湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

長浜・盆梅展

2013年02月25日 | 詩歌・歳時記

               

          深山の土のにほひをなつかしみ

          咲けよ香れよ

          古木盆梅

会場は「慶雲館」といい、明治天皇が御幸のおり、土地の豪商が建てたものである。

昭和27年から始まった「長浜・盆梅展」は、今年で62回を数える。

湖北にはそのほかにも、主な会場があと二つある。

三島池と浅井町。 毎年、長政とお市に逢いに「浅井・盆梅展」に出向くのです。

          白梅は長政

          しだれ紅梅はお市と名づけ

          鉢は寄りそふ

 

          二百年湖北の山に生きて

          今

          盆梅の香の凛と充つるや

                     

只今!! 満開でーす。 3月10日まで~  ★是非、こおしやす!!


ゴルゴ13は、何処に・・・・

2013年02月19日 | 詩歌・歳時記

彼をひそかにかの国へ派遣すべし。

もじゃもじゃ頭のおっさんの息子とやらを狙撃すべし。

そして、拉致されたひとびとを日本へ迎えるべし。

          雪嶺に天地をむすぶ響きあり

          山越へる雲の白さよエリカ咲く

          蝋梅や歩きつかれて宿場町

伊賀の影丸はどこにいる? フランスからジャッカルを招くか? アメリカのジョン・マクレーンに

最期の仕事を頼むかな? とにかく理屈では、けして解決できない難問なのだ。

人を殺すことは「時には、正義」なのだ。

平和ボケした日本人に、宣言したいのだ。

        

 僕がジェームス・ボンドだったら、北朝鮮に潜行して、若き将軍さまを暗殺し、

軍施設を爆破して、拉致の人々を日本へ帰らせる・・・夢にすぎないのだろうか・・・?


体罰・・・・橋下市長を支持する!!

2013年02月13日 | 詩歌・歳時記

      

     ↑ 冬の梅花藻

橋下市長が体罰問題を根絶やしにするために、教職員を総入れ替えすると宣言した。

その後でも、生徒や保護者は「いい先生だったから、悔しい」とかほざいている。

上はオリンピックから下は幼稚園の運動会まで、この国に蔓延しているのは「勝利至上主義」

である。 その意識を180度変えない限り、この問題はけして解決しない。

          大いなる翼ひろげし

          白き鷲

          気高くそびゆ妙高の山

東京時代、小学生の息子は「キング・ジャガース」という野球クラブに入っていた。

赤ん坊の頃から、遊び道具はボールとバットとグローブだもの・・・・父親の思惑どうりに

野球少年に成長してくれたのだが・・・・2、3度練習を見に行って、まず僕が嫌悪感を持った。

     

まるで、ミニ帝国陸軍さ。監督やコーチのおっさん達は「鬼軍曹」さながらでした。

野球はスポーツは、まず楽しくなければいけない!! それが持論の僕に育てられた息子が

チームを嫌悪するのに時間はかからなかったのだ。

あんなに愛する野球をやめて、サッカーを始めた息子である。

          山も木も

          ま白き雪におおわれて

          母のお骨の焼きあげを待つ

けれども「楽しい野球」では、勝てないのも・・・まったくの事実ではある。

学校のスポーツというものは、あくまでも授業の一環である。

親や先生に殴られることが、ごくあたりまえの少年時代を過ごしてきた僕は言いたいのだ。

今の教師って「これが聖職」である・・・と感じているまともな奴って、いかほどいるかね。

      

小中学生のころ、ずいぶん殴られぶたれました。その先生たちが懐かしく慕わしく思われます。

そんな佳き時代のこの国は、絶対に甦りませんよ。 

でも・しか教師に、精神の鉄拳を振るう、橋下徹市長に拍手を送りたい。

   


えっ、どなたですか?

2013年02月07日 | 詩歌・歳時記

             伊吹山の虹

こんなに低温がつづく冬は初めてだ。 外に設置してある風呂のボイラーの部品が、凍結で壊れて

しまい水漏れが止らない。 で、町の電話帳を見て、ある業者にきてもらった。

かすかな記憶で、中学校の同級生だったのかしら?  と思っていたが・・・・・。

          寒ぶりに思ふや氷見と潮騒と

          山凍てて毅然とみ声発しけり

軽トラでやってきた彼がいきなり言う。 〇〇〇ちゃん、元気かい?  えっ、あんた、誰?

苗字ではなく名前を呼ぶ、そのおっさんは見も知らぬ他人でおました。

18歳で滋賀を離れて45年・・・・。 しかも、滋賀には6年しか生活していないのだった。               

コンビニや道の駅の駐車場で、しょっちゅう声を掛けられる。

あちら様はこっちをよくご存知のようだが、私には顔と名前がまったくフォーカスしないのだ。

むしろ、滋賀へ来る前の茨城県、東京の友だちの方をよく覚えているのだ。

          たまさかの陽射しにみちて冬の湖

          寒き日の蛇這うごとく続きけり

こちらで完璧に覚えているのは、 今は「ヒロ・ヤマガタ」と名を変えた山形くんと、

高校の親友、Iくんだけである。


もう一人の、横綱・大鵬

2013年02月01日 | 詩歌・歳時記

大鵬親方が亡くなった。 双葉山の現役時代を知らない僕にとって、大鵬こそが最強、大相撲の

象徴である。 しなやかな身体・美男ぶり、今は相撲中継など一切見ない僕だが、あの頃の熱狂

は、今でも身体と心の奥底にしっかりと息づいている。

        醒ヶ井・梅花藻の川辺

けれど僕には、もう一人の「大鵬」の面影が、まざまざと残っているのだ。

身長5センチの厚紙を二つ折りにして、こしらえた紙相撲の力士たちの面々である。

最高作を大鵬にあてた。次位を、好きだった「栃の海」。その次の会心作は「信夫山」である。

          ふと目覚め呼吸しており雪の音

          独りみる冬の星座をひとり聴く

今闘病中の、二所の関親方・ホラ吹きクレイこと、「金剛」なんて、両腕の上げ・下げまでを

はっきりと覚えているんだ。 力士の力量・得意技を把握しながら、腹のでっぱりや、両腕の

塩梅を考えながら、ひとりひとりのお相撲さんを創っていったのである。

「豊山」は、腕が長く、しかも左右の曲がり方が違った。だからして、上手投げ、下手投げが

見事に決まり申した。 わずか5センチの紙の力士に、それぞれの個性があったのだ。

           

土俵はシングル盤ほどだったかな。細めの縄を回して、四隅には「徳俵」も設けていましたよ。

座布団に乗せて、右手で左手で微妙な力加減で叩くわけだが、贔屓の力士には、叩きかたに

力がこもったものでした。 星取表をこさえてね。 背の高い「明武谷」がつり出しで決めた1番

なんて、快心でござったものだ。 褐色の弾丸・房錦、りゃんこの鶴ヶ峰、怒涛の柏戸・・・・・

 

現実の力士の顔よりも、紙の相撲さんの顔の方が・・・今もはっきりと思い浮かぶのです。