昔の話になるが、私が中学校の頃(1968年)、プラハの春という民主化運動が起こった。これは社会主義の国チェコスロバキアが民主化を進めようとしたのだ。しかし、社会主義を覆す恐れを感じたソビエト連邦(ソ連)が強制的に介入し、軍事力でその運動を弾圧した。日本ではその頃、学生運動が華やかで、東京大学の安田講堂を学生の活動家が占拠したため、入試が中止になるという事件が起こった。
こういった一連の事件が身近に起こっていたので、私も世界情勢に関心を持つようになった。家にあったラジオが短波放送が受信できたので、モスクワ放送というのを聞いたことがあった。当時、モスクワ放送が一番電波が強く世界中どこからでも受信できると言われていた(ようだ)。しかし、短波放送というのは、フェージングと呼ばれる現象があり、音が一定周期で強くなったり弱くなったりする。その上雑音もかなり入ってくる。それでも、異星とも思えるような遠いソ連からのニュースを暫くの間は熱心に聴いていた。
しかし、『我が親愛なる日本の皆さん、一緒に協力して、アメリカ帝国主義、日本帝国主義を打倒しましょう』の連呼のようなつまらない内容に飽きてしまい、その内に聞くのを止めてしまった。しかし、その時初めて電波というのが電離層と地表の間をうねりながら強くなったり弱くなったりしながら伝播するということを知った。
後日、アメリカに留学中、デジタル信号処理の授業で、宇宙空間をどのようにして信号を伝えることができるかという講義を聞いた。基本的には、電波というのは、距離の2乗に反比例して減衰するので、惑星間通信のように超遠距離の無線通信の場合、減衰が激しすぎて通常の通信方法ではノイズばかりの信号となってしまって情報を伝達することはできない。
そこで、考え出されたのが、同じデータを繰り返し何度も送ることで、受け取り側で、その信号の規則性から信号データを雑音データから分離して取り出すという新たな信号処理の方法であった。つまり、一定のテンポ繰り返し送られてくる信号は雑音にたとえ混ざっても情報を遠距離まで伝えることができるのである。
物理法則に基づいたこの原理を歴史に応用してみよう。
例えば韓国・北朝鮮の歴史を考えてみることにしよう。現在韓国は民主主義国家であり、北朝鮮は共産主義国家とみなされているが、私はこういった見方は皮相的であると考えている。まず、北朝鮮を共産主義国家といった場合、そもそも共産主義とは何かを考えてみる必要がある。共産主義とは、支配者の搾取を打破し、人民の平等を実現するのが目的であろう。しかし、現状の北朝鮮のあり方を見るに、単に李朝朝鮮および戦前の地主階級が蹴落とされ、共産党幹部という名前の連中がその空いた場所を占めたに過ぎない。そのプロセスと枠組みは中国と全く同様である。
(参照ブログ:『八百屋の看板を掲げた肉屋』)
北朝鮮では、一般人は李朝の時代さながら道で共産党幹部に遭うと卑屈なお辞儀をするという。また李朝では両班が、一般人から暴力的に資産を巻き上げていたが、北朝鮮では、共産党が支配するようになってからは、明示的な暴力性は影を潜めたものの、賄賂を贈らなければなに一つ有効に機能しないし、下手をすれば、無実の罪で投獄されることもある、という。つまり暴力という手間を省いた、搾取構造が確立したのだ。
その搾取集団である共産党の幹部の頂点に立つのが、カリスマ金日成であったし、今は金正日である。そして私には全くアナクロニズム(時代錯誤)に思えるのだが、北朝鮮の人民は子供の時から洗脳されていて『全てのことは首領様のおかげ』と、これまた李朝の国王に対するがごとく、隷属することに限りない陶酔感を感じるらしい。
一方、南の韓国を見ると、ここでも李朝時代の両班思想の残滓を見ることができる。韓国人は、どのような組織にいても、必ず長と名のつくポジションを渇望するのだという。というのは、長となると、グループの成員をあごで使うことが許されるが、韓国人はその行為に言い知れぬ快感を感じる(そうだ)。同じく両班の典型的なメンタリティと行動パターンであるのが、汗を流すこと、手を汚すこと、は一切しないことだ。それは、単に上司がそうしたくない、という以上に、上司がそのようなことをすると、途端に部下から軽蔑されるからだ。つまり上下そろって、横柄な命令をする人、それを卑屈に受け入れる隷属的な人、とかつての李朝時代さながらの人間模様を作り出している。
これらの小さな事実は現代に突如表れたのではなく、過去からずっと引き続いてきた。それも日韓併合、朝鮮動乱など、時代の大きなノイズにもかき消されることがなかった。結局、長い歴史のさまざまな事実を通してみると、李朝朝鮮から今に至るまで、韓国・北朝鮮では儒教が社会規範の根幹にあることが、明瞭に浮かび上がってくる。
このように、歴史を学ぶことで初めて、国民性やその国民が普遍的に懐いている価値判断の基準を知ることできると私は考える。
こういった一連の事件が身近に起こっていたので、私も世界情勢に関心を持つようになった。家にあったラジオが短波放送が受信できたので、モスクワ放送というのを聞いたことがあった。当時、モスクワ放送が一番電波が強く世界中どこからでも受信できると言われていた(ようだ)。しかし、短波放送というのは、フェージングと呼ばれる現象があり、音が一定周期で強くなったり弱くなったりする。その上雑音もかなり入ってくる。それでも、異星とも思えるような遠いソ連からのニュースを暫くの間は熱心に聴いていた。
しかし、『我が親愛なる日本の皆さん、一緒に協力して、アメリカ帝国主義、日本帝国主義を打倒しましょう』の連呼のようなつまらない内容に飽きてしまい、その内に聞くのを止めてしまった。しかし、その時初めて電波というのが電離層と地表の間をうねりながら強くなったり弱くなったりしながら伝播するということを知った。
後日、アメリカに留学中、デジタル信号処理の授業で、宇宙空間をどのようにして信号を伝えることができるかという講義を聞いた。基本的には、電波というのは、距離の2乗に反比例して減衰するので、惑星間通信のように超遠距離の無線通信の場合、減衰が激しすぎて通常の通信方法ではノイズばかりの信号となってしまって情報を伝達することはできない。
そこで、考え出されたのが、同じデータを繰り返し何度も送ることで、受け取り側で、その信号の規則性から信号データを雑音データから分離して取り出すという新たな信号処理の方法であった。つまり、一定のテンポ繰り返し送られてくる信号は雑音にたとえ混ざっても情報を遠距離まで伝えることができるのである。
物理法則に基づいたこの原理を歴史に応用してみよう。
例えば韓国・北朝鮮の歴史を考えてみることにしよう。現在韓国は民主主義国家であり、北朝鮮は共産主義国家とみなされているが、私はこういった見方は皮相的であると考えている。まず、北朝鮮を共産主義国家といった場合、そもそも共産主義とは何かを考えてみる必要がある。共産主義とは、支配者の搾取を打破し、人民の平等を実現するのが目的であろう。しかし、現状の北朝鮮のあり方を見るに、単に李朝朝鮮および戦前の地主階級が蹴落とされ、共産党幹部という名前の連中がその空いた場所を占めたに過ぎない。そのプロセスと枠組みは中国と全く同様である。
(参照ブログ:『八百屋の看板を掲げた肉屋』)
北朝鮮では、一般人は李朝の時代さながら道で共産党幹部に遭うと卑屈なお辞儀をするという。また李朝では両班が、一般人から暴力的に資産を巻き上げていたが、北朝鮮では、共産党が支配するようになってからは、明示的な暴力性は影を潜めたものの、賄賂を贈らなければなに一つ有効に機能しないし、下手をすれば、無実の罪で投獄されることもある、という。つまり暴力という手間を省いた、搾取構造が確立したのだ。
その搾取集団である共産党の幹部の頂点に立つのが、カリスマ金日成であったし、今は金正日である。そして私には全くアナクロニズム(時代錯誤)に思えるのだが、北朝鮮の人民は子供の時から洗脳されていて『全てのことは首領様のおかげ』と、これまた李朝の国王に対するがごとく、隷属することに限りない陶酔感を感じるらしい。
一方、南の韓国を見ると、ここでも李朝時代の両班思想の残滓を見ることができる。韓国人は、どのような組織にいても、必ず長と名のつくポジションを渇望するのだという。というのは、長となると、グループの成員をあごで使うことが許されるが、韓国人はその行為に言い知れぬ快感を感じる(そうだ)。同じく両班の典型的なメンタリティと行動パターンであるのが、汗を流すこと、手を汚すこと、は一切しないことだ。それは、単に上司がそうしたくない、という以上に、上司がそのようなことをすると、途端に部下から軽蔑されるからだ。つまり上下そろって、横柄な命令をする人、それを卑屈に受け入れる隷属的な人、とかつての李朝時代さながらの人間模様を作り出している。
これらの小さな事実は現代に突如表れたのではなく、過去からずっと引き続いてきた。それも日韓併合、朝鮮動乱など、時代の大きなノイズにもかき消されることがなかった。結局、長い歴史のさまざまな事実を通してみると、李朝朝鮮から今に至るまで、韓国・北朝鮮では儒教が社会規範の根幹にあることが、明瞭に浮かび上がってくる。
このように、歴史を学ぶことで初めて、国民性やその国民が普遍的に懐いている価値判断の基準を知ることできると私は考える。