湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

小天地

2012年05月31日 | 詩歌・歳時記

                 

競馬の祭典、第79回ダービーが終わった。私の本命馬「テ゜ィープブリランテ」は、見事に

一着だったのだが、二着馬がノーマークだった。 競馬の口座の残額がゼロになってしまった。

祭りの終わった虚脱感に、ふらふらと庭に出て、斜めに生える芝生に寝転がった。

          流木を五月の湖水濡らしけり

          湖蒼しせんだんの花こむらさき

伸び放題の雑草を、けだるく抜いていた時、和裁の仕事に疲れた母が、庭に出て、

雑草を抜いていた姿を、ふと、思い出したのだった。

                       

今は亡き両親が、残してくださった私の「小天地」である。いつか、芝生に寝転がり涙していた。

大げさに言うと、戦火を抜けて故郷・タラへ帰ったスカーレットが、土を握り誓った言葉を思い出して

いた。 母がみまかって土地・建物を引き継いだ訳けだが、背中に感じる土の温もり、芝生の

感触に初めて、「ここは、俺の土地なんだ」と、思い至ったのである。

ふと見ると、去年、ゴーヤときゅうりが成っていた場所に、さやえんどうが成っていた。

えっ、母が植えたのかしらん? 10莢ほどのお豆さんを収穫。

          若葉雨競馬新聞まだ来ぬか

          桐咲いてすこし華やぐ峠道

一個残っていたジャガイモをサイコロにして、水から煮る。別の鍋でお豆さんとしめじを煮て、

じゃがいもに投入。甘辛く煮上げて、負けた競馬を思いつつ、母の「遺産」に舌鼓を打ちつつ、

ホークスとドラゴンズの、ナイターに一喜一憂している初夏の夜である。         


葦と芦・・・・よし&あし。

2012年05月25日 | 詩歌・歳時記

                 

菜の花が咲いて、桜が咲いて・・・・桃の花っこが咲く頃は、おらだちの1番いい季節だがやぁー。

べつだん、「りんご追分」を気取っているわけでは、ないけれど、この季節・・・・近江での一押しは

近江八幡の水郷舟遊びであろうか。

    葦の芽の水面に凛と櫓のひびき

「ヨシ」という和名は、「アシ」が「悪し」に通じるのを忌んで、逆の意味の「良し」と言い換えた

のですね。関東は「アシ」、関西では「ヨシ」が一般的のようです。

                       

水中に並びたつその茎は、多くの動物の棲家や隠れ家としても、利用されていて、また、

自然の浄化作用も盛んで、船頭さんの話ではヨシの辺りの水は呑めるのだそうです。

     またの名は妹川よ

     きらめいて音符踊りて

     春の水ゆく

          

夏の陽射しを避ける、葦簀のすだれは見た目にも涼しげですよね。びわ湖を巡る自転車道には

「よしぶえロード」なんてネーミングもつけられています。

     ひと思ふあわくはるかや青き踏む

葦原もびわ湖周辺ではずいぶん少なくなりました。 そして湖水が汚れていく一方です。

「ヨッシー」と言われるように、大自然を守っていかなければ!!


南海ホークスの頃

2012年05月19日 | 詩歌・歳時記

                藤と伊吹山 

五月晴れである。家の窓、戸を全開にして、風を通した。 

タンスの引き出しを、何気もなく開けたら、緑色の野球帽子が出てきた。

南海ホークスの球団承認の、まだ小学生だった息子に買ってあげたものである。

南海の「N」とHawksの「H」を組み合わせたマークなのだが、Hの縦の棒の外側に

やや短めの縦の棒が付いている。

南海電鉄の電車の鉄輪をイメージした、意匠なのである。

          爽やかに風吹きぬける

          三島池

          五月の伊吹若武者のごと

                          

ホークス・ファンになったのは、三丁目の夕陽の時代。 鶴岡親分の下、エース杉浦、

4番野村以下、綺羅星のごとく名選手が揃っていた最強の時代であった。

ところが息子を後楽園や西武球場へ連れて行った、昭和末期は弱小球団に成り下がっていた。

ドカベン香川と長距離砲・門田博光くらいが、スター選手だった。

エースは三人。山内新一、山内孝徳、山内和宏の「やまうち」トリオだった。

          ひと株のリラに出逢ひて

          麗しの

          君の五月はここに始まる

       敦賀・山の上の温泉

ホークスの帽子をかぶった息子と、キャッチ・ボールをするのが至福のひとときだった、あの頃、

遠い、はるかな昔のあれこれを、沈黙の饒舌で今に語りかけてくる、野球帽ではあることだ。

 

   


滋賀県知事・嘉田由紀子賛歌 ②

2012年05月13日 | 詩歌・歳時記

                

嘉田さんの新著 「知事は何ができるのか」 を、ようやくにして読了した。

なにせ、京都大学大学院・ウイスコンシン大学大学院終了の、農学博士の才媛である。

一介の歌詠みには、その緻密で論理的な文章を、例えば池波さんや五木さんの小説のように

いちページを右から左へと、斜めに読んでいくことは不可能であった。

                     

正確で堅い文章の行間からは、このおひとの誠実で、粘り強く交渉していく姿勢、女性ならではの

しなやかな香りを、共感をもって嗅ぐことができたのだった。

          桐咲いていもうと川は華やげる

          姉川へ入るながれや桐の花

埼玉県・本庄市のご出身である嘉田知事は、修学旅行で比叡、琵琶湖を初めて観て、

感動されて、京都の大学へ進まれてから今日まで、県庁に入り、琵琶湖研究所、琵琶湖博物館の

研究員を経て、知事として活躍される今日までの40数年間、びわ湖と周辺の暮らし、自然を愛し

続けてこられたのである。

     

「近い水」「遠い水」という表現が、印象的だ。 むかしは川が一番の子供たちの遊び場であった。

生き物とのふれあい、危険への事前の備えなど、上級生が下級生にそれとなく教え、自然を最高

の友としていたのだったが、現代は大人にとっても「遠い川」「遠い水」になってしまった。

昭和30年代、三丁目の夕陽の頃の精神を、滋賀とびわ湖に取り戻すことを基調として、

日々、知事としての仕事に励まれておられる。

          近江とは水の王国風薫る

          さくら花いのちを見つめ尽くすまで

                         

原発問題、ダム計画、生態系の保護、そして県民の生活・・・・等々、難問は山積みである。

一歩下がって二歩進む、嘉田由紀子知事ならば、既成の政治家は決して持たなかった視点と

方法で、明るい未来への架け橋を築かれるだろう。

埼玉のご親族が 「由紀子は、滋賀県へ嫁にやったもの」 と言われているとか。

可愛くて、賢いこのお嫁さんを、滋賀県は絶対に失ってはいけないのだ。