湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

日活映画 「傷だらけの天使」

2014年01月27日 | 詩歌・歳時記

昭和39年、東京オリンピックの年、 「君だけを」 でクラウン・レコードからデビューした西郷輝彦

は、たちまち若手人気歌手としての地位を確立し、 新曲は2ヶ月に1曲、 ヒット曲の映画化は

3ヶ月に1作の割りで量産していった。 デビュー2年目はナント5本に主演しているのだ。

      

東映で 「十七才のこの胸に」 などで2作品。 松竹で 「わが青春」、大映では高田美和との

 「狸穴町0番地」。そのあとは日活映画が続きました。 船員の高橋英樹を兄と慕う 「涙をあり

がとう」 や、 大学剣道チャンピオンを渡哲也と競う 「星と俺とで決めたんだ」。 ♪ ほーんとは

俺も好きだけど あいつにゆずっていくんだぜ 星と俺とできめーたんだ♪・・・・その彼女は若き

日の十朱幸代でしたね。 ヨーロッパ帰りのジャズ歌手・高倉マリ役でした。 そんなこともしっか

覚えているほど、 色っぽい可愛い大人の女でした。 ハァー!!            

そんななかで 「傷だらけの天使」 は異色作でした。 これは西郷さんが雑誌「平凡」に連載した

初の小説の映画化でしたね。 鹿児島の高校生の西郷さんが町のチンピラと刃物ざんまいの喧

嘩をして、 仲間の罪を一身に背負い刑務所に送られて、冷たい鉄の扉が重い響きをさせて閉じる

場面から映画が始まります。 護送車のあとを追いかける松原智恵子のお下げ髪が目に浮かび

ます。 たしかスカートはチェック模様だったかな? 主題歌も作詞・作曲したんですよ。

          いくたびも人とたがへし冬の星

          山凍てて毅然とみ声放ちけり

やがて出所した彼が、大阪までは汽車・・・いヤンなっちゃうぜ!! 「きしゃ」 が変換できない。

ちなみにスマホでは一発でしたが。 XPがアホなのか? いずれにしてもこのPCは4月で廃止。

閑話休題・・・・・大阪から東京まで、 罪をかばってやった高校の同級生のトラックに便乗して、

行くわけだが、ナントこのトラックのボディーにクロネコのイラストが描かれているのですよ。

映画のクレジットに、協賛 「ヤマト運輸」 とありました。 

あの頃の映画には、それからの日本の繁栄をしのばせる様々な 「芽」 が、いみじくも

いろんな姿かたちで映像として遺されています。

 

御三家と呼ばれ、人気を博したあの頃は 「永遠」 のような錯覚に陥りますが、 意外と短い

期間でしたね。 ちょうど勃興したグループ・サウンズにあっと言うまにとって代わられてしまった。

けれど、ボクの心のなかでは 「西郷輝彦」 は、永遠のスターであり、 素晴らしい先輩であり、

ボクを成長させてくれた素敵なあにき 「星空のあいつ」 であります。

 

 


1.17なんて言っているうちは!?

2014年01月21日 | 詩歌・歳時記

今日は1月17日、 朝から夜遅くまでテレビでは神戸の震災から19年の特番で大騒ぎである。

耐えられるだけの短い時間をテレビで見ていて、つくづくと思った。 日本人ってやつはどいつも

こいつも乳離れしないガキだってことだ。 人は死ぬために生まれ、そして生きていく生き物で

あろう。 何故に死んだことを「肯定」できないのであろうか。 

 

京都の祇園や亀岡で、暴走車に殺された人たちの遺族が何年経っても、現場にきてロウソクを

灯し、写真を飾っている。 迷わず成仏できていないのは、その遺族たちである。

あまつさえ損害賠償を求めての訴訟騒ぎだ。 それこそ死者を冒涜するものである。

ひとは死んだ瞬間に「無」になるのだ。 霊とかタマシイなんぞ・・・・あるはずがないのである。

   

神戸の町のあの火の海を忘れない・・・・次の世代に語りつがなければいけない・・・・。

馬鹿を言ってるんじゃないぜ。 辛いこと、悲しいことはすべて忘れなければ、 重荷に耐えられず

生きていけないのが人間というものではないか? 

          生きるとは死ぬことなりし凍てし山

ボクにも幼くして死んだ姉と弟がいる。 深夜、顔も知らず亡くなった姉はともかく、 二つ違いの

弟を思い起こすとき、 この世の不条理に涙が次々と湧いてとまらない。 また、2年になる母の

死をいまだ受け止めかね、幾夜母を呼び涙にくれたであろう。 けれども肉親の死への涙は、

人知れず流すものである。 そして、孤独のうちに重く切なく・・・・人生を悟るべきものである。

    

ボランティアかなんだか知らないが、 自己満足の竹筒のなかのロウソクの火を灯し、 くだらない

他人の「イベント」にのこのこ出てきて、 父と妹があの震災で・・・・。 テレビ・カメラの前で

恥も外聞もありゃぁーしない。 泣いて・・・祈りを捧げるのならば、 たった一人でするべきだろう。

悲しみを孤独の身で乗り越えることすら出来ぬ・・・・ガキ呼ばわりする所以である。

          やがて死ぬいのち愛しき冬の星

ましてや19年の歳月が流れすぎたのだ。 肉親の死をおのれ個人の悲しみから昇華させて、

客観的な人生の定義へと心の深処に築くことこそ、ひとのなしとげねばならぬことであるはずだ。

それが先に死んでいった肉親の、せつない戒めであり、哀切の思いであろう。

     

本来、ひとが死ぬと言うことは、めでたい祝うべきことであるはずである。

それが例え、事故や災害であろうとも・・・・「死ねる!!」 その歓びは限りがないものである。

 「ナント言うことを!!」 と目をむくお方は、なんというオシアワセなこの世に生きておられることで

ありましょうか。親鸞さんの爪の垢でも、お飲みください。

群れることでしか 「悲しみ」 を乗り越えられぬこの国の民は、まったくのガキの集まりだ。

 

息子への遺言。 俺が死んだら・・・・葬式だけはするな。 お経の代わりに西郷さんのヒット・

パレードで皆んなで楽しい酒で酔いしれてください。 ようやく死ねたこのボクを祝福しておくれ、

そういうことさ。

 


サッカー音痴なんだが・・・・・

2014年01月15日 | 詩歌・歳時記

     

全国高校サッカー選手権大会を、準決勝から手に汗しながら見ました。 富山第一と星稜の決勝

戦は実に素晴らしかった!! 今住んでいる滋賀の高校が出てきても、これほどは感激しないだろ

う。 やはり生まれ故郷の富山のチームに肩入れもするし、胸の血汐が騒ぐのである。

   ただ一枚取ると秘めたる歌かるた  ・・・「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に

                              逢わんとぞ想ふ     崇徳院」

   ※ 昔むかし、正月に父母のもとに集まってきた兄弟やその子供たちと、カルタ遊びをするの

     が恒例だった。 みんな 「マイ・札」 があったんだね。 ボクはこの崇徳院の歌が好きで

     この札だけは取りたかったものでした。 年末の東京の仕事の合い間に 「百人一首」を

     読み返し予習に励んだものでした。

 

前半と後半に一点ずつ取られて、0対2である。 絶対絶命!!  試合終了間際、 ナントたて続

きに2点を奪い、 延長戦での奇蹟の一発!!  もうこみあげてきて・・・涙、なみだでした。

     ひとよりも賢きふくら雀かな

とはいってもね、ボクはサッカーって何にも知らないのです。 ミッドフィルダーとかボランチとか、

何それ? の世界で・・・・準決勝で引き分けに終わったら、いきなりPK戦だったのが、 今日の

決勝では延長戦が20分だって・・・。 1分といえどよそ見をできないサッカーより、やっぱり

俺は生ビールをごくごく飲みながら楽しめる 「野球」 が好きですね。

けれども今日の富山第一高校のイレブンには、「涙をありがとう」 感謝!!するぜ。 


西部劇 「シェーン」 のおばはん!!

2014年01月09日 | 詩歌・歳時記

映画「シェーン」を久しぶりに観た。 と、言うよりも農夫の妻を演じている、ジーン・アーサーに

逢うためでしょうか。 そもそもは、ゲーリー・クーパーとの「平原児」での、西部の女・カラミティー・

ジェーンを観てさ、ぞっこんになっちゃった。 革のムチを振り回して、男どもと対等に振舞う

さっそうとした西部の女と、 クーパーのビル・ヒッコックを恋するそのギャップの面白さ・・・・。

    

          冬の虹かけて神秘の竹生島

それからは格安DVDの売り場で 「ジーン・アーサー」 を漁りまくったものでした。

同じくクーパーとの、 ヒューマン・ドラマ 「オペラハット」での敏腕新聞記者。

ジェームズ・スチュワートとの 「スミス都へ行く」 での若き議員の秘書役・・・・。

この2作は古き佳きアメリカの良心を描く、フランク・キャプラの監督作品ですね。

またケーリー・グラントと組んだ 「コンドル」 も、 男の世界の紅一点ですか。

          寒すずめとは見ていても四五羽おる

彼女がその独特のハスキー・ボイスで息子に言う。 「シェーンを好きになってはいけないわ。

別れがつらくなるでしょう」  そして、もうひとつのシーン・・・・妻がシェーンと踊る宴の夜・・・・

夫の農夫はすべてを悟っているのだが、おくびにも出さず妻を信じて見つめる男らしさ・・・・。

あらためてこの映画の価値を再確認した気がいたしました。

 

シェーンのアラン・ラッドはやっぱし好い男ですね。 銃の早撃ちでも有名だったとか。

彼が0.6秒ですって。 その上をいったのがクーパーの0.4秒だってさ。

さて次に控えしは・・・・0.8秒のナント日本のエースのジョーこと、 ほっぺたの落ちちゃった

宍戸錠なんだって・・・・。 楽しいですね。 もっともいつも撃ちあいでは、決して負けなかった

トニー・赤木さんはいかにも不器用ですものね。 

女優さんでは、ジーン・アーサーたったひとりが好きです。 かのひとの顔に見惚れて・・・・・

映画の筋書きがまったく頭に入らない・・・・そんなことが、何度もありましたです、はい。

今夜の 「シェーン」 も、忘れちまったいろんなシーンの連続で、 初めて観たような新鮮な

感動がありました。 ジーンの佇まいはしっかりと頭脳に叩き込んだのは、当然のことです。

 


謹賀新年

2014年01月03日 | 詩歌・歳時記

正月も3日を過ぎるころ、お節料理もあきてくるのだが、 かつてのわが家は父の誕生日が5日で

あったゆえ、4日には母と妹たちが近江牛やら野菜やら、すき焼きの材料を買出しに行くのが、

恒例であった。 毎年のお約束で楽しみのひとつではあった。

東京からボクたち4人、大阪から彦根から弟夫婦や子供たち・・・・最大で13人か14人の大家族

であった。 長方形のコタツにもうひとつコタツを並べて、秩序もなにもありゃーしない宴の始まり

である。 台所と茶の間を忙しく往復する母・・・・。 

          恋の娘の

          吾子に寄り添ふ黒髪に

          寂光院の冬の陽は映ゆ

そして今は、この茶の間にボクがひとりで酒を飲んでいる。 まったく ♪ 春高楼の花の宴・・・・

であることだ。 けれどこの空間には父と母の濃密な思い出が、いつも流れ漂っている。

     

          姉川の雪の川原を

          縫ふ水は

          何やきらめく声を挙げつつ

「父さん」 と呼んでみる朝・・・・「母さん」 とつぶやく夜更け・・・・

たった一人で住んでいるこの家に、ボクはけっして独りではないと・・・・想うんだ。