湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

丼物語

2010年05月30日 | 詩歌・歳時記
長浜駅前の食堂「鳥喜多」は、親子丼の名店だ。
京都産の鳥肉と卵を使った、上品でいて野趣に富んだ絶妙のハーモニー。
昔、近くの印刷所にいた頃は、残業が楽しみだった。
夜食に親子丼の出前が取ってもらえたから。

     タラの芽を 噛むやひろがる 夢いろいろ

 土日ともなると、観光客が列をなす。でも大丈夫。
踵を返して、平和堂の角を左へ曲がり少し歩く。本店は洗練された味。
 ここの支店は、田舎風の味わいの親子を食わせる。

     一歩 しりぞいて観る 白牡丹

始めて彦根に、吉野家が開店した時は飛んで行ったものだ。味噌汁の味が、東京とまったく同じことに、さすが吉野家と妙な感動をした。カップ麺などは、西と東で微妙に味付けを変える、と
聞く。松屋、すき家がいくら値を下げようと、牛丼は「吉野家」たい。

関西へ移り住んで、旨いカツ丼に巡りあったことがない。
なんのヘンテツもない蕎麦屋のカツ丼の旨さが忘れがたい。ことに、国立・矢川庵の
あの、カツ丼が眼に浮かぶ。蓋をとった時に真っ先に目に入る、5、6粒の
食欲そそるグリンピースの、愛しさ。

けれど、何と言っても極めつけは、すき焼きの次の朝、
飯にドサッとかけてかっ込む丼にとどめを刺す。

さぁ、鳥喜多に行ってまいります。

あゝ魚津

2010年05月27日 | 詩歌・歳時記
 少し前に、森進一が人気回復の起爆剤のため、
詩を募集していた。彼の「うさぎ」って歌がやけに好きでね。
 応援する気持ちで応募したのが、この歌詞なんだが、あえなく落選。
けれど、朽ち果てさせちゃうのが無念で、マア、読んでください。

 ♪ 夏がくるたび たまらずに
   魚津の海へ 走らす車 あゝふるさとよ
    父が語った 町並み路地よ
     酒が 涙を叫ぶのか
     涙が 酒を欲しがるか
   海よ 風よ とうさんよ
   あなたに あなたに 感謝いたします

♪♪ 遠い満州 みなみの海へ
   戦地はるかに 戦う父の あゝまぼろしよ
    母のさしだす セピアの写真
     草にまどろみ 夢みたか
     雪の立山 蜃気楼
   海よ 風よ かあさんよ
   あなたへ あなたへ 感謝いたします
   
    埋没林の 神秘なひかり
     父が この身に寄り添うか
     母が 心に宿るのか
   海よ 風よ ふるさとよ
   あなたに あなたに 感謝いたします   

御嶽渓谷の鮎

2010年05月27日 | 詩歌・歳時記
鮎は年魚、香魚と書く。その一生はわずか一年。それゆえ年魚。
また、スイカのような甘いほのかな香がする。だから、香魚。
 海での幼魚時代はプランクトンなどの動物性も捕食するけれど、
川へ入って、上流へと目指してからは食するのは、苔のみだ。

     沢井から御嶽へ上る
     多摩川の岸辺に憩ふ
     石のぬくもり
    
 御嶽渓谷への釣行でのこと。
サシだか、キジだったか餌は忘れたが一匹の鮎がかかった。
てっきりヤマメがきたっ、と思ったものだ。何で?実に不思議な体験だった。
 ちなみに、サシとはうじ虫。キジはみみす゛です。
ほんとは、川の底の石にへばり付いてる川虫が一番良い餌なのだが、
多摩川にはあまりいなかった気がする。

     はるかなる御嶽の五月思わめや
     緑りと翠り
     山とゆく水

閑話休題。
 石に生えた苔を食むのは、縄張りの主張。その習性を利用したのが、鮎の友釣りだ。
琵琶湖産の鮎が一番縄張り意識が強いそうな。
今もそうだろうが、当時の奥多摩も釣り人の数が多すぎて、一日に一匹が精々だった。あとは、ウグイとオイカワでお茶を濁したってとこ。

     桑の実の熟れつつゆれる
     川岸に
     南無としめたるあまご美し


 ヤマメは関東、アマゴは関西。その棲み分けのトリックを縦横無尽に駆使した推理小説が、
太田蘭三の「殺意の奥多摩渓谷」。

水面から引き抜く時の、アマゴの一瞬の虹の輝きのような美しさ。大自然との一体感を味わう、至福のひとときだ。

賤ヶ岳への吟行会

2010年05月25日 | 詩歌・歳時記
 五月晴れのある日、十人ばかりの仲間でつくった句会「湧燈」の連中が
東京からやってきた。高月・渡岸寺の 十一面観音を拝し、賤ヶ岳目指して
気分も浮き立つ想い。

     堂守の 当番表や 初夏の風
     
     観世音 青葉若葉に 盲ひけり

 俳句ってつくづく衆の文芸だナアと、想える。仲間たちと歩き、会話していると、
普段ひとりで句を詠んでいる時とは違い、新しい発想やら言葉があふれてくる。

     松風の 問わず語りや 賤ヶ岳

     再会の 歓びひそか 木瓜の花

 一番こころくすぐるもの。それは東京弁で会話できることだ。以心伝心、
ひっついたり、離れたり、友の言葉からヒントを得たり、時の流れの
ゆったりとした、心地よさ。

     天平の 甍の風や 樟若葉      雅也
   
     万緑や 僧の手掘りの 放水路    みさ子

     露ひとつ 落つるひかりや 紅牡丹  修

 賤ヶ岳の山頂からは、琵琶湖と余呉湖のふたつが見渡せる。まさに絶景 !
夜はお決まりの「長治庵」での、句会へと、旅はすすむのでした。

     観音の天衣の流れたおやかに
     風薫るごとく
     春を奏でる
 

番場の忠太郎と関の弥太っぺ

2010年05月22日 | 詩歌・歳時記
 昔むかし、江戸から京の都へ上る道は東海道。今の国道一号線ですね。それが主流。
だけれども、何らかの個人的事情を抱えた人々は、中山道を選んだみたい。

    えごの花
    咲き初む夕べ
    かなしみは誰に等しく訪うるもの

 木曽の山中を越える旅程は、厳しかったようだ。そして、美濃から近江へ。
柏原、醒ヶ井、やがて番場の宿場。ここで生まれ育ったのが 番場の忠太郎。

    濃くうすく
    リラはむらさき花こぼれ
    愁いある日の午後をなぐさむ

 中村錦之助が演じた「瞼の母」を観るたびに、熱い想いがこみあげる。
人にとって、母という存在ほど大切なものはないよね。ふらっと、番場の
道歩くとき、街道の風情を今に色濃く残す、その路上で 
縞の合羽に三度笠の、忠太郎さんと行き交うような気持ちになるのです。

 そして、また、くちなしの花が咲く頃は、切ない想いのなかで、
関の弥太っぺが浮かんで来るんでい ! 若い頃の 十朱幸代の瑞々しさ !

東映・やくざ映画の最高傑作の二本であると想います。
忠太郎も彌太ッぺも、歩いたろうこの道に、今日は五月の夜の雨。