先日の新聞に円山応挙の幽霊図が載っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/4b/7b63c89a3aae48fb955e179e00ffa432.jpg)
「夏はやっぱり、これ(幽霊、怪談話)でしょ」
と思うものの最近ではTVもラジオも怪談話と
いうものを放送しなくなった。現実的ではない
ということなのでしょうが、暑い夜に怪談話は
なかなか面白い。
夏はこの世ならざるものたちの季節…ということで
日本の怪談話といえば
「四谷怪談」を初め「牡丹灯籠」「皿屋敷」と
思えばどれも可哀想な女の物語ですが、小さい頃に
ラジオで聞いた、牡丹灯籠の「カランコロン」という
下駄の音。
皿屋敷のお菊が数える「いちま〜い、にま〜い」と
井戸の中から皿を数える声。怪談話は怖く感じた。
安永(1772〜81年)の頃、百物語が大流行した。
真夜中に百本のロウソクをともし、怪談話を一つ話す
たびに消していく。百話語り終えると、本物の怪が
現れるとされる怪談会
百話が終わると床の間に掛けてあった幽霊図が
飛び出してくる。そう思わせた百物語。
私は杉浦日向子の漫画本「百物語」を持っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d1/0a91e1c8d38b536d851b724b9915e069.jpg)
杉浦日向子の描く漫画は、漫画とはいえ少し怖さ
不気味さが感じられる描き方ですが、解説者の
高橋義夫氏によると
「百物語」は怪談にはちがいないが、不思議に
おだやかな風が吹いている。死や変身が語られて
いても。恐怖よりもなつかしさが色濃いのは
怪異がどこかとくべつの世界から暴力的に立ち
あらわれるのではなく、人間たちと一緒に
さりげなくそこにあるからである。だから怪異は
そこに姿をあらわすとき、人間を驚かすことに
気がねして、すまなそうな顔をしている。(中略)
いっぽう人間のほうでも、怪異とのつきあいかたを
知っているから「生きている人に話し掛ける様に
挨拶してやれば、満足してすぐさる」
江戸の人々は怪異に敏感で、したがってつきあいかたを
工夫してさり気なく接したと見える。
怪異、お化け、幽霊、さり気なく接していけば怖くない。
ということなのでしょう。
もう一つの本は小泉八雲の「怪談」この本は以前
ゴミ置き場に捨て置かれていた物を頂いてきた。
ジュニア版とあって漢字には全て振り仮名付きです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/bd/2b3b1f5627f0f2e2a22ccdcf792dff06.jpg)
こちらも何度読み返しても面白い。
昔見た映画「怪談」小泉羽八雲の原作
黒髪(和解)、雪女、耳なし芳一、茶碗の中が
オムニバスになった映画も面白かった。
怪談(Kwaidan)予告
暑い夏にはやっぱり怪談ものが見たい聞きたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/4b/7b63c89a3aae48fb955e179e00ffa432.jpg)
「夏はやっぱり、これ(幽霊、怪談話)でしょ」
と思うものの最近ではTVもラジオも怪談話と
いうものを放送しなくなった。現実的ではない
ということなのでしょうが、暑い夜に怪談話は
なかなか面白い。
夏はこの世ならざるものたちの季節…ということで
日本の怪談話といえば
「四谷怪談」を初め「牡丹灯籠」「皿屋敷」と
思えばどれも可哀想な女の物語ですが、小さい頃に
ラジオで聞いた、牡丹灯籠の「カランコロン」という
下駄の音。
皿屋敷のお菊が数える「いちま〜い、にま〜い」と
井戸の中から皿を数える声。怪談話は怖く感じた。
安永(1772〜81年)の頃、百物語が大流行した。
真夜中に百本のロウソクをともし、怪談話を一つ話す
たびに消していく。百話語り終えると、本物の怪が
現れるとされる怪談会
百話が終わると床の間に掛けてあった幽霊図が
飛び出してくる。そう思わせた百物語。
私は杉浦日向子の漫画本「百物語」を持っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/c3/cf4db38b6d5e29048ba8f027d41eb290.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d1/0a91e1c8d38b536d851b724b9915e069.jpg)
杉浦日向子の描く漫画は、漫画とはいえ少し怖さ
不気味さが感じられる描き方ですが、解説者の
高橋義夫氏によると
「百物語」は怪談にはちがいないが、不思議に
おだやかな風が吹いている。死や変身が語られて
いても。恐怖よりもなつかしさが色濃いのは
怪異がどこかとくべつの世界から暴力的に立ち
あらわれるのではなく、人間たちと一緒に
さりげなくそこにあるからである。だから怪異は
そこに姿をあらわすとき、人間を驚かすことに
気がねして、すまなそうな顔をしている。(中略)
いっぽう人間のほうでも、怪異とのつきあいかたを
知っているから「生きている人に話し掛ける様に
挨拶してやれば、満足してすぐさる」
江戸の人々は怪異に敏感で、したがってつきあいかたを
工夫してさり気なく接したと見える。
怪異、お化け、幽霊、さり気なく接していけば怖くない。
ということなのでしょう。
もう一つの本は小泉八雲の「怪談」この本は以前
ゴミ置き場に捨て置かれていた物を頂いてきた。
ジュニア版とあって漢字には全て振り仮名付きです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/0b/2fc53a7915bcf29546b47d23d277eeb9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/bd/2b3b1f5627f0f2e2a22ccdcf792dff06.jpg)
こちらも何度読み返しても面白い。
昔見た映画「怪談」小泉羽八雲の原作
黒髪(和解)、雪女、耳なし芳一、茶碗の中が
オムニバスになった映画も面白かった。
怪談(Kwaidan)予告
暑い夏にはやっぱり怪談ものが見たい聞きたい。
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