限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

希羅聚銘:(第51回目)『娘の自由を守るためと、ウェルギニウスが娘を刺殺する』

2010-12-23 17:41:39 | 日記
Livy, History of Rome (Livius, Ab urbe condita)
(英訳: Loeb Classical Library, Benjamin Oliver Foster, 1922)

前回から続く。。。

ルキウスが早馬を仕立て、ウェルギニアの父親のウェルギニウスに状況を伝えて、一刻も早くローマに戻るよう伝令を送った。一方、アッピウスは、父親のウェルギニウスを兵営に留めておくように軍の隊長に向かって、これまた伝令を走らせた。しかし、僅かの差で、ルキウスのメッセージを先に受け取ったウェルギニウスがローマへと駆け戻った。

翌朝、ウェルギニウスは娘のウェルギニアを連れて、フォールムに姿を現した。そして集まった人たちの間を縫いながら、アッピウスの非道を訴えた。

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 Book3, Section 47

ウェルギニウスはこのようあたかも公訴するかのように人々に訴えた。許婚のルキウスも人々に訴えた。しかし、それよりも付き添ってきた女達の方がより人々の心に訴えた。というのは彼女達は無言で、ただただ泣くばかりであったから。

 Haec prope contionabundus circumibat homines. Similia his ab Icilio iactabantur. Comitatus muliebris plus tacito fletu quam ulla vox movebat.

【英訳】Pleading thus, as if in a kind of public appeal, he went about amongst the people. Similar appeals were thrown out by Icilius; but the women who attended them were more moving, as they wept in silence, than any words.
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よく日本は情で西洋は理であると言われる。特に、グローバルスタンダードと称して、論理的に説明しないと意味なしと思われている。しかし、その西洋と雖も、ここで見られるように情への訴えの方が効果を示す場面はよくある。ただ、日本との決定的な違いは、この情への訴えが必ずしも理の決定を覆すまでの力を持たないことであろう。というのは、アッピウスが、たとえ強引な裏工作をしたとしても、ウェルギニアが彼の婢だという判定が確定したあとは、皆は情ではなく法の決定に従ったのだ。

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 Book3, Section 48

ウェルギニウスはもうどうにもならないことを悟り、次のように言った。『アッピウスよ、娘にたいする父親の情から君に少々行き過ぎた発言をあったことを赦して欲しい。また娘の面前で、この乳母に、私が父親を詐称していた、と言ったのは一体どういう訳かを確かめさせてほしい。言い訳を聞いたら、おとなしく引き下がろう。』アッピウスはウェルギニウスの(最後の)頼みを許したので、ウェルギニウスは娘のウェルギニアと乳母をフォーラムの脇にあるクロアキナ(Cloacina)とよばれる店に連れていった。やにわに、近くにいた肉屋の包丁をむしりとるや、『娘よ、こうでもしないとお前を自由にしてやれないのだ!』と叫び包丁で、娘の心臓を突き刺した。そして裁判席に振り向くや、『アッピウスよ、この血をお前の破滅の道ずれにするがよい!』と罵声をあびかけた。

 Tum Verginius ubi nihil usquam auxilii vidit, 'quaeso' inquit, 'Appi, primum ignosce patrio dolori, si quo inclementius in te sum invectus; deinde sinas hic coram virgine nutricem percontari quid hoc rei sit, ut si falso pater dictus sum aequiore hinc animo discedam.' Data venia seducit filiam ac nutricem prope Cloacinae ad tabernas, quibus nunc Novis est nomen, atque ibi ab lanio cultro arrepto, 'hoc te uno quo possum' ait, 'modo, filia, in libertatem vindico.' Pectus deinde puellae transfigit, respectansque ad tribunal 'te' inquit, 'Appi, tuumque caput sanguine hoc consecro.'

【英訳】Then Verginius, seeing no help anywhere, said, "I ask you, Appius, first to pardon a father's grief if I have somewhat harshly inveighed against you; and then to suffer me to question the nurse here, in the maiden's presence, what all this means, that if I have been falsely called a father, I may go away with a less troubled spirit."  Permission being granted, he led his daughter and the nurse apart, to the booths near the shrine of Cloacina, now known as the "New Booths," and there, snatching a knife from a butcher, he exclaimed, "Thus, my daughter, in the only way I can, do I assert your freedom!"  He then stabbed her to the heart, and, looking back to the tribunal, cried, "It is you, Appius, and your life I devote to destruction with this blood!"
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平民のウェルギニアにとって、たとえ相手が貴族のアッピウスであっても、傲慢にも無理に娘を奪おうとすることは許すことはできなかった。自分の意思に反して行われることに対しては、命を懸けてでも抗(あがら)うことが彼には当然の帰結であったと言える。ここに私はヨーロッパ人が考えている自由に対する強烈な意識を感じる。つまり、自分が納得して妥協することはあっても、自由意思に反しては何事も行うことを許さない。この自由の絶対的尊重が、『自由か、さもなくば死か』というスローガンに結実している、と私には思える。近代においては自由が人権という形をとって法制化された。従って、自由に対する強烈な願望がない所には本当の人権も存在しない、と言えよう。

さて、我が手で娘を刺し殺したウェルギニアはすぐさま逃亡し、フォーラムは大混乱に陥った。
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