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三河・大坪城 密度の高い遺構が完存状態の興味深い城郭、武田氏の侵入時の改修か

2021-07-25 | 歴史

大坪城は愛知県豊田市大坪町にあります。西側約450mにある大坪古城から移転し築城したとされます。城主や来歴は詳らかではないようですが今見る姿から判断して、その後武田軍の三河侵入に備えて改修された可能性があるとされます。
 今回の資料は(1)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994 と (2)「史跡散策 愛知の城」山田柾之著1993  です。
 (2)によれば、大坪の地は、日本馬術の祖・大坪道禅の出生地とされます(諸説あり)。


大坪城 三河山間部の村の城としては発達した形態の山城とされる
 大坪古城は室町中期の築城とされますが、大坪城は戦国期の山城と考えられています。付近はゴルフ場となりましたが、城址は道一つを挟んで完存状態でした。
 今回はアのルートで見学しました。細い道ですが道は整備され歩きやすくなっていました。送電鉄塔があるので、保守道路にもなっているかもしれません。大坪集落からの城道はイまたはウあたりではないかと思い少し歩き回ってみましたが、城道の確認は出来ませんでした。


大坪城 東尾根は2条の堀切で遮断、西側は大手と思われ多段の曲輪で防御 
 東尾根は堀切F,Dで遮断していました。堀切Dは堀障子を二ヶ所設けた特徴ある堀切遺構でした。虎口CからⅣ郭→平場B→Ⅱ郭→土塁上の通路→Ⅰ郭虎口→Ⅰ郭 の城道ルートがあったのではないかと思いました。
 虎口C手前からは犬走り状の通路②ー⑤がⅡ郭とⅠ郭の北を巻くように平場①に通じていました。一見山道のようでしたが、よく見ると山道には見られないような加工がなされていましたので犬走り状の城道と見ました。Ⅰ郭の南側は横移動に備えた竪堀などが見られ、厳重な回り込み対策がなされているようでした。


大坪城 東尾根の堀切F北から   
 東尾根を断ち切る堀切Fは長い年月での風化はあると思いますが明確に残っていました。堀底は落ち葉などで数十Cmは埋まっているでしょうか。


大坪城 ①郭東下の堀切D 2条の堀障子が特徴的な見どころ!
 薄っすらと2条の土橋が残る遺構は時々見かけますが、ここまで明確に二条の堀障子が残る遺構は珍しく、貴重だと思います。付近の地形からⅠ郭への土橋ではなさそうでした。


大坪城 堀切Dの堀障子の原形を想定してみる
 堀切Dの断面を横から見ると堀障子の元々の地形は斜線のようではなかったかと想定できました。堀底の人物がスッポリ隠れそうですので少なくとも1.5mほどの堀障子が壁のように在ったのではないかと考えましたがどうでしょうか。


大坪城 Ⅱ郭北下の犬走り状通路② 東から 左上にⅡ郭
 犬走り状通路②は虎口Cの登り口からⅡ郭の北下を巻いて⑤に続き平場①に達していました。図2 ④の竪堀などの備えから、この通路は城道だったと考えました。踏跡から見ると最近も山仕事の道として使われているように見えました。
 資料(1)によると犬走り状通路には竪堀が何条も落ちているとされますが、路肩は曖昧な地形となっていて現状では何条もの竪堀と判断するのは難しいように思いました。


大坪城 竪堀④ 通路②の上から
 竪堀④は明確な竪堀遺構でした。通路②を通って西から侵入する敵を阻止する備えの一つだったと思われます。通路②を西から東に進むとⅡ郭・Ⅰ郭からの攻撃を受け続ける構造のようです。竪堀④以外にも不明瞭ながら竪堀状の地形がありますので資料(1)では畝状竪堀群の存在を指摘しています。


大坪城 Ⅰ郭ーⅡ郭間の竪堀A 南下から
 西側からⅠ郭の東側に回り込むのを防ぐため平場Bと平場③の間に竪堀Aが設けられていました。この竪堀は折れを伴っていました。


大坪城 Ⅰ郭南下Eの竪堀2条
 Ⅰ郭の南側の横移動を阻止するためにしっかりした竪堀が2条設けられていました。資料(1)では小規模な畝状竪堀群としていました。


大坪城 平場BからⅡ郭へ折れて登る
 平場BからⅡ郭へは折れて登る道になっていました。この部分にはⅡ郭の虎口が在ってもよさそうですが、風化が進んだためか明確な虎口地形となっていませんでした。


大坪城 Ⅱ郭からⅠ郭への土塁上の道
 Ⅳ郭→平場B→Ⅱ郭と進んできた道は、Ⅱ郭から折れを伴った土塁上の道を登ります。


大坪城 Ⅰ郭 北西辺の犬走り  南西から
 Ⅰ郭は楕円形の曲輪でした。目立った遺構はなさそうですが、北西辺には一段下がって犬走りが設けられていました。

大坪城は曲輪を囲む土塁は有りませんでしたが、堀切・竪堀などの遺構がよく残っていました。虎口Cの手前から南下に向かうと帯曲輪が有り、ここにも興味深い地形が在りました。

三河山間部の小領主の山城としては複雑な構造となっていて、興味深い遺構の残りも良くブッシュも少なくて楽しく見学ができてよかったです。



 

 

 

 

 


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