デジブック 『びわ湖一周・冬』
死んだ母に、納棺の前に死に衣装を着せた。
あらかじめ母が用意をしていたのだった。 畳紙に包まれた、醒ヶ井の湧き水のような
清げな水色の死に衣装であった。 母の文字で「旅立ちの衣」と大書してあり、
その下には 「みなさま、ありがとうございました」 と書かれてあった。
風花や母のみたまの舞ふごとく
そして自分が選んだ、一葉の写真。 喪服の細工はしないで、普段着のままの写真で・・・
というのが母の願いだった。
母逝きぬ手縫いの浴衣身にまとひ
葬儀が終わり、火葬場へ行く。天気予報は大雪注意報だった。 まして火葬場は雪の深い
北方なのだ。 けれども、粉雪がちらほらと詩歌を誘うように舞っているだけであった。
観音のごとき死に顔
たらちねの母に寄り添う
如月の雨
散歩に行って、帰ってくると、空き缶やポイ捨てのごみを老人車に拾い集めてくる母であった。
そんな母の積み重ねた徳と、私たちへの変わらぬ愛情が、よい天気をもたらしてくれたと、
信じています。 天のずっと上で、いつも私たちを見守ってくれている、母なのです。
おだやかな母の死顔や針供養
いみじくも、葬儀の日は和裁に一生を捧げた母にふさわしい「針供養」の日でした。
肩先の蒲団は二度と上下せぬ
母へ訪のへ
永久のやすらぎ
わた雪や母はお骨となりたもふ
雪深し母を思ひて米をとぐ
長浜・盆梅
末期ガンで入院していた母が、三食が二食になり、もう食べたくないと言ってから、
2日目のお昼すぎ、「息苦しいから、背中をさすって・・・」と言われ、腰の痛みに耐えながら、
母の吐く息、吸う息にあわせて、やせ細った背中をゆっくりとさすっていた。
30分ほどして、下にした腰が痛いから、身体の向きを変えて、と言われ・・・・大汗かいて
向きを変えたのだった。 肩先の細さに比べ、腰、足はリンパ液が下がってきて、パンパンに
ふくれ、浮腫んでいるのだった。
顔が向いている方に、時計とティッシュを置いた。 「大きいボタン・・・」と母が指摘する。
あぁ、ごめん。母にとっては命の綱の、ナースへのコール・ボタンを顔の向きの方へ置く。
それほど意識はしっかりとしていたのである。
けれど、小さな縦型のボタンを押す力は母にはもうすでになかった。大き目のスピーカーのついた
コール・ボタンを目にして、母は安心したようだ。
あどけなく口を開きて
水せがむ
母よゆっくり時よ歩めよ
そして、また背中をなぜていたのだが、息するたびに上下した母の肩が、突然止まった。
あっけない、死に際であった。
私の手の平に残る、母の背中のぬくもりを、けして忘れない。
ガンがあれほど転移したにも関わらず、痛みはなかった。それが救いでもあります。
母逝くや 春立ちてより 三日のち
雪嶺や あの世とやらへ 逝きし母
母逝くや 夢の舞台の ごとき雪
風花や 母のみたまの 舞ふごとく
てるてる、とか星の王子とか呼ばれた彼。 自分が何者なのか知れず、どう生きていけばよいのか
も、解からぬ私に、ひとすじの細い道のりを、その歌声で指し示してくれた。
街灯のひかりの巾にふる雪よ
コンサート、お芝居公演・・・・随分行きましたよ。 最初は高校生の時、彦根市民会館のショウ。
大阪の労音のワンマンショウ。東京では日比谷野外音楽堂の「西郷とロック」。ゲストの和田アキ
子がドタキャンだった。 「エンジェル」の時は、新宿のルイード。 私の目の前に西郷さんが・・・・
湧水に夜なかりけり沈丁花
そして名古屋の御園座の座長公演には、毎年楽しみに行っていた。芸能生活35周年記念の
コンサートは大阪のサンケイ・ホールへ。去年は「青春BIG3」コンサートを名古屋で。
雪激しいのちの果てを知らしめて
映画のビデオ・DVDもたくさん集めました。これで、いつくたばっても、よいよいになっても
毎日、毎日・・・・西郷さんに逢える。 その日のくるのがお楽しみというものです。
15歳。絵を描くことに夢中だった。将来は絵描きになる、それだけを夢みていた。
屋根の甍の、濃い、薄いを表現することに幼い命を燃やしていたもんだ。
15歳。西郷輝彦を知った。「十七才のこの胸に」・・・・・その時から、人生が変転した。
絵筆を捨てて、詩歌の世界にどっぷりと浸かったのだった。
虹たちて湖北に冬は来たりけり
2月5日、西郷さんの誕生日。65歳。
西郷さんの歌の詩を書きたい!! それからは、作詞家への勉強が始まったのだ。
お金を得ると、全世界のあらゆるレコードを買っては、聞いた。
そして、関東をへめぐり歩いた。けれど、その時に私には「詩」は来なかったのだ。
雪激し生きる意欲の湧けとこそ
「二人のビートルズ」で、作詞家のデビューは、果たしたけれど、西郷さんとは、
遠い存在でしたね。 そして、西郷さんもヒット曲に恵まれない時期が長い。
なんとか俺の詩で、と思った。 思ったけれども、西郷さんは常に私の一歩先をいっていた。
伊吹嶺は凍てて巌となりにけり
今、西郷さんはご自分の環境、運命に逆らうことなく、楽しんでおられる。
数年前に、そんな心境に到達されたとか。そして、私も同じだ。
なるようにしか、ならない。すべては「LET IT BE」なのである。
湖あれて睦月の風の吹くことよ
白鳥のみずうみとなる日和かな