湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

愛しき花よ、つわの花

2014年10月31日 | 詩歌・歳時記

南向きの小さな庭に、今年も石蕗の黄色い花が満開になりました。

          亡き母のうしろ姿や石蕗の花

つわぶきの花には、切ない思い出がいっぱいにあるのです。 梅花藻の水中花がちいさく、

滅びるころの醒ヶ井の清流の岸辺には、散り残る百日紅のはかなげな幻影と、すすきのほかげ、

桔梗の花とともに、やがてふっくらとした石蕗の花が水辺に咲きはじめます。

          太古より

          湧きつぐ清水醒ヶ井の

          母を歩ますつわぶきの花

     

彦根城の内堀に今も古色を称えながら、「埋もれ木の舎」がある。 大老、井伊直弼が一生を

ここですごそうと決意して、日々国文学・茶の湯・和歌等の世界に余生を送る覚悟をして、

「世に外れた生き方」を、志向した庭園である。 この時期・・・・狭い庭につわぶきの花がけなげで

ある。 ここの石蕗の花を見つめていると・・・・大老とその片腕の長野主膳、三角関係だった

村山たか女のことどもが想われてならないのです。

          つわ一輪母直伝の豆腐揚げ

ずいぶんむかし、京の直指庵に寄ったおりも、つわぶきの花の出迎えを受けたことがあった。

群生しているわけではなく、一株、二株のかれんなつわであった。妙にこころに残っているのだ。

          矜持なき国に咲きそむ石蕗の花

そして、そして「石蕗の花」といえば、わが友・・・・雅也さんのこの句がある。

          灯台の灯の巡りけり石蕗の花      杉 雅也

ボクはこの句を現実には観てはいない。けれど、崖の上から灯が回ってきて光がつわの花を

荘厳するその瞬間の、神々しさ・・・その感動を共有したものである。

          つわの花恋しき母はどの星に

     


ボクのスライダー

2014年10月28日 | 詩歌・歳時記
日本シリーズ第二戦は、九州のダルビッシュこと武田翔太、21歳の次世代のエースの活躍でイーブンに戻した。

速球と落差の大きいスライダーのコンビネーションで、虎を黙らせた、のであった。かのボールは次の監督候補の工藤公康の得意玉~カーブと思っていたし、解説者もそう言っていたのだが。

秋山幸二監督は「スライダー」と明言していた。えっへ! と、言うことは♪ 若かりしボクが多摩川河川じきなどの草野球で、ピッチャーとして投げてたボールの握りとおんなじなんだ。

試合を観ながら、サンスポの懸賞で当たった今宮健太のサインボールの、糸目に指をかけてはうなずいていたのだった。 南海ホークスからの鷹贔屓である。
投球フォームは当然ながら、アンダースローだ。

親指と人差し指を縫い目にかけて、抜くように手首を曲げて杉浦のように投げる。内角から、外角へ~みんな面白いように空振りさ。つまり武田が縦の変化なら、ボクのは横の変化球だった。

けど所詮は素人の浅はかさ、だった。
相手のチームの高校時代に、甲子園を目指したなんて若い新聞配達の学生には、
どこを投げても外野に強烈な打球を飛ばされたものだ。

ボクも若かったのである。今なら同じ握りで上から投げてやるさ。そして左からも投げられたのであります。

武田よ、明日の鷹を背負うために、尻をでかくせんかい!
そして、おっちゃんのたわごとを信じて、ここぞと言うときには、背番号21の
杉浦のようにアンダースローで、スライダーをきめて見せておくれ。

南海ホークスの日本一を信じる。





おもろいがな、黒川博行

2014年10月23日 | 詩歌・歳時記

       

        マキノ高原

今年の直木賞受賞作、黒川博行著 「破門」 の評判がやたらに高かった。

テレビのインタビュー番組などにやたら登場!!  いかつい強面するすがたで、いささか品のない

大阪弁をしゃべりはる。 書評には 「やくざとコンサルタントの、漫才顔負けの関西弁のせりふの

かけあいとテンポで読ませる」 とある。

ボク、やすきよ漫才の大ファンでおます。 で、図書館へ行って敵前偵察でおます。 

            晩秋のいのちのはてのジュンの歌          ・・・黛 ジュン

「疫病神」 シリーズの最新刊であるとある。 で、一巻目から借り出して読みましたがな。

ただひと言・・・おもろかった。7冊あった近江図書館の全冊を読破!!

「リクエスト」用紙に記入して、1週間後に大津図書館の蔵書の 「暗礁」 を読み、こうなると

病硬膏にいる、でんな。 なんと、図書館の蔵庫にあと2冊あるという。 で 「迅雷」 と 「麻雀

放蕩記」 読破。 今は文庫の 「海の稜線」 を残りページを確かめつつ、読んでいる。

ベスト・スリーは、「疫病神」 「国境」 「破門」 でっしゃろか?

            竹生島はなれて秋の船となる

「疫病神」 シリーズはやすきよで映画撮ってほしかったな。 こてこてやくざのやっさんと、

気は弱くてもずる賢いきよっさん・・・ぴったりでっせ。 

 

 


この虹の消える時にも

2014年10月17日 | 詩歌・歳時記

       

         マキノ・メタセコイヤの並木道


ここまでは必死に生きてきた。心がこわれそうな時に、明日のゆくへが濃霧にかき消えそうになる

夜更けにも、いつの日もこの歌をうたい、あるときには叫び、時には涙をかみしめて低くつぶやき、

そして命の灯火としてきたのだった。


西郷輝彦「この虹の消える時にも」である。

もう駄目だ! 人生の断崖に追い詰められた時に、切なくも祈るように指を鳴らして歌うのだ。


    ♪ この虹の消える時にも
      涙なんかこぼしやしない
      だってだって俺は男
      だってだって俺は若い
      もういちど もういちど
      俺は追いかける
      青い空と赤い太陽            水島  哲・作詞  北原じゅん・作曲

                              クラウンレコード  1965.12


50歳代までは、そうだった。 苦難のときのボクのテーマ・ソングである。

けど、もうアカンのかな? 鳴らす指のひびきが弱々しくて、思わず首をふる。


    ♪ もういちど もういちど
      俺はつかむんだ
      遠い虹と若いしあわせ


とめどなくながれる涙のなかで、もういちどもう一度と指を鳴らす。大丈夫さ♪

ボクには西郷さんがついているんだ!


別れた妻よりも、長い歳月にわたって愛した西郷さんだもの。

短歌を極めてやる! 芭蕉を超える俳句を詠ってみせよう!  あと1枚のレコードを出さねば!!

もう一度、と背を伸ばすボクのエネルギーは、この歌、

「この虹の消える時にも」なのである。

                    
           



「こわい」 坂道のお話し・・・・・

2014年10月03日 | 詩歌・歳時記

茨城県日立市・水木小学校への転校一日目のこと。 

ボクは5年生、となりの家の京子ちゃんは1才年下だった。 校舎への急坂道をあえぎながら歩いて

いた時、 突然のように京子ちゃんがつぶやいた。

「あぁ、こわぁー」・・・・・えっぇー、 坂道の両側は鬱蒼と生い茂る樹木で薄暗い。 

もしかして?   「ゆ・う・れ・い・・・・」。 でも、すぐに誤解はとけたのだ。 「こわい」とは、北茨城地方

の方言で 「疲れる・しんどい」 と、いう意味だったのだ。

          新涼や母よあの世はどうですか?

東京の田無から転校したボクにとって、この北茨城の海辺の町は1年遅れていましたネ。

放課後、靴に履き替えて出ようとするボクたちに、先生たちのDDTの一斉噴射である。

優等生もクラスのマドンナたちも、全員が真っ白な頭をふり振りグラウンドへ走っていったものだ。

あの頃の子供・がき共って・・・・今思い返すとホント健康だった。 ずるっ鼻っを垂らして、袖で

拭くからみんなピッカピカに光っていた。 ころんで膝でも剥こうものなら、 土でも塗っとけ・・・・

なんてものだった。 肛門のあたりにいつもぬめぬめと 「回虫」 がお散歩していた。

だから・・・・あの頃には、アトピーだの花粉症だの・・・・現代のガキどもの軟弱な症状なんて

なかったものだ。 

けれどもやっぱり、変質者ってのもいたのです。 でも、神戸・長田町のあれとは違って・・・・・

森の奥でちゃんばらごっこをしたりして、 子供は子供なりに社会の窓口を垣間見ては、勉強して

いたのです。 

          独り身に金木犀のにほひかな

現代の子供が犠牲になる犯罪、 アトピーで苦しむ子供のその敵こそ・・・・若い母親だ。

つまりはその母から、文化・手段をゆずり受けえなかった、子供を生む資格さえない馬鹿な母親が

多すぎるのである。 股を2回も開くなかれ!!  と、この国のために言いたいよ。

 

校舎への坂道を登りつめる時、 雄大な太平洋が眼下にひろがった。

木造一階建てのあの校舎は・・・・・「水木小学校」・・・・6回も転校したボクの、

母校なのである。