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限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

通鑑聚銘:(第61回目)『黄巾の乱の勃発と同時に横行する略奪』

2010-12-31 12:05:53 | 日記
三国志は中国人のみならず日本人にも大人気である。それは、個性の際立った武将達が乱立し、それが三つ巴となって天下を揺り動かしていくそのダイナミックさが受けるのであろう。曹操の冷徹さの対極にあるのが、劉備の義と厚情、武勇と計略に長けた孫権。関羽や張飛の武勇と劉備との桃園の誓い。弱小国の蜀を支える諸葛孔明が繰り出す智謀の数々。赤壁の戦いにおける黄蓋が仕組んだ苦肉の策など、興味がつきない。しかし、彼らのいづれも世の中が乱れて初めて活躍の場を見出すことができた。それは、曹操が許劭から『貴方は、平和な世では単なる有能な役人に過ぎないが、戦乱の世には大出世するお人だ。』 (子,治世之能臣,乱世之姦雄)と評されたことに端的に表わされている。

彼ら三国志の英雄達を生み出した戦乱は張角の妖しげな宗教団体、太平道がきっかけであった。

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資治通鑑(中華書局):巻58・漢紀50(P.1865)

張角は36箇所に軍隊を配置した。人数は多いところでは、一万人、少ない所でも6千人もの兵を配置し、指揮官を任命した。そして『蒼天已死、黄天当立(青天は寿命が尽き、黄天が勃興する)。その年は甲子で、天下は太平になる』という噂を広めさせた。白墨で都や地方の官庁の門の至るところに「甲子」の字を書かせた。

張角遂置三十六方,方猶將軍也。大方萬餘人,小方六七千,各立渠帥。訛言:「蒼天已死,黄天當立,歳在甲子,天下大吉。」以白土書京城寺門及州郡官府,皆作「甲子」字。

張角、遂いに三十六方を置く。方とは将軍なり。大方は万余人,小方は六七千,おのおのに渠帥を立つ。訛言す:「蒼天、すでに死し,黄天、まさに立たんとす,歳は甲子にあり,天下、大吉ならん。」白土をもって京城の寺門、および州郡の官府に書かしめ,皆、「甲子」の字をなす。
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日本と中国の一つの大きな違いは、易姓革命に関連した天命という概念であろう。日本では、藤原時代から鎌倉時代に移行しても誰もそれが人間の力を超えたある超自然的な力、つなわち天命が働いた結果だとは考えないものだ。同様に、室町時代末期、織田信長の天下統一についてもそうだし、幕末・明治維新にしてもそうだ。これらは、全て人間が為したわざであると考える。しかし中国では、本音ではどの程度信じているかは別として、王朝の変革というのは、天が定めた命運が尽きた時に、起こるべくして起こることだと考えるようだ。しかし、それは常に仰々しく、そして馬鹿馬鹿しいほどの迷信じみた仕掛けを必要とする。からくりも分かってみれば、『幽霊の正体見たり枯れ尾花』であるが、恐ろしい勢いで広まっている噂に巻き込まれていた当時の人たちにとっては、真実としか写らなかったのであろう。

根もない噂もそれを信じる人させ増えると、真実以上の説得力を持つことは、資治通鑑に書かれた中国の歴史に繰り返し出てくる。これが前回(2010/12/25日)に述べた中国の歴代の為政者が一番恐れる所である。



さて、張角は宮廷内の中常侍と共謀して、3月5日に蜂起して漢王朝の転覆を図った。しかし、毎度のことであるが、利己的な保身者が内通したために陰謀が発覚して、指揮官の一人、馬元義が洛陽で車裂きの刑に遭い、またその仲間も数千人逮捕され惨殺されてしまった。

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資治通鑑(中華書局):巻58・漢紀50(P.1865)

張角は、計画がもれたと知り、猶予なく蜂起するように昼夜を継いで四方に伝令を放った。そして目印のために、黄色のハンカチを巻いた。それで「黄巾賊」と呼ばれた。二月に、張角は、天公将軍、張角の弟の張宝は地公将軍、張宝の弟の張梁は人公将軍、とそれぞれ名乗った。身近の役所に火を放ち、辺りの集落を収奪したので、官吏たちはわれ先に逃げ出した。一ヶ月も経たない内に、全国的に暴乱が発生し、都の洛陽すら混乱に陥った。

角等知事已露,晨夜馳敕諸方,一時倶起,皆著黄巾以爲標幟,故時人謂之「黄巾賊」。二月,角自稱天公將軍,角弟寳稱地公將軍,寳弟梁稱人公將軍,所在燔燒官府,劫略聚邑,州郡失據,多逃亡;旬月之間,天下響應,京師震動。

角ら、事のすでに露わるを知り、晨夜、勅を諸方に馳せ,一時、ともに起る。皆、黄巾をつけ、もって標幟となす。故に、時人、これを「黄巾賊」という。二月,角、自らを天公将軍と称し,角の弟、宝、地公将軍と称し,宝の弟、梁、人公将軍と称す。ある所、官府を燔焼し、聚邑を劫略す。州郡、拠を失い,、多く逃亡す。旬月の間,天下、響応し,京師、震動す。
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これが歴史に登場する「黄巾賊」の謂れである。いくら世の中が不安定だといっても、たかだか数十万人にも満たない庶民が蜂起すると、あっと言う間に天下が大混乱になるというのが中国の恐ろしい点である、と私は感じる。更には、中国の歴史では毎回繰り返されることであるが、反乱軍というのは必ず略奪に走り、役人達は防衛より自己保身に走る。つまり、一般人民は治世においては悪辣役人の苛斂誅求に苦しめられ、乱世にはそれよりもまだ酷い反乱軍に蹂躙されるのだ。これが中国の歴史に貫流している哀しみである。

それにしても、私は中国人がつける名前に、いつも漢字ネイティブの洗練されたセンスを感じる。ここでも、張角の三兄弟がそれぞれ、天公将軍、地公将軍、人公将軍と名乗ったが、天地人といういわれのある語句が使われている。天地人とは三才ともいわれ、森羅万象を表わす。つまり張角たちは、政権を奪取する前からすでにこの大宇宙の指揮官だと自称した訳である。このような誇張は中国人が太古から得意とするところで、こんなはったりに正直に驚いていては中国では生きていけないとしたものだ。
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