世の中には、『悪貨が良貨を駆逐する』ケースが多々ある。
文明批評の観点で一番多いのが、『日本は農耕民族、ヨーロッパは狩猟民族なので発想が異なる』というものであろう。これなど、ちょっと考えればすぐに間違いであることが分かる。ヨーロッパはフィンランドの一部を除いて伝統的に農耕民族である。フランスを見てもわかるが、ヨーロッパの大地には穀物が豊かに稔っている。ヨーロッパと言うのは正確には、農業と牧畜がセットになった農耕民族なのだ。
しかし、一旦諺のように定着してしまった言葉は理性的には吟味されずに、つい本能的に口をついて出てきてしまい、最後には真理として定着してしまう。
日本人論に関しても同じような間違った認識が蔓延している。その筆頭が聖徳太子が十七条憲法に書いたと言われる『和を以って貴しと為す』であろう。この言葉は、明らかに中国の礼記の文句の剽窃である。儒行篇(第41)には、『礼は和を以って貴しと為す』(禮之以和爲貴)とあるが、聖徳太子はその最初の2文字を削除をしたが、あたかも聖徳太子オリジナルの文句のように誤解され、ひいては日本の伝統的価値観の根本思想だと妄想されるに至った。私は、聖徳太子はこの現象を見るときっと困惑した顔をするに違いないと想像する。
日本人のアイデンティティを考えてみると、さて日本人とはどの時代の日本人を指して言えばいいのであろうかと戸惑う。明治になって新渡戸稲造や鈴木大拙がそれぞれ武士道や禅についての本を英語で出版したため、あたかも日本精神の精髄が武士階級にあったように誤解されがちである。確かに日本の国家としての歴史はせいぜい2000年であり、その内に武家社会が平安末期より台頭して以来1000年であるから、武家社会をもって日本人社会の代表とするのも一面では十分納得できる。
しかし、どの民族も歴史が書かれるよりずっと以前から固有の民族的アイデンティティ(個性)を持っていたはずと仮定するなら、武家社会を以って日本の代表とするわけにはいかない。そうすると、本来の日本つまり、原日本のアイデンティティを探るときは武家が登場した時代よりも少し遡って考える必要がありはしないか?
私は、原日本人は江戸時代の武士が尊重した『義』などという小難しいことを考えるような思索的な性格の民族でなかったと考えている。それは、古事記の神代の猥褻さ、今でいうと18歳未満お断りの禁書すれすれの文章が出てくるいくつかの物語を読めば説明するまでもないことが分かるであろう。
義という言葉は『ぎ』という音はあっても、訓がないことから明らかなように、日本人には元来無縁の概念であったのである。これは観念的かつ形而上的なことが大好きな中国人の政治的プロパガンダの為の造語である。つまり、中国は本来的に異民族が熾烈な競争を繰り広げる社会で、そういった混乱のなか、集団をまとめていく指導理念としてこねくりだされたのが魔法の小槌である『義』であった。『魔法の小槌』という意味は、この義を振りかざすことで全ての行為が超法規的に是認されてしまうからである。人権無視、法秩序無視、を国是としてきた中国の病巣は実は、この義という概念にあったと私は考えている。
世間では、日本と中国は『一衣帯水』あるいは『同文同種』といわれ、あたかも同じ価値基準、同じメンタリティをもっているように錯覚されているが、私は中国人・中国文明の本質はデジタル的であり、日本人の本質はアナログ的であると考えている。つまり、本来的には中国と日本は水と油の関係にあるのだ。私は、現在の日中関係は、こういった本質論から見ていかない限り正しく理解できないと考える。
文明批評の観点で一番多いのが、『日本は農耕民族、ヨーロッパは狩猟民族なので発想が異なる』というものであろう。これなど、ちょっと考えればすぐに間違いであることが分かる。ヨーロッパはフィンランドの一部を除いて伝統的に農耕民族である。フランスを見てもわかるが、ヨーロッパの大地には穀物が豊かに稔っている。ヨーロッパと言うのは正確には、農業と牧畜がセットになった農耕民族なのだ。
しかし、一旦諺のように定着してしまった言葉は理性的には吟味されずに、つい本能的に口をついて出てきてしまい、最後には真理として定着してしまう。
日本人論に関しても同じような間違った認識が蔓延している。その筆頭が聖徳太子が十七条憲法に書いたと言われる『和を以って貴しと為す』であろう。この言葉は、明らかに中国の礼記の文句の剽窃である。儒行篇(第41)には、『礼は和を以って貴しと為す』(禮之以和爲貴)とあるが、聖徳太子はその最初の2文字を削除をしたが、あたかも聖徳太子オリジナルの文句のように誤解され、ひいては日本の伝統的価値観の根本思想だと妄想されるに至った。私は、聖徳太子はこの現象を見るときっと困惑した顔をするに違いないと想像する。
日本人のアイデンティティを考えてみると、さて日本人とはどの時代の日本人を指して言えばいいのであろうかと戸惑う。明治になって新渡戸稲造や鈴木大拙がそれぞれ武士道や禅についての本を英語で出版したため、あたかも日本精神の精髄が武士階級にあったように誤解されがちである。確かに日本の国家としての歴史はせいぜい2000年であり、その内に武家社会が平安末期より台頭して以来1000年であるから、武家社会をもって日本人社会の代表とするのも一面では十分納得できる。
しかし、どの民族も歴史が書かれるよりずっと以前から固有の民族的アイデンティティ(個性)を持っていたはずと仮定するなら、武家社会を以って日本の代表とするわけにはいかない。そうすると、本来の日本つまり、原日本のアイデンティティを探るときは武家が登場した時代よりも少し遡って考える必要がありはしないか?
私は、原日本人は江戸時代の武士が尊重した『義』などという小難しいことを考えるような思索的な性格の民族でなかったと考えている。それは、古事記の神代の猥褻さ、今でいうと18歳未満お断りの禁書すれすれの文章が出てくるいくつかの物語を読めば説明するまでもないことが分かるであろう。
義という言葉は『ぎ』という音はあっても、訓がないことから明らかなように、日本人には元来無縁の概念であったのである。これは観念的かつ形而上的なことが大好きな中国人の政治的プロパガンダの為の造語である。つまり、中国は本来的に異民族が熾烈な競争を繰り広げる社会で、そういった混乱のなか、集団をまとめていく指導理念としてこねくりだされたのが魔法の小槌である『義』であった。『魔法の小槌』という意味は、この義を振りかざすことで全ての行為が超法規的に是認されてしまうからである。人権無視、法秩序無視、を国是としてきた中国の病巣は実は、この義という概念にあったと私は考えている。
世間では、日本と中国は『一衣帯水』あるいは『同文同種』といわれ、あたかも同じ価値基準、同じメンタリティをもっているように錯覚されているが、私は中国人・中国文明の本質はデジタル的であり、日本人の本質はアナログ的であると考えている。つまり、本来的には中国と日本は水と油の関係にあるのだ。私は、現在の日中関係は、こういった本質論から見ていかない限り正しく理解できないと考える。