湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

湖時雨

2011年11月26日 | 詩歌・歳時記

                                 湖北の初冬は、毎日のように時雨が続き、ごくまれに小春日和の晴れ間も広がるけれど、

湖には強い風が吹き荒れ、波頭も猛々しく湖畔に打ち寄せる。

伊吹山の全容も、見えぬ日々が続き、まるで北陸地方もかくやと思わせる天候である。

          太古より清水湧きつぐ醒ヶ井に

          母を歩ます

          石蕗の花

                         

          大いなる

          二連の虹は架かりたり

          時雨れ晴れ間の湖の上

                              

          片時雨

          湖国の虹は北に立つ

          はかなき望みにも似て淡し  

                


鴉と栗毛

2011年11月20日 | 詩歌・歳時記

                    

50年もむかしのことだが、鳩を飼っていたことがあった。 細かいことはすべて忘れてしまったが、

初代の雄と雌の2羽の鳩だけは、その羽の色と艶、愛くるしい目の光りなど、今も忘れない。

            栗毛の雄と、真っ黒い羽色

のからす鳩が雌だった。いくらか姉さん女房のようだった。 先ず、鳩小屋を作った。

買ったものは、全面に張る金網と、アルミ製のなんと言っていたか? 入り口、出口に吊るす棒状

のもので、入る時には鳩が押して入り、出ることはできないのだ。

          雨煙る湖上の鴨や孜々として

          薄墨のひと刷け延べて湖時雨

                          

初めて、手の平に乗せた餌をついばんでくれた時の喜び。 「慣れた!!」 と嬉がっていたら、

悪童が言う。 「空に放して、帰ってきてから、そう思え」と。

          色鳥や湖畔に歳を重ねつつ

          秋ふかむ立ち止まることの多くして

ある日、ついに決心して2羽の鳩を空に放した。 最初のころは、別の集団が飛んでいると、

一緒になってしまい、帰らぬことがあるそうである。 いちいちアドバイスをくれた悪童が誰れ

だったのか、遠いかすみの彼方である。 祈りにも似て放した。それは「賭け」そのものである。

                   

          遠き日はとおくに置ひて返り花

          やわらかく灯すほかげの花八つ手 

無事に帰還した2羽が、肩に止り、頭に乗り、にわかに愛しさがつのったものである。

やがて、雛が生まれた。オス・メスの毛色がまったく逆にでていた。 子供ごころに命の

神秘を感じたものだ。      

中学生時代、飼育した2羽の鳩とともに、大人への入り口にそっと立ち、世間への階段を

登りはじめたときめきは、手の平に残る鳩のからだのぬくもりと共に、忘れない。

      


水の都・・・・大垣

2011年11月14日 | 詩歌・歳時記

濃尾平野の北西部、伊吹山を背景にして、揖斐川に注ぐ大小の支流が形成する

水郷に囲まれた大垣は、また松尾芭蕉の奥の細道の「結びの地」でもある。

関が原合戦の前哨戦となった舞台が、石田三成の西軍が入った大垣城である。                          

残念なことに、昭和20年、米軍の大空襲に遭い、三日三晩炎上し続けて、灰塵と化した。

この城をぐるり取り巻くように、水門川が流れる。即ち、外堀である。町を歩けば、至る所で

水音を聴く・・・・嬉しい町並みなのだ。

                        

冷たく、美味い水のありがたさ。汲み上げているのではない。自噴水なのだ。

          大垣はさくら紅葉の水に散る

               

芭蕉が奥の細道の旅を、大垣の地に選んだのは、弟子で援護者の、舟問屋を営む

谷木因がいたからである。 「蛤のふたみに別れゆく秋ぞ」の一句を残し、桑名へ去る。

        

          秋風や水の大垣もやひ舟

                          

今、この隣に大掛かりな造成工事が始まっている。芭蕉記念館が建つ予定とか。

  住吉燈台

大垣は升の生産量、日本の8割を誇るという。北の山地の良質な檜、それを運ぶ水運が

木曾三川と言われる、揖斐・長良・木曾の川筋に恵まれているからだろう。

                       

          水澄みて選ぶも楽し五合升


北国街道・・・・・木之本宿

2011年11月08日 | 詩歌・歳時記

                

北陸と近畿を結ぶ古い街道である。金沢のお城下から、中仙道・鳥居本までを北国街道と

呼ぶ。別に江戸、岐阜への近道として、木之本から関が原への街道を「北国脇往還」と

いい、伊吹山の裾野をぐるっと取り巻いている道がある。

     

戦国の時代、かの秀吉が52キロの道のりを5時間で大垣より取って返し、かたや、柴田勝家が

雪を掻き分けて決戦の地にたどり着いた、それが「木之本」の地である。

          近江野は朝霧夜霧夢のごと

          秋風や紅殻格子つづく町

   本陣薬局の、古びた広告板 ↓                        

昭和の初期まで、牛馬市が開かれていたそうな。かの山内一豊の妻、千代がへそくりにて

名馬を買い求めたのも、この地である。

紅殻格子と、犬矢来、そしてうだつと、街道と・・・・地味ながら今に残る、湖北・木之本の

宿場の風情は、やがてくる厳しい冬に清らげに震えているかのようである。

           ほととぎす咲かせて宿場はずれかな

           孫の笑み枝に咲かせて帰り花

              木之本地蔵