湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

トニー・赤木圭一郎を偲ぶ

2013年10月31日 | 詩歌・歳時記

  

茨城県日立市水木町、 50年もの歳月が流れてしまった。 ボクは小学校の6年生だった。

小さな港町に初めての映画館ができた。 1週代りで、東映・大映・日活・東宝でしたかね。

3本立ての映画を、時には立ちづくめで見ていたものです。

          常陸なる水木の森の

          ふくろうの眸は忘れめや

          少年の日々

時代劇の好きな父に連れられて、東映のチャンバラ映画を堪能した翌週は、溜め込んだ

お小遣いで「日活」のアクション映画を、食い入るように観たものだ。

裕次郎、旭・・・でも、ボクはトニーこと、赤木圭一郎に1番こころを魅かれたのだった。

    

ところが滋賀の中学校へ転校してまもなく、トニーは撮影所の鉄の扉へゴー・カートで突っ込んで

死んでしまった。 あの時の衝撃というものは今でも忘れるものではないのです。

          天に棲む前衛の画家

          なぐり描く雲のかたちよ

          湖の落日

年に一度は必ず観る映画がある。 西郷さんの「この虹の消える時にも」、「星と俺とで決めたん

だ」、 清張の「砂の器」。 橋蔵の「風の武士」、錦之助の「瞼の母」・・・・・。

そして、トニーの 「紅の拳銃」 である。

64歳のボクが、21歳で死んでしまった赤木さんを、 今も尊敬語で語っている。

生きているならば、74歳ですね。 でも・・・若くして死んだトニーは幸せだったね。

こんな・・・最悪の世の中を見なくてすんだのですから。

          ひと思ふ心いつしか

          蒼く染め

          あるがままにと越前の海

           

 


映画「小熊物語」

2013年10月25日 | 詩歌・歳時記

今夜はCSの番組で 「小熊物語」 を再見した。 10年ほど前にレンタル・ショップで借りてきて、

母と見た映画である。 テレビ画面をキラキラとした視線で見て、 かわゆい小熊の仕草に感動の

声を挙げた母であった。 その小熊は生まれてすぐに、その母と生き別れしたのだ。

          戦国の地より生まるる曼珠沙華

母は自分の母の面影を知らない。 六歳か七歳の頃に死んでしまったのである。

唯一の「幻し」は、山から背負ってきた柴を「どっこいしょ」と縁側に置いたときに観たであろう、

おっかさんの幻しだけである。

1枚の写真もないのである。 でもね、村の長老たちは言っていた。 母へ「おっかさんの顔を

観たければ、鏡でお前の顔を映せばよい! それがおっかさんの顔だよ」と。

           秋風や天と地に吹け若狭富士

少し前までは、母の生まれ在所に妹が行ったなら、「菊さんの娘さんかいね?」 と言われたそうな。

女三代、同じ顔を引き継いで・・・・不思議なことですね。 

と言うことは、ボクのおばあさんは・・・ものすごいベッピンさんですや。 あちゃっ・・・


♪ 「今日でお別れ」・・・

2013年10月19日 | 詩歌・歳時記

            

ボクが22歳、 あのひとが24歳でした。 もう42年もむかしの長浜の町の物語でした。

作詞家になるための夢にひと筋に生きていたボクでした。 あのひとは旧家のお嬢様・・・・。

そしてお見合いをして、 嫁入りがほぼ決まっても、ボクにはどうすることも出来ない無力な

貧しい青年でしかなかったのです。

今はない 「たそがれ」 という、長浜駅前の喫茶店であのひとから総てを聞きました。

その時に流れてきたのが、菅原洋一の 「今日でお別れ」 でした。 

別れましょうと言ったあのひとが、この歌を聞いて・・・辛そうに微笑したのが、昨日のことのように

覚えているボクです。 そしてあのひとの美しさも・・・ボクだけが知っている、と思ってます。

   

         鷺草の

         虚空をかろくとぶ姿

         似合ふ洞を胸にもちたし

生きてゆく気力を失くして、 どうすれば死ねるのか? そればかりを思い詰めて町を彷徨って

いたボクの耳に響いてきたのが、 西郷さんの 「真夏の嵐」 でした。

歌手生命を賭けて、情熱をこめて歌っていた西郷さんの迫力にボクは救われました。

         圭一郎登美子啄木ああ尾崎

         恋人はみな

         若く死にたり

そして、作詞家の勉強のために東京へ向かったのでした。

          

    


「徳を積む」

2013年10月13日 | 詩歌・歳時記

   

母が生きていた頃、例えば美容院に行く時に、車でつれていこうか? と言っても老人車を押して

30分かけて歩いていったものだ。 帰ってきたら車にはポイ捨ての空き缶やゴミが満載であった。

母にとって、それはなんら特別の行為ではない。 ごくあたりまえのことなのであった。

          美しき花火や母の在るごとく

母はひそかに「徳を積む」ということを、心がけていたのである。

終戦後に、丸山敏雄という偉人が、「倫理研究所」という団体を立ち上げて、各地に「朝起き会」と

いうイベントを始められた。 父も母も、丸山先生を信奉して勉強をしたのである。

祖先がもし、悪徳を重ねて・・・・その因果が現代の私たちに及んだとしても、

ひそかに「徳を積む」行為を、しているならば、子や孫の代にて解消するであろう。・・・・母は、

そう信じていました。 決して自分のためではない。 子や孫や見るはずもない子孫のために、

誰も見ていないところで 「徳を積んで」 いた母でした。

          帰省の子酔って寝転ぶ遠花火

茶の間や寝室や応接間に、常に母がおりますよ。わたしの命のなかにいつも母は住んでいます。

例え死んだ人間でも、 敬愛するこころには永遠に生き続けるのです。


♪純情二重奏・・・

2013年10月07日 | 詩歌・歳時記

       

母が和裁の仕事をするかたわらに、聞かせてあげようと買ったカセット・テープのひとつか゜

「高峰三枝子・湖畔の宿」 である。 全14曲。 毎日のように聴いているので、テープが切れたら

? の心配で、同じ内容のCDを買って、これは車で聴いているのだが・・・・。

          夜を急ぐ嵐と死への足音と

この1巻には「母を恋う」歌が、たくさん収録されています。 母が生きていた時から、 聴くたびに

泣いていました。 そして、死んだあとで聴いたなら・・・車の運転はヤバイよなと思っていました。

♪ 純情二重奏

  母のかたみの 鏡掛け         ★鏡掛け・・・が、一発で変換できなかったよ。

  色もなつかし 友禅模様

  抱けば微笑む 花嫁すがた

  むかし乙女の 亡き母恋し       西條八十・作詞  万城目正・作曲

 

♪ おかあさん

  ふるさとの風が 心に吹くひるさがり

  そっと呼んでみたくなる おかあさん

  あの雲のむこうに 青空があるように

  悲しみの むこうに いつもやさしいほほえみが

  おかあさんの おかあさんの 顔がある    保富康午・作詞 平尾昌晃・作曲

もうパソコンのキーボードの上は、涙でどぼどほでおますよ。

わが母はこのカセットを聴きながら、五歳か六歳で死んでしまった、面影もろくすっぽさ、

覚えていないその母を想い・・・慕い・・・恋しがっていたのでしょう。

高峰さんと同じ歳、 顔も姿かたちもよく似ている母でした。

その死から1年半経っても、痛手から立ち直れない私です。 そんな自分と母を誇りに思う。