もう、半世紀もむかしのことになってしまったが・・・・・。
東京の小学校から、茨城県日立市・水木小学校へ転校した。 都会の子供が山と海の自然
豊かな地へ、初めてほっぽり投げ入れられて、戸惑いの日々のなかで、それでも変化に
富んだ生活へ没入していくのに時間はかからなかった。
水底の砂きらきらと舞ひて湧く
泉なつかし
大甕の森 ・・・おおみか
隣の家に、芙美子ちゃんという一歳年上の娘がいた。五年生の教科書を、すべて戴いて
勉強を・・・・うむっ、しなかったけれど。 一年間、ふっちゃんが使った、あちこちに書き込みやら
折れ目がある、何冊もの教科書の手触りを、しみじみと思い出すと、泉の底からもくもくと湧いて
くる、美しい水のきらめきが昨日のことのように甦ってくる。
その頃の「ふっちゃん」との想い出は、たいしてないのだ。 遠くから微笑んで見つめてくださった
のだろう。山へ海へ遊ぶことに夢中だったし、その年頃の男女では、ずっと年上に感じていた
のだろう。細面の少し病的な文学少女の風情のある、美しいひとだった。
小学校の卒業間際に、滋賀のほうへまた転校して、それっきりだったのだが・・・・・。
木蓮は
白を競ひて天をさす
地にこそあらめわれのゆく道
20代前半に関東を放浪したおり、泉が森へ寄ってみた。 ふっちゃんは町の療養所に
入院していると聞き、飛んでいった。 痩せて、自分の宿命に諦観しているような、落ち着いた
様子だった。「2日後に、また来てね」 そう言って、さみしく微笑んだのだった。
2日後、白い毛糸で編んだ、やや短い、少しごつごつしたマフラーを手渡された。冬のさなか、
着たきりすずめの、貧しい青年を哀れんで、急いで編んでくれたのだろう。
生まれてすぐ死んだ、顔も知らぬたったひとりの姉を、そこに見た思いであった。
えごの花咲きそむ夕べ
哀しみは
誰に等しく訪なふるもの
東京へ帰って、しばらくして、風のたよりに知らされた。
ふっちゃんが亡くなったことを。24歳の若さであった。
泉が森と同じく、清冽な水が湧き続ける醒ヶ井に住む身にとって、ふっちゃんの想い出は
ちょうど咲き出した、梅花藻の可憐さに、そっと寄り添う永遠のため息である。