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美濃・明知城 木樋による長距離導水を検証・想定する 

2021-03-10 | 歴史

明知城は岐阜県恵那市明智町城山にあります。 2021/2/18付の当ブログで明知城 歴史考証イラスト発表会の紹介をしましたが、その際 900m先の水源池から木樋で城内の井戸へ水を引いていた検証が宿題になっていましたので、検討してみました。  ※2021/2/18付の当ブログ → こちら    

※You Tube  恵那市公式チャンネルで発表会当日の動画公開中
 →「明知城」「明智三城」歴史考証イラスト完成発表会&講演会【ダイジェスト版】【2021年1月16日】 


明知城 木樋による導水 城内の井戸に団子杉の水源地から木樋で導水していた
 発表会当日 イラストに木樋が描かれていました。地元の方の参加が多かったので、木樋の位置関係等の鋭い質問が出て、香川さんもタジタジでした。


明知城 木樋による導水 城内の井戸 貯水槽には中仕切りがある  右手にオーバーフローの水路がある
 木樋で導かれた水は一旦、左側の貯水槽に入り(沈殿槽)中仕切りを越して右側の槽に入ったと思われます。オーバーフローした水は右手の水路に流れたと思われます。


明知城 木樋による導水 国土地図に導水路の想定を加筆
 水源池とされる「団子杉」の溜池と城内の井戸は直線距離で約900mありますが、山肌に沿って進むと想定した水路では約1400mになりました。水源池の標高は555m、井戸の標高は505mでしたので高低差は50mありました。全体の傾斜は50/1400で3.5%になりました。この角度で水が十分に流れるのかわかりませんのでネットで側溝の傾斜の情報を見てみました。傾斜は 1/50=2%程度有れば良さそうでしたので、傾斜が3.5%ある団子杉から城内の井戸まで、水はスムーズに流れたものと思われます。


明知城 木樋による導水 最大の難所は 図2 イの道の横断  点線は想定水路
 導水路の中で最大の難所は、図2の道路越えですが、古い地図を見るとこの道はありませんでした。往時も谷地形は在ったと思われますが、今見るほどの難所ではなかったのかも知れませんね。
 当日の解説で「木樋の運用は平時のもの」と在りましたので、非常時には敵に破壊されるのもやむ無しとされていたのではないでしょうか。


明知城 木樋による導水  団子杉 水源池のほとりに立つスギの巨木がかっこいい!
 団子杉は観光スポットにもなっているようで、見事な杉が大きく枝を広げ、この杉を観るだけでも訪れる価値がありました。確かにスギの木が団子状態に見えますね。


明知城 木樋による導水 団子杉の水源池 標高555m
 団子杉の水源池は今も水を湛えていました。大切な水源の保全と導水路のメンテナンスのため往時は付近に番小屋が立ち番人が居たのではないでしょうか。


明知城 木樋による導水 できるだけ山肌に添わせて木樋を設けたと想像
 団子杉からの全ての行程に木樋が設けられていたかは疑問です。できるだけ山肌に沿って水路を掘って設け、必要最低限の場所だけは木樋を設けたと想像しましたがどうでしょう。そのためにも沈殿槽が必要だったと考えてみました。山肌に掘った溝に木樋を埋め込んだ場所もあったかも知れませんね。木樋のメンテナンスを考えると、山肌に掘った溝の部分をできるだけ多くしたかったのではないでしょうか。


明知城 木樋による導水 城内の井戸への注ぎ口 木樋がなかったかも
 導水路の終点は城内の井戸(貯水槽)です。水は沈殿槽入ったと思われます。写真に見えている部分には木樋が無くてもOKではないでしょうか。

木樋は腐食・劣化などで維持管理が面倒なので、できるだけ木樋は使わずに山肌に掘った水路を使うと考えた水路の想定をしてみました。思ったよりも水源池から井戸までの傾斜があり、往時でも導水はそれほど大変なことではなかったのではないかというのが感想です。

※ 参考 導水路のある山城→三河・大沼城 城内への導水路が絵図に載る珍しい山城

 


 





 


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