東京からここ滋賀県の湖北地方に移転してから24年が経つ。 けったいなことの連続でした。
葬式がある。村のひとびとが集まり、山へしきびの木を切りにゆく人、町へ葬式の品を買いに
走るひと、まぁー、手際がよいのさ。私は、デザインの仕事をしてきたので、堤燈に貼る、
その家の家紋を金紙を刻んで作っていた。虚しい作業さ。
春がすみ
遠山さらに遠くいて
生きる由なぞ問ふもおろかよ
80軒ほどの村では、夜回りが廻ってくる。拍子木叩いて、村を歩くのだが、それって、何の
意味があるのかいね? ちなみに国道をはさんだ私の家では、一度も聞いたことのない
拍子木の音。母の顔をたてただけの愚かな一夜のひとこまでした。
春雪やカモメは常に一羽飛ぶ
人が死ぬと、ふたり一組で、堤燈にローソクたてて一軒一軒、翌日の通夜をふれて歩くのさ。
お前らは、犬神家の一族? いきなりだと、ゾッとするんだよ。
母が死んで、私には縛りがなくなりました。でね、区長に「逆村八分」を請願しました。
これよりは、村の作業・寄り合いには、一切係わり合いをいたしません、ということ。
家へやってきた区長を、ようやく説得して、晴れて「村八分」の身分になれました。
神も仏も、一切信じていない私には、ようやくこの地が、安住の地になれましたのさ。
ちなみに、残りの二分というのは、葬式と火事ということです。
滝壺に落ちて走れよ春の水
古い因習と、くだらないしきたりに縛られたこの地区で、交通事故とか、なにかがあれば、
勿論、私に出来ることであれば、出張ってゆきます。それは人として、当然のことですから。
村のごみ集積所に、ごみは持っていかない!!と胸を張った私ですが、そこは市の管轄で、
市民税を払っている私には、利用する権利はあるのですね。さて、はて・・・・・。
村八分になって、100パーセントの人間性を回復いたしました。