夫婦で楽しむナチュラル スロー ライフ

日々の生活、男の料理、庭仕事、気になった事など気ままに綴っています。

日本が戦争に負けた日

2017年08月15日 | 行事
8月15日は終戦記念日。と言うより日本が
戦争に負けた日という事です。敗戦記念日でしょう。
この日は「終戦記念日」として政府主催の
「全国戦没者追悼式」が行われ、天皇陛下が
お言葉わ述べられた。

毎年の戦没者追悼の式典では必ずお言葉を
述べられる。

天皇陛下(国家)のために戦争で命を散らした
方々に対し御代が変わってもずっと、追悼の
お言葉を述べなければならないのでしょうか。

私は戦争が終わった時は未だ1才だったので
戦争の怖さ恐ろしさを知りません。
物心ついた時には敗戦から年月が過ぎたものの

「又、B公(B29戦闘機)が飛んで行く」と
父親の言葉に空を見上げると、鈍い爆音と西日に
キラキラ光るスマートな飛行機が飛んでいくのを
見かけました。

先日の群馬の旅で高橋農園さんに泊めて
頂き、朝、床の間を見ると尾曽律葉さんの
ユーモラスに闊歩する6地蔵の絵が掛かって
いました。

その隣には高橋農園さんのお父上の写真と
戦死したお父上の弟さんの写真がかけて
ありました。
 
靖国神社の写真と弟さんの遺影。
左側には戦死した場所が書かれています。

陸軍上等兵
昭和20年5月11日
東部ニューギニア ボテ(チ?)ヤ二於テ
戦死ス 行年22才

とある。

右側には辞世の句でしょうか
 国のため我が身捧げし◯◯の
 みのまつられる靖国の◯

と書いてあるようです。◯印は読めません。
読める方がいらしたら教えてください。

尾曽さんの展示会にいらした高橋農園の
ご姉妹にお話を聞きました。

お父上の弟さん(叔父)は
「戦死なさったんですね」と言ったら

「はい、私の父は身長が足りなく甲種合格
 しなかったのですが、体格のいい叔父が
 先に兵隊に行きました。叔父は特攻隊に
 志願しました。部屋にかかっていた
 写真は特攻隊志願して最後の別れの日に
 写した写真らしいです」

22才で戦死。それもあと数ヶ月で終戦と
いう時にです。

「その後、戦況が悪化して兵隊不足になり
 国はなりふりかまわず志願兵を募り
 父も兵隊にとられました。戦後父は
 捕虜としてシベリア送りになり、ようやく
 日本に帰還した」とお二人。お父上も
大変な思いをした、という事です。
 

先日、TVで戦争中の志願兵のことが放送
されていた。上官が
「特攻隊に志願するものは前に
 出るように」と言ったそうで、殆どの
兵隊が前に(志願)出たとの事です。
「私は(死ぬのが)嫌だから志願しない
 なんて思うのは『非国民』とみなされる
 あんな状況下では『お国の為』に喜んで
 志願するしかなかった」
戦争で亡くなった人の数

なぜ日本が戦争を始めたのか?

「戦陣に散り、戦火に倒れた人々に対して
 心から追悼の意を表し・・・」と天皇陛下も
おっしゃっている。72年続いた戦争のない
日本は平和が続いていますが、近頃お隣の国と
アメリカがきな臭いを立て始めた。困ったものです。





コメント (2)
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