、南に山中湖村があり、富士河口湖町、西桂町、鳴沢村、山中湖村、道志村とともに南都留郡に含まれている。
南に富士山、東に石割山といった山々に囲まれた標高963メートルの所にあり、桂川や新名庄川の2つの川が東西に流れている。
東西がおよそ8キロメートル、南北がおよそ4キロメートルほどで、総面積は25.15平方キロメートルの広さ、村内は、内野地区と忍草地区に分かれており、約3,400世帯、約9,200人(平成25年5月現在)が住んでいる。

米づくりのほかに、高原にあった作物(高原野菜)が作られ、各地に送られ、忍野八海や、ハリモミ純林に代表される美しい自然に囲まれており、観光地としても有名。
夏になると多くの観光客が訪れ、忍野村の豊かな自然や交通の便を活かして、プラスチックやロボットの工場が増えていると云う。
 


宇津湖(忍野湖)の水は、長い年月をかけて枯れていきましたが、富士山の伏流水を水源とする湧水池がいくつか残り、その代表的なものが
「忍野八海」。
江戸期代、古跡霊場として富士道者(修行者以外の一般の登山者)はこの池で水垢離(水行:神仏に祈願する前に、水を浴びて身を清め,心身を清浄にすること)をしてから富士山に登りました。
宝永元年の(1704年)、忍野村一帯は幕府直轄領となり、人々は干上がった場所を畑にし、度重なる災害や村の人口が増えるたびに、次々と低い土地へ移動して住むようになり、今から50年程前まで、周囲の山の中腹までを畑として利用されていたと云う。

藁葺きの屋根が葺き替えられて新しい。


明治8年、旧内野村と旧忍草村が合併し、忍野村となる。
元々湖の底だった忍草地区は米づくりに不適な場所で、開墾事業を進め、村内に用水路が整備されるなど、徐々に村は豊かになっていった。

第二次大戦後、忍野八海に代表される自然資源を活用した観光業が盛んになり、工場など、昭和59年が移転し、村の人口が増加。現在に。




  

山梨県南都留郡忍野村忍草、湧泉、国指定天然記念物。
湧池、出口池、底抜池、銚子池、お釜池、濁池、鏡池、菖蒲池の八つの池からなる。
湧出量、季節による水温の変動もほぼ一定であり、富士山の地下水が水源と考えられている。
山中湖とともに桂川の水源として、忍野村などの上水道、灌漑、養魚場の水源としても重要。
江戸時代から富士講の人々が八海巡りをした霊場であった。
ここからの雪の富士の展望も優れ、季節を問わず観光地となっている。

澄んだ水に写る樹木や魚。
  

天然記念物である「忍野八海」は、富士山の伏流水に水源を発する湧水池。
富士信仰の古跡霊場や富士道者の禊ぎの場の歴史や伝説、 富士山域を背景とした風致の優れた水景を保有する「忍野八海」は、世界遺産富士山の構成資産の一部として認定された。

    


  

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