限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・50】『任人之長、不強其短』

2010-12-16 00:25:59 | 日記

『晏子春秋』という本がある。紀元前500年ごろの中国の斉の名宰相、晏嬰の言行録だ。
とりわけ、すこし頭の回転の鈍い景公との問答がよい。というのも、晏嬰が景公にでも理解できるようにずばり本質的な事柄だけを遠慮無く述べているからである。

例えば、内篇問上第三に次のような問いかけが見える。

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景公が晏子に質問した。『昔の君主の治世の方法および人選の要諦を伺いたい。』晏子が言うには、『種まきを考えてみましょう。土地それぞれによって撒く種の種類を変えるはずです。しかし一種類に固執すれば、生産性も低いはずです。人間もひとそれぞれによって能力が異なります。しかし、皆に同じ仕事を与えれば中には、仕事を完成することが出来ない人も出てきます。いつも素晴らしい成果ばかりを要求すれば、知恵者だって窮するでしょうし、いつも土地から産物を収穫ばかりしていれば、土地だって痩せてくるでしょう。従って、賢い王というのは、おべっか使いを身近に寄せず、仲間びいきする人を採用しないものです。任人之長、不強其短(人の長所を使い、人の短所を責めない)のが人を使う要諦だといえます。』

景公、晏子に問いて曰く:「古の国に臨み、民を治む者,その人を任ずるは何如?」晏子、対えて曰く:「地、生を同じくぜず,しかもこれを任ずるに一種をもってせば、その倶に生ずることを得べからず。人、能を同じくせず、しかもこれを任ずるに一事をもってせば、遍く成るを責むべからず。責めてやむことなければ、智者もよく給することあわたず。求めて飽くことなければ,天地も贍(た)すこと能わざるなり。故に明王の人を任ずるは、諂諛を左右に近づけず,阿党、本朝に治めず。人の長に任じ、その短を強いず、人の工に任じ、その拙を強いず。これ人を任ずるの大略なり。」



世の中では、論語を勧めるひとが多いが、私はそれよりもこの『晏子春秋』に見るような世故に長けた実践智の方が好きである。それは、理想の君子を目指す孔子の生き方ではなく、景公のような凡人をも包容する大度の政治家・晏嬰の生き方が色濃くでているからである。さらに言えば、この晏嬰のような執政姿勢を中国の政治家が理想としていたように私には思える。それは、司馬遷の言葉に窺える。史記の巻62に晏子と、同じく斉の名宰相であった管仲の言行を書いたあと、個人的な感想として、『晏子が存命なら御者のような卑しい仕事をしてでも晏子に仕えてみたい。私のあこがれの人である。』(假令晏子而在,餘雖爲之執鞭,所忻慕焉)と述べていることからも分かる。

この『晏子春秋』に止まらず、中国の古典には論語以外に我々日本人が参考にすべき本や、中国の本質的な考えを気づかせてくれる本が山とある。いい加減『中国=孔子=論語』というワンパターンな固定観念から日本人は脱却すべきだと私は考える。

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