syuの日記・気まま旅

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伝説の高尾山

2012-05-15 | 気まま旅

権現堂、権現堂 飯縄権現を祀る。本尊飯縄権現、薬王院の中心となる本社で、飯縄権現を祀る社殿である。
現在の社殿は、1729年に本殿が建立され、1753年に幣殿と拝殿が建立。江戸時代後期の代表的な神社建築で1952年に都指定有形文化財に指定。
入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ権現造である。社殿全体に華麗で極彩色の装飾がなされていることが特徴である。

山上の諸堂・神変堂、本尊、神変大菩薩。神変大菩薩とは修験道の開祖役小角のことで、日本各地の霊山で修行し、高尾山でも修行したと伝えられる由縁から、
ここに祀られている。様式は入母屋造唐破風付である。

八大竜王堂、本尊、八大竜王、1993年に建立。手水舎のようになっており、ここで硬貨を洗うとよいとされている。

倶利伽羅堂、本尊、倶利伽羅竜王、1997年に建立。
本坊のそばの洞窟内に弁才天が祀られている。古くから祀られていたが、いつのまにか荒廃していたため、1926年に再興。
愛染堂、本尊、愛染明王、1994年に建立。様式は宝形造唐破風付。聖天堂、本尊、歓喜天(聖天)、1997年建立。様式は宝形造。

奥の院 不動堂 不動明王を祀る。大師堂、本尊、弘法大師、江戸時代中期の建立で、1978年に都指定有形文化財に指定。四方3間で宝形造向拝付の銅版葺。

天狗社、本尊、大天狗・小天狗、高尾山に古くから住むといわれる天狗を祀っている。大小2社の神社からなっている。両社とも一間社流造である。

「福徳稲荷」本尊 稲荷神 一間社流造唐破風付の社殿で、極彩色の装飾がなされている。「奥の院 不動堂」本尊:不動明王 薬王院の奥の院である。
江戸時代初期の寛永年間(1624年-1644年)の建立で、1953年(昭和28年)東京都指定有形文化財に指定される。四方3間の宝形造向拝付である。



高尾山の自然が森林がどう守られてきたが、中世には、八王子城主北条氏照による「本山の竹木の伐採を禁じる」という制札が薬王院に残されており、
江戸時代にも幕府直轄領となり八王子代官・大久保長安が山林保護政策をとり、その書状が同じく薬王院に残されている。その後も帝室御料林、国有林と
常に保護されてきた。明治以降、牧野富太郎をはじめ、多くの研究者により高尾山が最初の発見地として新しい植物が発表された。

山頂から東側は八王子市や相模原市などを中心とした関東平野の街並や、筑波山、房総半島、江の島まで眺めることができる。また西側は丹沢山地や富士山を見渡せる。
冬至の前後数日間には、富士山の真上に太陽が沈むダイヤモンド富士を見ることができる。また八王子八十八景にも選ばれている。
高尾山には古くから天狗が存在しているとの伝説もある。





 
高尾山の天狗伝説「ばちあたり」
むかし、高尾に鉄道が敷かれる頃の話。線路工事にはたいそうな人手が必要とのことでいろいろなところからたくさんの工事作業者がやってきた。
その中には東京から来るものもあり、「なんで自分は高尾みたいな田舎まできたんだ、高尾の田舎は馬鹿ばかりだ」と周りの仲間をさんざん馬鹿にした。
中にはひどいやつもおり、「高尾の天狗がなんだ、天狗なんぞ小便かけてやる」と高尾のお山に向かってどなる始末。そんな奴等は、暑い夏は、
適当に休み休みしてお天道様が高いうちに早々と切り上げて帰ってきた。

ところがある日、夕方になっても帰ってこない。心配していると「おおい、あの不信心な不届きものがいなくなったぞと連絡がはいったではないか。
みんなで山の尾根伝いに一生懸命さがし始めた。すると土地の長老が
「あいつは普段から高尾の天狗様を馬鹿にしていたので、怒りに触れて、罰があたったんだぞ。どこかにさらわれていったんだ」と。
そこで高尾の山まで足を伸ばして捜していると、灯かりで照らされた杉の大木の途中になにか黒いものがある。
よく見ると藤のつるでぐるぐるに縛りつけられたあいつではないか、、、、。

  

高尾山不動院は、ケイブルカ―下、不動院が旧登山道の右側にある。

       

                             不動院本殿
  

次回は高幡不動へ。 

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