湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

橋下市長、嘉田知事への批判への・・・批判。

2012年11月30日 | 詩歌・歳時記

大阪市議会では、市政をほったらかしにして、全国遊説に励む橋下日本維新の会の代表代行へ

の批判が、市議の間で持ち上がっている。 滋賀県議会でも、嘉田日本未来の党代表への反発が

かまびすしい。 県の職員が党の電話番になっているとかや。

     

まったく尻の穴の小さすぎる人間ドモであることだ。 そもそも、橋下さんにしろ嘉田さんにしろ、

地方行政が国の一極集中制により、スムーズには進められない現状を打破するための、

国政選挙への名乗りなのである。

          みまかりし寸前までを

          さすりやりし

          わが手に母の永久のぬくもり

銃後の守りという。たかだかひと月・・・・わが市を、わが県を、そしてわが国を

より良い環境に置くべく、身を挺して中央へ訴えでた、われらの首長を支えなくしてなんとする!!

「小沢一郎氏をあやつれなくて、なんの政党か!」 と看破した、われらの嘉田由紀子の

覚悟に、あまりにもミクロ的な茶々を入れるな!!

          哀しみを重ねて生きる

          ひとの世のひと夜を灯す

          沖の漁り火

大阪市民、滋賀県民が一丸となって、おふたりを支えていかなければならぬ。

「あちらは劇薬、こちらは漢方薬」とおっしゃった嘉田知事ではあるが、

なーぁに、橋下さんだって処方箋はお持ちである。

市政、県政を少しのあいだ、よいしょっとして・・・・いなければならぬ「関が原」なのだ。

 


新党「未来の党」へ、お頼みいたします。

2012年11月28日 | 詩歌・歳時記

今日の琵琶湖は、晩秋の陽射しのなかで、静かに魚入・・えり・・と言いますが、湖中に

矢の形に竹を立てて魚を追い込む、琵琶湖独特の漁法です。

その湖畔から、滋賀県知事の嘉田由紀子さんが新党を立ち上げました。

    

関西では、超有名人です。けれど、関東、東北の方々には「えっ、誰れ?」とお思いでしょう。

埼玉県・本庄市の市会議員の娘さん。京都の大学を卒業後、滋賀県の琵琶湖博物館で

主に人々の暮らしと水との関わりを、自分の足で歩いて調査・研究された方です。

2006年の知事戦で、まったくの無名のまま 「もったいない」 をキャッチ・フレーズに掲げ、

現職を破り、知事になられました。軍艦と揶揄された現職を、手漕ぎ舟の草の根で勝ったの

です。それ以来の数々の政治的、県政におったまげておりますよ。 穏やかな風貌のかげに

信念をけして曲げない、素晴らしい政治家です。

勿論、大立役者は小沢一郎氏であることは、隠しようがありません。

でもね、嘉田さんは小沢さんの「あやつり人形」であるような、おひとではございません。

知事戦の時に、埼玉のお兄さんが「由紀子は、滋賀へ嫁に出したのだから、あきらめる」

と、おっしゃったとか。今度は、お父君の地盤を継いで、市会議員のお姉さまは、

「由紀子は、日本の国へお嫁に出したのよ」とおっしゃってくださりましょう。

今年の五月 「知事は何ができるのか」という本を出されました。

今夜、読み直しています。

今年の夏頃に、脱原発の問題で大阪市長の橋下さんと、提携した時には「あちらは劇薬、

私たちは漢方薬」です、とウイットに充ちた発言をされてもいます。

母なる琵琶湖から、福島へかける新しい虹に期待していただきたいのです。

混迷の政局に、あざやかな一声をあげた「日本未来の党」へ、ご一考をお願いいたします。


いじめで死ぬ子は、死ねばよい。

2012年11月27日 | 詩歌・歳時記

大津でマンションから飛び降り自殺をした少年。 いじめに遭って、止むに止まれず死んだという。

学校が、教育委員会が批難の矢面にたっているようだが、そして、自殺した生徒の保護者が

勝ち誇ったように、県に、市に訴訟やら提訴やらしておられるらしい。

            

わが子の責任は、学校にはない。ましてや、まともな教師ひとりいない、現実の学校に

責任をおおいかぶせる訳にはいかないのだ。

私も中学時代、酷いいじめを受けた。狭い町に被差別が三つも存在する土地である。

都会から転校してきて、あまつさえ、肉体的に欠陥のあった私である。

恰好の標的であったろう。まったく、後の暴力団予備軍と言わざるをえないような悪が、

うようよしていたのだった。

          

おそらくは大津の少年よりは、私へのいじめは暴力的・陰湿的という意味合いで酷かったと

思うぞ。けれど、それへ立ち向かって負けなかったのは、私へ限りない愛情を注いでくださった

両親の慈しみであり、親友の友情である。

そんなことで死を選ぶのなら、生きている意味がないのである。

大津の少年を殺したのは、いじめた同級生でもなければ、教師でもない。ましてや教育委員会の

馬鹿たれでもない。彼をまことに愛し、導くことのできなかった両親である。

         毘沙門の秋を捉へし眼かな

         秋風や近江に多し破損佛

         長浜に恋ははるけし芙蓉さく

 


井伊の赤備え

2012年11月21日 | 詩歌・歳時記

           関が原合戦屏風というものが、

今に残っている。左上には、笹尾山の西軍・石田三成の本陣があり、右下には、東軍・たぬき

親父が陣を構えた桃配り山である。

この狭隘な盆地に、両軍20万とも言われる軍勢がひしめいた西暦1600年のことだ。

          泣く声はわれの声なりもがり笛

家康軍の左手に、目にも鮮やかな朱塗りの軍団がいる。これが井伊家臣団の泣く子も黙ると

言われた、「赤備え」軍団である。 

                

信長はとにかく敵を殺しぬいた。秀吉は、かの比叡山焼き討ちのおり、実直な光秀が

信長の命を守り、山を降り逃げた僧兵・女・子供をみな殺しにしたのに比べ、すべて逃した

んだね。そして、自分の家臣に直した訳けなのだが。

          秋の夜やこのうすっぺらなパソコンの大宇宙

家康も降伏した敵を殺すよりも、自分の家臣に取り立てたんだ。武田信玄が滅亡した時も、

山縣ナンとかの一族を助け、家康の家臣に引き入れた訳けである。

この武田の軍団が真っ赤な甲冑で、戦火を走り回り名を馳せたのだ。井伊の殿様が貰いうけ、

それ以来、井伊の「赤備え」と恐れられた、屈強の軍隊になったわけである。

                 

          日本幼児化はよ死なむ秋ふかし

石田三成は、早く生まれすぎた秀才である。 井伊の赤備えで日本を平定した後に生まれた

ならば、この国はもう少し「まともな国」になったことであろう。


北のカナリアたち

2012年11月15日 | 詩歌・歳時記

この秋、突然のように「吉永小百合」ブームが沸きあがっている。

ブロマイドを集めた写真集、若い頃の映画のDVDを収めた月刊雑誌・・・・等々。

それを特集する週刊誌。 1ページ大のグラビアを切り取って、壁に張りました。

          秋ふかし北の小百合の麗しき

「北のカナリアたち」は、不思議な映画でした。原作の湊かなえというひとをまったく知らない。

まるで、推理小説の手法で進んでいきます。 突然、小百合ちゃんの不倫相手ともくされる

仲村トオルが現れて、詳細な説明もなく、映画が進むにつれて「あぁ、そうなのか!」と理解

させる。海で死んだ柴田恭兵の最期に手を挙げて「覚悟の自殺」であった、表現・・・・。          

まるで、小百合さまには似つかわしくない、サスペンス・ドラマでしたね。

でも、泣きました。鉄塔に駆け上る小百合ちゃん、彼女は高所愉楽症なんだって・・・・。

          重たげに黄葉をたもつ立ち木かな

若い頃は大根でしたね。50歳を過ぎてから演技に磨きがかかってきました。

「北の零年」でさえ、少し・・・演じる・・・という匂いがありましたが、

「母べい」を経て、この映画では、演じることを放念した素晴らしさを感じました。

歳をとるごとに、美しくなる小百合さまに・・・・頭をさげまする。