限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第116回目)『私の語学学習(その50)』

2010-12-09 00:08:49 | 日記

前回から続く。。。

私が今まで学んだ語学をまとめてみると、
英語(中学校から)、ドイツ語(大学から)、フランス語(大学の時に2年ばかり)、漢文(高校生の時と、社会人になってから)、ギリシャ語・ラテン語(10年ほどまえから)、オランダ語(数年前に少し)。

総括すると、近代語(4ヶ国語)、古典語(3ヶ国語)になる。但し、ある程度自信を持って言えるのは、英語、ドイツ語、それと漢文の3つにしか過ぎない。フランス語は読むのは何とかなるが、会話は旅行者会話程度の低さである。オランダ語は、『私の語学学習(その47)』で述べたような Google の自動翻訳機能と辞書を使うことで文章の意味を取ることはできるが、会話はまるで駄目である。ギリシャ語・ラテン語は、まだまだ初級者のレベルに留まっていて、英語やドイツ語の対訳を読み、辞書をひきながら、どうにか理解できるが、それでも分からない所がまだまだ多い。

このようにそれぞれの言語の習得レベルに差があるので、私の中に語学に関する初級者から上級者までが一通り混在している。そのため、自分自身の語学学習を振り返ると、なぜ特定の語学が良く出来て、別の語学はできないのか、という理由が見えてくる。それは相性と、いうようなあいまいな、感性的な部分も否定できないが、基本的には方法論的な観点で論理的に説明できる。

私の経験から、語学全般ではなく、英語に絞って、読む・書く・話す・聞く、について上達する方法を以下に述べよう。

【読む】
○文章の内容に関する知識が一番重要であろう。これさえあれば、文章理解は何とかなる。その次に重要な要素は、単語力である。例えば、英文を Google の自動翻訳で訳してみると分かるように、文法的におかしくてもある程度理解できる。文章読解力が伸びないと嘆く前に、じみちに単語力を増やそう。

○スポーツでもそうだが、基礎体力づくりが欠かせない。読解力もそれと同様で、まずは基礎体力づくりが必要だ。具体的には、文章をたくさん読むことだ。つまり文法的に解釈をして正しく理解するという脳をつかう作業より、分かっても分からなくてもよいからとにかく文章をたくさん読むことだ。先ずは5000ページを達成すべし。

○最終的には、やはり文法が分かっていないと文章の意味を正しく 理解することはできない。学校文法は受験にしか役立たないように 言われているが、いわれなき誤解で、完全に間違いである。 やはり文法という骨格がしっかりしていないといけない。


【出典】『ギリシャ人って物理学がこんなに好きだなんて知らなかったわ。』

【書く】
○書く時の最大のポイントは、言い回しが英語的であるかということと、文法の2つである。先ず言い回しが英語的というのは、高校レベルでは良しとされる英借文では駄目だということだ。つまり、日本語をそのまま英語に訳してはいけない。喩えれば、豚肉を食べたら、腕の一部が豚のようになり、牛肉を食べたら、足の一部が牛のようになる、などというバカなことはない。何の肉でも、我々の体の中では一度アミノ酸にまで分解されてそれから体の部分となる。これと同様、日本語から英語の文を作るときには、日本語を一旦分解してそのエッセンスを吸収したあとに英語としての文を作る必要がある。

○文法が重要である、というのは全てに共通するが、とりわけ書く場合は、特に文法的に細部わたってチェックする必要がある。私もそうだが、我々日本人が一番悩むのが冠詞であろう。 a か the か、あるいは複数形かそれとも無冠詞か?所有格をつけるか、それとも冠詞をつけるか?正直な話、私は今でも完全には理解しているとは思っていない。今でも迷っているのだが、ここ20年近く常に意識しているので、徐々にではあるが正しく書ける割合が増えている。要は自分の書く文を文法的観点から常にチェックするくせをつけることだ。

○最終的に書く技術を上達させる王道はやはり、たくさん書くことである。『私の語学学習(その31)』でも述べたように、私が英文を書くのに慣れたのは、5年もの間、たくさんの英文を書いたからであるといえる。質をうんぬんする前にまず、実際にたくさん書くことが必要である。会話との関連でいうと、自由に書けるようになると話せるが、その逆は正しくない。つまり、書くという作業は、会話の基礎トレーニングも兼ねているということだが、この事実はあまり知られていないのではないかと思う。

【話す】
○これは『私の語学学習(その35)』でも述べたように、短文をナチュラルスピードで繰り返し練習することが、のろいようでも最短である。しかし、この方法は退屈きわまりないので、大抵の人は続かないであろう。それで、商業主義に染まった英会話教材会社は、それを逆手にとり興味をもって続けられるように、と口実をつけて、いろいろと別の話題を挟み込んでいる。しかし、私の考えではこれらの趣向は【話す】能力を上達させる観点から言えば、すべてマイナスである。世の中に存在するかどうか分からないが、繰り返し練習させることだけを徹底的に特化した教材を探して、それをお経を読むように意味など関係なく、ただひたすら繰り返して声に出して話すことに尽きる。

○ここでも文法の重要性を強調したい。具体例を挙げた方が分かり易いと思うので聞いて欲しい。最近ある会議で、英語をかなり流暢に話す日本人がいた。普通の人が聞けば、すごく上手に話しているように聞こえたはずだ。しかし冷静になってちょっと注意深く聞いていると、文法的にかなり間違っていたことが分かった。例えば、 one of the big city という風に必ず複数形にならないといけない所が単数のままであったり、動詞が抜けていたり、現在完了受身形が正しくなかったり、過去の事実と反することを話す仮定法過去完了形が正しく言えていなかったりしていた。

このような話し方をすると、たとえ発音やイントネーションが一見ネイティブのようでも、本国人にとっては、ブロークンにしか聞こえない。この人は学生時代に文法をマスターしていないということが明らかだ。しかし、この人は英語をマスターする環境に関してはかなり恵まれている状況にあった。つまり、この人は欧米の名のある大学に留学して博士号をとり、かつ国際機関で十年近く働いたキャリアを持つ人であったのだ。こういった経歴をもちながら、私でもわかる初歩的な文法ミスを数多く犯しているという事実には驚くというより、つくづく情けなく感じた。それと同時に私は文法を常に意識することの重要性を再認識した次第であった。

○英語で話すとなると、言いたいと思っていることでもそれを表現するための単語や言い回しが出てこないことが多い。それで、【話す】という観点で必要なのが、いいたい事を別の表現に言い換えることができるか、あるいは、本当は一言で言えることを幾つかのフレーズに分解して言えるか、ということである。これができるというのは、どちらかというと語学能力というより機転、あるいは発想転換能力に近い。また場合によっては、自分から述べるというより、わざと質問形にして、相手に言わせるなどの高等テクニックを繰り出すことも必要とされるであろう。

○話すというのは、書くと異なり、聴く者の心に直に響かせる言葉を述べることができなければならない。この意味で、話し方、つまり話法も重要な要素である。日本語でも話しべたであれば、当然英語でもそうであろう。したがって先ずは日本語で、話し慣れる練習をすべきである。

【聞く】
○世界中には、英語のネイティブと全く異なる日本人泣かせの発音をする人がかなり多い。しかし私の経験からいうと、概して英語を外国語として学んだ人の発音は、本国人(ネイティブ・スピーカー)より分かり易いケースが多い。ネイティブ・スピーカーの発音に慣れようと思えば、やはり自分で正しく発音できることが必要である、と私は考えている。

○【聞く】能力には、短距離走と長距離走に相当する2つの別種の能力がある。短距離とは、短文を聞いてすぐさま反応することであり、長距離とは論文調の長い文を聞いて、十分に内容を理解してから反応することである。大抵の人が英会話教室やCDなどで学んでいるのが、前者の短距離の能力であろう。私は、短距離の能力より断然、長距離の能力をつけるべきだと考えている。つまり長距離の能力なくしては、相手とまともに議論できないからである。しかし、長距離の能力とは、実は【読む】の能力と直結しているので【読む】の向上なくしては、【聞く】能力の向上はありえない。従って、物理的に音を聞きとる、という訓練は実は枝葉末節であり、【聞く】能力向上の真の練習は読むことであると私は考えている。この意味で、基本的に英語に上達するには、月並みではあるが、大量に文章を読むこと、これに尽きると言ってよい。

以上で50回にわたり連載してきた『私の語学学習』を終わる。私の個人的な経験の範囲で書いたので、内容の客観性は保証できないが、私はかなり一般化できる理論も含んでいるのではないかと、期待している。

(完)

コメント (3)
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