湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

近江チャンポン

2013年04月30日 | 詩歌・歳時記

母がみまかって1年3ヶ月、食生活が一変した。まず野菜の絶対量が激減したのである。

そこで、「近江チャンポン麺」である。

これは長崎のチャンポンとはまったくの別物であって、早い話し肉野菜炒めラーメンとでも言お

うか?  けれども野菜の量が半端じゃない。丼の上に盛り上がるようにのせてある。

若い頃は半チャーハンとのセットで、満腹満腹であったが、

今ではチャンポン麺一杯もてあまし気味だ。県内のほかの店を買収しては、各地にチェーン店を

拡げているのだが…。 その勢いはますます盛り上がるばかりである。

          鶯を海へ落として千枚田

          千枚のかたち違へて苗育つ

          奥能登へ道ははるけし藤の花

高校生のころ、彦根駅前にあった「おかべ」という小さなお店がルーツである。

帰宅時、若い空腹を満たすためよく立ち寄ったものだ。 相席になった若いビジネスマンから、

母校の教師の近況などを聞かれるままに、ラーメンすすりながら答えていたっけ。

やがて勘定を払う段になって「さっきのお兄さんからいただきました」と、おばさんが言う。

そんなことが何度かあったものだ。先輩の存在に畏敬の念をいだいたのだった。

       

近年では東京にも進出したとか。 スープが命のラーメン好きには普通の「中華ソバ」を

お奨めいたします。 「チャンポン麺」食する向きには、途中でお酢を加えてみてください。

もっともボクはトロミをつけた「あんかけチャンポン」が一等好きですが…。

今はその名も 「近江ちゃんぽん亭総本家」 と申します。


西郷輝彦・新刊「西郷力」

2013年04月26日 | 詩歌・歳時記

3月に五年ぶりの待望の本がでた。 もうすでに以前から西郷さんのブログで

発売の情報はつかんでいた。CDやDVD を取り寄せた実績から、Amazonからもメールが

入っており、予約をしていたのだった。まったく便利な世の中になったものた。

          藤の花

          ゆれて武生は越しの国

          紫式部像はほほえむ

ことに田舎暮らしの身にとっては、ありがたいことこの上ない。

「西郷力」のタイトルは出版ギリギリで変更したようだ。最初の仮題は「星がナントカ…」とか、

まるでアイドル時代の新曲のようなタイトルだった。

帯に「デビュー50年の節目を迎えた今」とある。

そうかそうか、僕が西郷さんを兄のように慕い、愛し、付き合ってから50年も経ってしまったん

だな。 最初の10年ほどの歌を聴けば、自分が何処にいて何をしていたのか、昨日のことのよう

に思い出す。 人生の78パーセントの時間をお付き合いしてきた訳けである。

     

本に書かれていることは、ほとんどが知っていることばかりではある。

巻末の「グラフィティ」に、初めて見る秘蔵の写真集のページがあって、これがうれしかった。

BS 、CS で西郷さんのむかしのテレビドラマをおもうさま観ることのできる良い時代である。

兄貴♪ いつまでも元気で活躍してください。西郷さんのための詩を、必ず書き上げますから。

50年ありがとうございました。 そして、これからもどうぞ 「初恋によろしく」!!


番場の蓮華寺は、歴史の宝庫!!

2013年04月22日 | 詩歌・歳時記

     

中仙道が美濃から近江へ入って、柏原・醒ヶ井と続き、次の宿場が番場である。

邑の入口に一里塚が立っている。 江戸幕府が設けた施設である。

榎の木が植樹され、夏の陽射しをさけて旅人はほっと一息ついたのであろう。

          躑躅もゆ南北朝の血のいろに

時の京都 六波羅探題・北条仲時以下430名は、鎌倉への逃走のみぎり、南朝軍に囲まれて

蓮華寺でことごとく自刃して果てたのである。 そのおびただしい墳墓がかたまって祭られている。

49世の和尚の門弟であった、斉藤茂吉の歌碑がある。

          松風の音きくときは古への聖のごとく我は寂しむ        茂吉

そして池波さんの師匠である、長谷川伸原作の「瞼の母」は、この番場が始まりなのだ。

              

    

長谷川伸自身が、産みの母親と生き別れした経験を持つそうである。

錦之助の東映映画「瞼の母」を、何度観たことであろうか。涙滂沱である。

          母恋ひし忠太郎地蔵つつじ山

          咲きみちて花は近江の蓮華寺

近江の地とはまこと歴史にみちみちて、古代から江戸時代まで、色合いの多彩さ!! 

秘めもつ襞のその深さに、ため息をつきつつ楽しんでいるのである。

    

 


西郷輝彦へ、一筆啓上

2013年04月18日 | 詩歌・歳時記

       

敬愛する西郷さんは役者の世界から、歌手として3年まえに「オリオン急行」で、 復帰なされた。

何度聴いても素晴らしい曲で、最初は哀しくも別れた初恋のひとへの慕情の曲として、

切なくも幾たびも聴いては、こみあげる涙をかみしめたものだった。 けれども

いつしか、みまかりし母への鎮魂歌として、わたしの胸に響くようになっていったのである。

          あぁ海よ

          お前のなかに母がいて

          永久に寄せくる波のうねりよ

次の年、「旅のあかり」をリリース。 詩は「神田川」の喜多條 忠である。 しみじみとした

佳い歌ではあるが、インパクトが足りない。そして、言葉が豊饒すぎるきらいがある。

これはね、B面の「まだ太陽は燃えている」が、楽曲としては上でしょう。

何よりも時代を追いかける迫力に充ちている。 それこそが、西郷さんの真骨頂では

おまへんか?

           

 そして今年 「燃えろ夜明けまで」 を発表したわけだが、クラウン・レコードは

所詮・演歌の会社ですね。 今まで何度、さよう50年も昔からやきもきしてきたことか? 

 なんで、B面の 「夜空を走り抜けて」 を、大々的に売り出さないのかね。

 1年というスパーンで考えれば「夜空を走り抜けて」は、ヒットするよ。

          天空に浮かぶ石垣

          竹田城

          木々は芽吹けど春は遠かり

後年、西郷さんは東芝EMIに移籍して、素晴らしい意欲的なアルバムを2枚だした。

クラウンから発売した「ベスト・アルバム」では、まったく無視されてしまった。

嫌な業界ではあることよ。

             

振り返れば、西郷さんの歌が低迷したのは、つまらない形式だけの歌をA面でむりやり売った

からさ。 その陰でB面に甘んじた歌の数々の素晴らしさ。 

私が選ぶ西郷さんのベスト10では、半分がB面の「愛しい」曲たちです。

西郷さんへ、兄貴へ、いやさ、てるちゃんへ・・・・新曲はB面の「夜空を走り抜けて」だぜ。

          ひとりゆく彦根内堀

          花盛り

          古びし幹に寄れば寂びしも

エージョントの圧力を振り払って、B面に必死こいてください、ませ・ませ。  


饅頭もとぇ、運転こわい

2013年04月14日 | 詩歌・歳時記

60歳を越えてから車の運転は、より慎重に♪  と心がけているからか、

最近は道路を走るのがまことに恐ろしい。

          花みれば

          今生きてあるこのいのち

          明日は死すとも是非もなきかな

対向の大型車がセンター・ラインを割って、自車へ寄って来るような錯覚にとらわれるのだ。

あるいは自転車を抜く時も、オバチャンの自転車がヨロヨロと車道側に倒れかかる、

悪夢の予知が異常感覚として、胸を斜めに一瞬よぎる。

     

以前は、ふっと気が向けはそのまんま、あてどもなく北なり南へ遠出したものだ。

車には常にキャンプ道具一式、温泉用具、着替えひと揃えを載せている。


♪春にそむいて散る花びらを背にうけ行こうひとり旅…てなものだった。

例のトンネル事故のおきるずっと前から、トンネルを走る時に、

なにか奈落の底へ落ち込んで行くような感覚が芽生え始めたのが最初であったようなのだ。

          盛りあがり枝垂れ落ちゆく滝のごと

          道誉桜は

          咲き充ちにけり

寄る年波というものなのか? ジーンズが1番似合ってると思うし、髪も足も長いし・・・・

まだまだ若いつもりでいるけれど、饅頭ならぬ運転がコワイ・・・・この頃ではある。