湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

ラジカセこと始め

2010年10月28日 | 詩歌・歳時記
今の時代、音楽を聞く手段は、限りなくある。わが青春の頃からすれば、隔世の感がある。
ソニーのウォークマンが初めて世に出た時も、即購入し、その手軽さ、便利さに感動したが、
お話しはもっとさかのぼらねばならぬ。

オープン・リールのテープ・デッキが主流だった頃、いわゆる「デンスケ」ってやつ。
西郷さんが「君だけを」で歌手デビューした、昭和39年。
たちまちのうちに人気者になった彼は、
「ルート17(セブンティーン)」というラジオ番組を持ったことがあった。
重いデンスケを抱えて街に出かけ、インタビューしたりする内容である。そんな時代であったのだ。
                                 
しばらくして、ソニーから「ラジオカセットテープレコーダー」が発売された。
真四角の重たい黒いやつ。とにかく、愛用しまくった。
通勤電車の中でもイヤホンで聞いたが、腕がダルくなっては持ち替えたものだ。
自転車で出かける時も一緒だ。街を歩く時にも、肩にかついで好きな歌を常時聴いていた。
当時のカセットテープは、両端に金属片がついていた。テープが終わると、ブザーが鳴るのだ。
慌ててストップボタンをプッシュ。そのままにしておくと、テープが延びて切れちゃうのだ。
そして裏返してカセット・イン。それが当然のことと思っていた。

テレビの音声を録音する時は、真ん前に置き、音を立てずにひたすら沈黙。
車の騒音やら襖あける音、身体を少しでも動かすと、衣服の微妙な音さえ、高性能に拾っちゃう。
携帯やパソコンに音楽をダウンロードするなんて、夢にも思わなかった、のんびりした時代。
それだけに一曲への思い、価値観は今に比べて相当重いものがあった。
素晴らしい歌が揃ってもいた、歌謡曲黄金時代であった。

龍潭寺の花槿

2010年10月20日 | 詩歌・歳時記
関ヶ原の合戦の功績により井伊直政は、浜名湖の北方にある本拠地、井伊谷から、
京を守護する重要地点である、近江の彦根に移封された。初め、佐和山に入城した訳だが、
戦国の世は終わりを告げ、
政策のための城として、金亀山と呼ばれていたその地に、彦根城を築いた訳だ。
そして、井伊谷の菩提寺、龍潭寺も佐和山の麓に、分家として新しく建てられた。

高校時代。佐和山に登り、歩きへめぐり回り、この龍潭寺にも何度座禅を組みに来ただろう。
夏、参道の左手に槿の花の爽やかな白が出迎えてくれる。
そして、治部少輔三成の銅像が、気分をしゃんとさせてくれる。木立に囲まれた参道を行く。
枝垂れ桜、沙羅の木、梅もどき、四季折々の木の花が迎えてくれる。
                                
縁に胡座して、枯山水の庭を観る。
きれいに筋目をつけられた砂が海の波を現す。ほぼ中程の島が「補陀楽山」。石の観音が佇む。
右手の船石に乗って来られた訳だ。風が渡り、頭上高く鳥の鳴き声。時の流れがたおやかだ。

奥の座敷の右側に、もう一面の池泉の庭があり、
佐和山を借景とした小高い丘に、やはり石組の仏が点在している。
若僧の造園学の修行の庭であるそうな。造園にも仏法の理りが必要、必然なのである。
反対側の内庭には、沙羅の木が五月のライト・アップを待ちながら、百日紅の古木と並び立つ。
                                                                            
忙しない世間から外れて、ここの庭を見ていると、いつしか無心になる。
そして突然のように、詩歌が湧いてくるのだった。

高本公夫と風花良その2

2010年10月16日 | 詩歌・歳時記
青空の下、心地よい風に吹かれて、芝生の馬場を疾走するサラブレッドは美しい。
広げる競馬新聞は、暗号を探り、サインを発見するべく何色ものマーカーで、賑やかなことだ。
                                 
風花良はこう書く。出走表に並んだ馬名、騎手名、その他あらゆる要素で、
左右からサンドイッチされている馬をあぶり出せ! その馬こそ激走馬だと。
とは言え、当該馬が走るのは2回に1回だ。引っかけも多いし、一筋縄ではいかない。
空振りの方が多いのだ。そして、サインや暗号は年々複雑になり、難しくなる一方である。
       
こんな事もあった。北海道の牧場で火事があり、「エガオヲミセテ」と言う馬が死んだ。
その週の競馬。ダイヤモンドS。死んだ馬の現役時代の厩舎から、超人気薄の馬が出走した。
相手を探す。小倉のメインレースに「ダイヤモンドアイ」を発見。
その馬のゼッケンと同じ馬番を相手にした馬連を買う。見事的中。
勝った馬のレースぶりが、素人目にもおかしく映った。騎手が下手なんだ。
武豊なら、けして不可思議な乗り方はしないだろう。
                             
ある年の有馬記念。ポスターのコピー「今年を彩った名優たち」。
早速、出馬表を見る。いたいた、2人。いや2頭。①メジロマックイーン⑧ダイユウサク。
松田優作が死んだ年だった。枠連1ー5、馬連①ー⑧で勝負!
ダイユウサク1着のずばり①ー⑧で決まってくれた。
会社の連中に1000円ずつ、無理矢理買わせたのだが、5万円余の臨時ボーナスを手にして、
みんなホクホクだった。5枠のもう一頭がオースミで、頭文字が「おだ」。
1ー5を逆に読むと「ごーいち」。なんだか人の名前のようだ。
翌年の競馬会のイメージ・キャラクターは、高倉健だった。
そして、健さんの本名は「小田剛一」である。ウソのような本当の話である。
日本の競馬は、まったく素晴らしい!!