湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

「悪妻業」ありまっか?

2016年02月25日 | 詩歌・歳時記
休みの度に行く、近江町の図書館で新聞と雑誌を読んだ後で、係りの女性に黒川博行の「疫病神」の3度めの借りだしををお願いした折り、
ふと、こう聞いてみた。

「悪妻業」はおまへんか? パソコンを叩きながら「後妻業」ですね。
予約が続いているので、本棚にはありません、と答えた。
   冬の火よいづれ死ぬ身の愛ほ   しく
それで、予約をしたわけだが随分と人気の本らしい。2週間たっても電話が入らないのさ。
   父母の遺せし家に独りいて
   冬の星ども
   明日知らしめよ
ほんとにまったく...もう読む本がなくなり、後の待望の一冊というのが去年亡くなった、白川道の「病くら葉流れて」の文庫本一冊になってしまった。
   六階の温泉より見る
   湖のいろ
   彦根の町に春の雪舞う
そして、「疫病神」は飽きない面白さである。ヤクザとコンサルティングの主人公の交わす、大阪弁の絶妙のおもろさ!
やっさんが生きていたらなぁー、ヤクザの桑原は横山やすしできまり。
気弱い二宮はきよしでぴったりやで。素敵な映画が出来上がったのにね。


私は泣いています。

2016年02月21日 | 詩歌・歳時記
眠るときはCDかカセットをかけて、30分以内にZZZ・・・が理想である。けれども、久しぶりの親友からの電話があったり、サイトで知り合ったお人からのメールが来た夜は、うるうるである。

「私は泣いています。」状態におちいる。今しも八代亜紀のCD「夜のアルバム」を聴いていて、リリィーの
「私は泣いています」である。

早くもいぬふぐりの花です。

昨今、人前で特に男が涙を流すのは醜い、という風潮がある。
だが、それは違う。本当の男は泣くべき時には、号泣するのである。

戦国時代の武士はまったくそうであった。純粋だった証である。
歌を聴いて、涙をながし、忍び泣くとき・・・私は安心するのである。
「俺はまだまだ、純粋だぜ」とねと。涙をありがとう、ですね。

「潮風を待つ少女」

2016年02月18日 | 詩歌・歳時記
"安達 明さん ~潮風を待つ少女Ⅱ~" を YouTube で見る


かって妻だったひとと岐阜市内で同棲していた時、彼女は渡島の生まれだった。毎日を海を見つめながら、多感な青春時代を過ごした 訳だが、その彼女の愛唱歌が「潮風を待つ少女」だったのだね。
一方ボクは滋賀の山国に生息しており、安達明といえば「春を待つ少女」であったのだ。
ふたりでお互いの好きな潮風と春を、歌い...安達明の歌を愛しあい、若い身体を愛し合ったのである。

その安達明は数年前に死んでしまった。二曲の名作を
僕たちに残して、そして、妻だったひとが今はどうしているのかは知りません。

 かっての少女が今は老女になり、今も潮風を待っているんだろうか?
ボクは伊吹山の残雪をふりあおぎながら、春を待っておりまする。
    

「用心棒日月抄」と村上弘明

2016年02月13日 | 詩歌・歳時記

今夜はBSで池波さんの原作の「編笠十兵衛」を観たけれど、違和感一杯のシナリオでした。でもお気に入りの村上弘明主演です。
ご存知、碧眼の武士・柳生十兵衛の孫という設定の彼が活躍するのは江戸は元禄時代。秘かに赤穂浪士を応援するお話ではありまする。
  一塊の銀に凍れる伊吹山
そして今、とうとう読む本がなくなり、何度目かに開いたのは藤沢周平の「用心棒日月抄」なのです。
全4巻、今、残りのページを案じながら4巻めに突入であります。
  冬夕焼け余録のごとき老後かなむかし、NHKのドラマの「腕におぼえあり」が、主演の青江又八郎をやっぱり村上弘明が好演して、これを忘れられないのでしたが、偶然にYouTubeで結構長い時間の映像を観たけれど、面白くは思えなかった。

ふたつのドラマはどちらも原作を越えてはいませなんだ。原作を読む興奮がいやまさ、あおりたてまする。

今はひたすら、黒川博行の「悪妻業」と白川道の最期となった遺作「病葉流れて」の完結編の文庫本の発売を待ち焦がれています。






   

「酔いどれ」浜圭介の最高傑作

2016年02月02日 | 詩歌・歳時記
"酔いどれ・浜圭介" を YouTube ので見る


浜さんに初めて会ったのは、24歳🍒神田の新興ミュ
ックの事務所だった。ボクは作詞家のタマゴであり、彼もまた

アメリカ留学から帰って来たばかりの頃。
奥村チヨちゃんの「終着駅」が発売される少し前だった。

ちょうど事務所の対角線に二人は対峙していた。ものすごい眼力でボクを見つめていた。くそっ、負けるか! とわたしも見つめ返したのだが、それが浜圭介だとは知らなかった。

ボクも感じ、彼も感じたのだろうか?
はいあがろと志する人間の体温を、その迫力を。
 
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いま、思い返してもあの時の浜圭介の眼力は、震えるほど
の力があった。それ以後の彼の奏でる名曲の数々はすべて、
は納得の行く、ゆえんである。