限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

通鑑聚銘:(第60回目)『黄巾の乱の濫觴』

2010-12-25 19:00:16 | 日記
この通鑑聚銘の第一回目に次のようなことを書いた。

『。。。現在の中国のいろいろな問題、共産党幹部の賄賂・汚職、環境問題、チベットやウイグルの民族問題、都市と農村の格差問題、これらの問題の類似の事例が資治通鑑には必ず見つかるのだ。ビジネススクールでは、ケースと呼ばれている、過去の実例をベースに思考訓練する科目がある。まさにこの意味で資治通鑑は『中国に関するケースの缶詰』である。』

私のこの意見を実証する例を取り上げてみたい。

記憶に新しいことと思うが、最近(1999年)中国で大人気の気功集団である法輪功が大掛かりな弾圧を受けた。詳しい経緯については、分からないが、Wikipediaで得られる情報から判断すると、法輪功が急速に信者を増やしていくのを中国政府がその勢力拡大の早さに恐れて弾圧を開始したということのようだ。法的に違反をしているなら、取り締まるのは何も後ろめたいことはないが、多分そうではないであろう。つまり、我々日本人の感覚からすると取り締まるに値する十分な容疑がないまま、単にその勢力(1億人以上の信者と言われている)の拡大を恐れて、コトが起こる前に取り締まったと言うのが実情(らしい。)

私は、人権擁護の立場ではなく中国の為政者の立場に立てば、取り締まりに走った理由が分からなくもない。つまり、中国の民衆が集団となって盲目的にある行動に移ったときの恐怖は底知れないものがある。歴史的に言えば、新末の赤眉の乱がそうであり、また後漢末の黄巾の乱がそうである。資治通鑑でその様子を見てみよう。

***************************
資治通鑑(中華書局):巻58・漢紀50(P.1864)

初め,巨鹿の張角が老子の術を使って『太平道』という怪しげな教えを広めた。呪いをかけた水を振り掛けて病気を治したり、単に病人を膝まづかせ首をなでるだけで病気が完治した。それでますます信者が増えた。張角ひとりでは足りなくなったので、弟子達を四方に派遣して僅か十年の間に信者が10万人を超えた。青州を初めとして8州ではこの宗教に加入しないものは無かった。あるいは財産を売り払って寄進し、張角に近づこうと街道は人で溢れ返った。病気にも罹らず天命を全うするものが続出した。その内、に張角は善行や教化を行う人だという評判が立ち、いよいよ人々の帰依を集めるようになった。

初,巨鹿張角奉事黄、老,以妖術教授,號「太平道。」咒符水以療病,令病者跪拜首過,或時病癒,衆共神而信之。角分遣弟子周行四方,轉相誑誘,十餘年間,徒衆數十萬,自青、徐、幽、冀、荊、揚、*AB5E、豫八州之人,莫不畢應。或棄賣財産、流移奔赴,填塞道路,未至病死者亦以萬數。郡縣不解其意,反言角以善道教化,爲民所歸。

初め,巨鹿の張角、黄・老に奉事し、妖術を以って教授し「太平道」と号す。呪符の水を以って病を療し、病者をして跪拝せしめ首を過ぐるに,或いは時に病、癒ゆ。衆ともに神とし、これを信ず。角、弟子を分遣し、四方を周行せしむ。転相、誑誘すること,十余年間,徒衆、数十万。青、徐、幽、冀、荊、揚、刑、予、より八州の人,畢応せざるはなし。或いは財産を棄売し、流移、奔赴し,道路を填塞す。いまだ病死に至らざるもの、また万数を持ってす。郡県、その意を解せず,反って言う、角は善道を以って教化し,民の帰するところとなる、と。
***************************



つまり、後日黄巾の乱と言われる首謀者、張角は当初、民を善導する社会改革派と思われ、行政官からも評価されていたというのだ。しかし、この動きを不穏と見ていたのが司徒(司法長官)の楊賜で、まだ勢力が虚弱のうちに早めに芽をつんでおくのがよいと進言した。

***************************
資治通鑑(中華書局):巻58・漢紀50(P.1865)

太尉の楊賜は当時司徒(司法長官)であったが、上書して申し上げた「角は百姓を誑かし煽っている。もしこのまま放っておくとその勢力はますます増強して侮れないものになりますぞ。もし今なら、州郡の官吏に伝達して幹部を捕えに行けば、恐らくは混乱を招き、暴動がおこるでしょう。そうしたら地方官に命じて、暴動に加わった者を説得して元の村に返しさえすれば、自然と暴乱も収まることでしょう。そしたら、首謀者を捕えることができ、騒ぎも難なく収めることができましょう。

太尉楊賜時爲司徒,上書言:「角誑曜百姓,遭赦不悔,稍益滋蔓。今若下州郡捕討,恐更騷擾,速成其患。宜切敕刺史、二千石,簡別流民,各護歸本郡,以孤弱其黨,然後誅其渠帥,可不勞而定。」

太尉・楊賜、時に司徒たり,上書して言く:「角、百姓を誑曜す。赦に遭い、悔らず,いよいよますます滋蔓す。今、もし州郡に下して捕討せば,恐らくは更に騒擾し,速やかにその患をなさん。宜しく切に刺史、二千石に勅し,流民を簡別しおのおの本郡に護帰すに,孤弱、其党をもってし,しかる後、その渠帥を誅せば、労せずして定むこと可なり
***************************

太尉であり司法長官も兼ねる楊賜は、張角の勢力は必ずや後漢の脅威になると考え、勢力が未発達の時にその芽をつぶしてしまえと進言した。しかし、世故に疎く暗愚な霊帝は、この進言をまともに取り上げず、そのまま放置した。ところが、この張角の勢力が結果的には、後漢を倒す原動力となるのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする