湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

天の声

2011年02月17日 | 詩歌・歳時記

新聞や雑誌で気になる本を見つけた時、先ずは書店へ行く訳
けだが、お目当てのその本が見つからなくても、店員に尋ねたりはしない。あっさり諦めて帰るのだ。読まなければならぬ時、必ずやその本にめぐり逢える。そんな天からの声が聞こえてくる。

東京で暮らしていた時代、何故か大阪のおひと、司馬遼太郎の作品ばかりを読んでいた。
「関ヶ原」での石田三成びいきという共通項があるにせよ、今思うと不思議でならない。
勿論、五木さん、清張、吉川英治、尾崎士郎、西村京太郎なども読破した訳だが。
                
滋賀へ移ってからは、池波正太郎ひとすじである。「鬼平犯科帳」など何回読み直しただろうか?
ビデオを見れば原作が読みたくなり、小説を読めばドラマが見たくなる。
そしてつくづく悔やまれるのが、何故、もっと浅草や深川辺りを歩かなかったのか、と言うことだ。
鬼平や密偵たちが歩き回る、江戸の町のただずまいが、もっと濃密に肌感覚として感じられる筈である。仕事場も家も、ずっと中央線沿線であったのだ。四谷辺りならば、その空気の匂いはわかるのだが。それもこれも、縁というものなのだろう。

江戸時代の古い資料から、池波さんが鬼平こと旗本、長谷川平蔵を探り出したのは30代の頃だった由。だが、池波さんが述懐するには、その頃はまだ、文章が固くて江戸の世話話を書くには早すぎると、長く温存されていた。信州・真田に材をとった「錯乱」で直木賞を受賞され、池波節が確立し機が熟した頃、あの名作が書き出された訳だ。

テレビドラマでのはまり役を演ずる、中村吉右衛門もまたしかり。話が持ち込まれた時、
考えた末に断ったとか。彼の演技力が熟成されつくした頃にドラマが始まったのだった。

   池波さんに出会うためには、私もまた、人生の経験と内なる成長が必要だったのだ。それでなければ、小説の面白さの上っ面だけ
を味わったに過ぎないのである。天はじっと無言のうちに、待っていてくれたのだ。人の世の機微と、底知れぬ面白さに満ちた池波ワールドを味わい尽くすだけの、成熟の時を。

天の声には、一切の無駄はないのである。最適の時に、最適のものや人と出逢うのである。


雪の余呉湖

2011年02月11日 | 詩歌・歳時記

琵琶湖の最北端にそびえる山が、かの昔、柴田勝家と羽柴秀吉が信長の後継者たらんと、
覇を競った古戦場、賤ヶ岳である。今は深い雪に埋もれて、容易に登ることも叶わぬが、
頂上に立ってみれば、素晴らしい景観に目を見張る思いがする。南を向けば雄大な琵琶湖が、
眼下に光るちりめんの波、はるか彼方にはうす紫ににけむる比叡の山影が、目を和ませてくれる。
北を見る時、ひとかかえ程の余呉湖が、周囲の木立を静かに映しひっそりと息づいている。 

                                       
国道を外れて余呉湖への道を行く。レストハウスがあり、釣りの桟橋が湖心に向けて伸びている。
回遊するわかさぎを狙って、防寒具に身を固めた釣り人たちがそれぞれに楽しんでいる。
湖を一周する時、時計回りに進むのが常道だ。車がすれ違うのに難儀する程の狭い道なのだ。

余呉湖から流出する川は余呉川ひとつ。入ってくる川はない。湖底から水が湧くのである。
水温は低く、故に夏場も遊泳禁止である。最も奥に国民宿舎「余呉湖荘」があり、
山に抱かれ湖水に面している、絶好のロケーションである。建物の脇から賤ヶ岳への登山道が、
鬱蒼とした森の奥に伸びている。やがて、紫陽花公園の外れに、細長く背の高い句碑が現れる。
芭蕉十哲のひとり、路通の「鳥たちも眠っているか余呉の海」。

白樺の幹に雪が凍りついてへばりついている。湖北の雪は、北へ1㎞行けば1㎝深くなるのだ。
息子が高校生の頃、付き合っていた彼女と雪の降りしきる余呉湖を歩いたことがあった。
          帰ってきてから「良かったわ、二人っきりの世界を満喫したぜ」と、のたまいやがった事である。青春の一ページの思い出が、今は社会の荒波に立ち向かう彼に、何らかの力になっていれば幸いである。


やがて道は集落の中へ。ここで「桐畑さーん」と大声で叫べば、邑びとの大半が振り返るだろう。
ほとんどが桐畑姓なのだ。やがて、湖から少し遠ざかった辺り、柳の巨木が見えてくる。

むかし、羽衣を柳の枝に架けてひとりの天女が水浴びをしていた。桐畑三太夫という者が、
この羽衣を隠してしまった。やむなく一緒に暮らし始め、やがて男の子が生まれたのだが、
ある日、納屋に隠した羽衣を見つけた天女は、望郷の思い止みがたく、天へ帰ってしまった。


菅山寺と言う山寺で学問に励んだ男の子こそが、後の菅原道真であるそうな。そんな伝説を
素直に受けてしまいそうな程、素朴で静かな湖、余呉湖。別な名を鏡湖とも言う。