限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【2010年授業】『ベンチャー魂の系譜(12)-- Part2』

2010-12-28 16:31:53 | 日記
【ベンチャー魂の系譜 11.伝説をつくったベンチャー(電子立国日本の自叙伝、孫正義)】

モデレーター:セネカ3世(SA)
パネリスト:
ベルグーン(農・1) 
ほくと(総・1)
A:聴衆

前回から続く。。。

 (SA):孫正義はアメリカから帰国後どうしたか?
ほくと:帰ってきて、マイクロコンピュータの凄さに気付き、世界的に有名な研究者を招
き、プロジェクトを作り、小さな簡易コンピューターを作った。
(SA):コンピューターを作った、と言うのは正確ではない。
ベルグーン:バークレーのときの話では、作ったのは多言語翻訳器。英語、ドイツ語、
フランス語、日本語のもの。出来高払いで、研究者を雇った。
(SA):アメリカでは、孫正義の話にも出てくるように、非常に開けたところがある。この
話でもそうだが、なぜアメリカでベンチャーが起こりやすく、日本でベンチャーが起こり
にくいかというと、メンタリティの違いが大きい。思想やアイデアに共感して人が集まる
ことがしばしばある。しかし逆に、冷めやすいという一面もある。その翻訳器を、日本
に持ち帰って、どうなったか?それが、彼の成功の始まりとなったのだ。ところで『わら
しべ長者』という童話を知っているか?
A:江戸時代、貧しい人がいて、最初に自分が触れたものを大事にしなさいという話。
(SA):室町時代の話。室町の日本人は、江戸時代と異なり勤勉さを尊ばない。わらしべ長者
は物々交換でどんどんいいものを手に入れていく話。彼の翻訳器が、わらしべ長者のわら
となった。それからどうなったか?
ベルグーン:試作品を作って、日本企業に売り込みに行った。本命はシャープで、次がカ
シオであった。
(SA):シャープが本命であったのか?
ベルグーン:こういうイノベーション的なものは好きだったのではないか。カシオではボ
ロボロに言われ、シャープでもなかなか上手くはいかなかった。 しかし、なんとかシャー
プの佐々木正さんを紹介してもらった。
(SA):佐々木正さんはどういう人?
ベルグーン:日本電子産業の父。
(SA):京大の電気工学科出身で、シャープの技術部のトップで、確か副社長をしていた。
その人が結局どうしたか?
ベルグーン:孫氏の作った翻訳器を買った。そのころの試作品は、英語と日本語しかなか
ったが、初め4000万円払い、完成してから6000万円を追加で支払った。
(SA):結局、その1億円が、シーズマネーになる。それで、彼はどういうビジネスをやろ
うとしたか?
ほくと:ユニゾンワールドという会社を作った。また、ソフトバンクの資本金も1千万で、
若かったときに、アルバイトを二人雇って、事業を始めた。
 (SA):そのときに、エピソードはあるのか?
ほくと:最初はこんなに小さい会社であるが、30年後ぐらいには、お金の単位が兆で数
えられるようにすると言った。
(SA):彼は豆腐屋になろうと言った。「1兆、2兆」と数えると。
ほくと:そんなことを言っていたので、数少ないバイト人も辞めてしまった。最初の資本
金が、1000万円で、この人がすごいところは、それだけしかないお金を、ほとんどす
べて叩いてしまって、次の行動に移した。800万円を使って、エレクトニックショーに
でたり、残りの200万で、カタログ代わりの宣伝を作ったりした。それで、だんだん知
名度が上がった。
(SA):彼はどういうビジネスをやっていたのか?
ベルグーン:ソフトウェアの流通をした。
(SA):簡単に言えば、ソフトを仕入れて売る。今の大塚商会。どういうところが他の会社
と違ったのか?
ベルグーン:日本最大のパソコンソフト売り場を持つ、ジョウシン電気と独占販売契約を
結んだ。最初は、ゲームソフトをハドソンから買って売っていた。独占契約を結べたのが
大きかった。
(SA):なぜ彼だけが、独占契約を結べたのだろうか?
ベルグーン:ジョーシン電気の人は、どこのソフト会社が優れているのか、わからなかっ
た。ジョウシン電気は、このようなパソコンソフトの流通に詳しい人を探していた。そこ
で、孫と関係することになり、独占契約を結ぶに至った。

【孫正義氏のパッション】
 (SA):よく世の中で言われていて、大事なのは、この人とビジネスをやりたくなるかどう
か。正直、好きかどうか。もうひとつ大事なのは、オジン殺し。経団連、経済同友会、商
工会議所のトップにいるのは、60歳や70歳台の人たち。20、30代で起業する人は、息子か
孫の感覚。このような人達に気に入られると、すごく伸びる。何かやるときは、人を引き
込むことが大事。
その点でいうと、孫氏は確かにがむしゃらすぎて人の気に障る言動もあったが、社会をよい
方向に変えて行こうとするパッションが、財界の経営者達の支持を受けたことが彼の成功の
一つの大きな要因であったといえよう。



【松本大氏】
(SA):なぜこの人が有名なのか?
ベルグーン:エリート街道は、走っていた人。金融系のエリートで、ゴールドマンサック
スのジェネラルマネージャー。松本さんは、インターネット証券をやろうとしていて、も
う少し待てば、プレミアム報酬を貰えたのだが。
(SA):プレミアム報酬とは?
A:キャピタルゲイン。
(SA):創業者の人たちは、一株当たり非常に安い価格で株を発行できる。会社が大きくなる
につれて増資し、株が増える。会社を公開すると、初期投資から見ると20倍から100倍ぐら
いの値段になる。それで、未公開株を、与えるという約束(ストックオプション)をして、
会社に入らないかと誘う。会社は、現金を与える必要がないので、非常に楽。なぜ松本さん
はプレミアム報酬をもらわなかったのか?
ベルグーン:ジェネラルマネージャーを続けていれば、数十億円手に入ったのだが、タイ
ムイズマネーということで、辞めた。つまり独立する機会を逃したくなかったから。
(SA):それも理由の一つだが、この本の中によると、彼は「義」ということを強調している。
お金を貰ってすぐに退職するというのは、義に反すると思った。法律上、何ら問題ではないが、
義を貫くような姿勢が、彼がオジン殺しである大きな理由。それで、彼はインターネット
証券を作って、成功したのか?
ベルグーン:最終的には成功したが、当初は、赤字続きであった。累積赤字が80億円ほ
どあったが、なんとか回複して、2004年にマネックスビーンズ証券を統合した。
(SA):80億円負債があって、倒れた場合は自己破産だが、自己破産するとどうなるか?
ベルグーン:信用がないので、金融業界では、もう働けない。クレジットカードも作れな
いし、銀行からもお金を借りなれない。ブラックリストになる。
(SA):それが日本のベンチャーの掟。アメリカのベンチャーの掟は、そうではない。「Failure
is not personalized」。要は、失敗とは共有のもので、次回は上手くやれよというふうに、言
われる。日本と違うのは、失敗した人でも雇ってもらえる。ものの本によると、失敗した
人ほど、ベンチャーキャピタリストが投資したがるそうだ。失敗が personalized されないとい
うことだと、そういう雰囲気が強い。しかし、日本はそうではない。1回失敗したらアウ
ト。日本での起業は、セーフティネットがないところで、綱渡りをするようなもの。アメ
リカの場合、セーフティネットがあるのが大きな違い。

(SA):松本氏の場合、若くして外資系の金融ビジネスの中で、非常に成功している。しかし
日本に新しいビジネスを興したいという強いパッションを持って独立した。それも、十億円
以上の価値のあるストックオプションを放棄してまで敢行している点が彼のすごい点だと
感じる。義を大切にする気持ちが世間から評価の高い理由の一つと思う。


【神近義邦氏】
(SA):神近さんはどういう人だったか?
ほくと:いま70歳ぐらいの人で、ハウステンボスとその前身の長崎オランダ村を作った。
(SA):彼は、どういうパッションがあったのか?
ほくと:とりあえず大きなテーマパークを作りたいと思った。
(SA):何のためにテーマパークを作りたかったか?
ほくと:テーマパークを作ったら、人が来て、そこでお金儲けができ、地域の活性化につ
ながると思った。
 (SA):地域の経済の活性化の為に行ったと言える。日本では、地域の経済の活性化のため
に、このような施設をつくることはよくあるが、 消費者が本当にどこに観光に行きたいか
ということを考えてない。ハウステンボスの近くまで行ったらわかるが、あういうところ
はすぐに行けるところか?
ほくと:大都市から離れていて、行けない。移動手段が、限られている。
 (SA):高速道路が近くにないので、一般道を車で走って行くか、電車で行くしかない。基
本的にインフラがない。
ハウステンボスは、人を呼ぶだけの目的で作ったのか。
ほくと:ハウステンボス自体が、ひとつのテーマパークであり、それが一つの街になって
いる。
(SA):ではなぜ街を作りたいと思ったのか?もともと神近さんは、村役場に勤めていたの
ではないか?
ほくと:誰かが作ったらどうかと提案した。それで、83年か何かに、長崎オランダ村を
作った。
(SA):オランダ村は、成功したのか?
ほくと:出来たときは、珍しいので、客は来たが、リピーターはあまりいなかった。だん
だん経営が悪くなって、倒産した。
(SA):いまから20年ほど前は、そのようなテーマパークが全国のいたるところに出来た
が、いまではほとんどない。結局、観光というのは、まわりの環境が大事。もうひとつは、
そのテーマパークの雰囲気が大事。大阪のUSJなどは、まわりは工場ばかりで、テーマパー
クには相応しくない環境だ。神近さんは、そのようなのではダメだと思い、人が自然とともに、
生活できるように、ひとつの展示場になるようにと考えた。
しかし、なぜハウステンボスが上手くいかなかったのか
ほくと:現在の人が求めているものではなかった。例えば、外国のものが日本にあったと
しても、外国で実際見るものとは違う。
(SA):どこが違うのか?
ほくと:人が日本人で、文化などをわかろうとしても、無理であるし、規模が小さい。わ
ざわざ行きたいというところでもなかった。数年前の夏に行ったが、その時にはカキ氷の
のぼりがいくつも立っていた。オランダの雰囲気が売り物のはずであったが、目先の利益に
走ってしまっていた。こういう一貫性のなさが自らの首を絞めている。

(SA):その考えは、ロジック的には間違ってはいない。アメリカのフロリダにはディズニー
ワールドがあり、世界中の街を模した場所あるが、大成功している。問題はやりかた。もう
ひとつは、近くにマイアミのビーチがあるなど、アトラクションに相応しい。どうやって
リピート客を得るかが大事。テーマパークというものが、日本の国民性に合っていない。
なぜその人たちがそこにビジネスを興そうとしたのか、考えることが大事。またどこが失
敗して、また世界では成功したところはないかと考えること。ひとつのテーマを自分なり
に観点を考えてみる。実社会では、その一つのテーマを解決する為に、誰も指示がないの
に、自分で回答を考えないといけない。なお且つ、それが自分の腑に落ちるものでなくて
はならない。そして、自分なりの論理を組み立てて、相手を説得させなければならない。
それが、私が考える教養であると思う。

(SA):神近氏は地元のためと思って奔走してオランダ村、ハウステンボスを立ち上げた。
しかし、観光の本質的なところが分かっていなかったため、そのパッションが空振りと
なってしまった。結局このプロジェクトでは、2000億円もの投資をしたが、赤字は解消で
きずビジネス的には失敗だった。これは、同じく宮崎のシーガイヤの失敗や、地方都市の
リゾート観光の失敗にも通ずる。日本の観光ビジネスは世界標準で考えてはいけない。
パッションだけではビジネスはできないということだ。
コメント (1)
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