今日は開館しておらず、残念ながら中は見られなかった。
無藝荘 は、小津安二郎が昭和30年頃から蓼科の別荘として利用していたかや葺き屋根の建物です。2003年に、小津の生誕100年を記念し、建物の保全の為、数100mはなれた現在の場所 (プール平) へと移築されました。
小津は 東京物語 をとり終えた頃、蓼科にあった、脚本家、野田高悟の別荘、雲呼荘 を訪れ、それ以降、仕事場を蓼科に移し、没するまでの 7作品すべてのシナリオがここで書かれたという事です。
なお、野田高悟の別荘であった雲呼荘は既に取り壊されてしまっており現存しません。当時の小津と野田、来訪者や蓼科の様子は、雲呼荘に備え付けられていた日記である蓼科日記 に克明に記されているそうです。
縁側が細い、写真でわかるでしょうか? 6尺は無く4尺でしょうか?今はあまり見ないですね。
軒下のベンチ
家の裏側、窓が細かく設定され、水道、暖房設備等の器機が見えます。中を見てみたかったです。