昭和39年、東京オリンピックの年、 「君だけを」 でクラウン・レコードからデビューした西郷輝彦
は、たちまち若手人気歌手としての地位を確立し、 新曲は2ヶ月に1曲、 ヒット曲の映画化は
3ヶ月に1作の割りで量産していった。 デビュー2年目はナント5本に主演しているのだ。
東映で 「十七才のこの胸に」 などで2作品。 松竹で 「わが青春」、大映では高田美和との
「狸穴町0番地」。そのあとは日活映画が続きました。 船員の高橋英樹を兄と慕う 「涙をあり
がとう」 や、 大学剣道チャンピオンを渡哲也と競う 「星と俺とで決めたんだ」。 ♪ ほーんとは
俺も好きだけど あいつにゆずっていくんだぜ 星と俺とできめーたんだ♪・・・・その彼女は若き
日の十朱幸代でしたね。 ヨーロッパ帰りのジャズ歌手・高倉マリ役でした。 そんなこともしっか
覚えているほど、 色っぽい可愛い大人の女でした。 ハァー!!
そんななかで 「傷だらけの天使」 は異色作でした。 これは西郷さんが雑誌「平凡」に連載した
初の小説の映画化でしたね。 鹿児島の高校生の西郷さんが町のチンピラと刃物ざんまいの喧
嘩をして、 仲間の罪を一身に背負い刑務所に送られて、冷たい鉄の扉が重い響きをさせて閉じる
場面から映画が始まります。 護送車のあとを追いかける松原智恵子のお下げ髪が目に浮かび
ます。 たしかスカートはチェック模様だったかな? 主題歌も作詞・作曲したんですよ。
いくたびも人とたがへし冬の星
山凍てて毅然とみ声放ちけり
やがて出所した彼が、大阪までは汽車・・・いヤンなっちゃうぜ!! 「きしゃ」 が変換できない。
ちなみにスマホでは一発でしたが。 XPがアホなのか? いずれにしてもこのPCは4月で廃止。
閑話休題・・・・・大阪から東京まで、 罪をかばってやった高校の同級生のトラックに便乗して、
行くわけだが、ナントこのトラックのボディーにクロネコのイラストが描かれているのですよ。
映画のクレジットに、協賛 「ヤマト運輸」 とありました。
あの頃の映画には、それからの日本の繁栄をしのばせる様々な 「芽」 が、いみじくも
いろんな姿かたちで映像として遺されています。
御三家と呼ばれ、人気を博したあの頃は 「永遠」 のような錯覚に陥りますが、 意外と短い
期間でしたね。 ちょうど勃興したグループ・サウンズにあっと言うまにとって代わられてしまった。
けれど、ボクの心のなかでは 「西郷輝彦」 は、永遠のスターであり、 素晴らしい先輩であり、
ボクを成長させてくれた素敵なあにき 「星空のあいつ」 であります。