湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

「湖畔の宿」 高峰さんと母

2011年10月27日 | 詩歌・歳時記

                     

わが母は歌が好きである。

満州から、戦中に帰国した。戦後の引き上げのどさくさの混乱に遭わなかっただけでも、

幸運だった。そして、南方の戦線の父を待つ日々。 父が帰還して、大阪で田端義男ショウを

二人で見たそうである。 戦前・戦中の歌謡曲の数々を、口移しで教えてもらったものだ。

               

「湖畔の宿」の歌詞は、作詞家への勉強の一番の教科書だと、言われたものだった。

                      月さやか湖をねむらせ秋深む

           小春日や母を連れゆく眼科院

           むらさきの音符並べる式部かな

彦根に一緒にバタヤンを聞きにいった。握手したバタヤンの手の小さいこと、暖かかったこと。

弟が大阪の高峰さんのコンサートへ連れていった。

高峰さんと母は、生まれ年が同じだ。そして、面影もよく似ているのです。

「純情二重奏」は、しょっちゅう聴いている。そして、今、テレビがくだらない。

そんな時は、高峰さんの映画・・・「懐かしのブルース」「別れのタンゴ」「思い出のボレロ」の

ビデオを、母と見ている。 何分にも古い映画で、音量をかなり上げての鑑賞であるが、

俳優・女優の言葉づかいの、端正な美しさにうっとりしてしまう。ことに高峰さんは素晴らしい。

    

高峰さんのカセットを、ポーチを縫いながら母が聞いている。亡き母恋しいの歌が、多い。

テープが伸びちゃうのを危惧してCDを買った。母亡き後は、繰り返し聴くのでしょう。

そして、若き日の母を偲ぶとき、この「純情二重奏」の高峰さんの姿を見ては、

涙を流しながら、ひとりの夜を過ごすことでしょう。

           この庭に風の声あり筆竜胆

           いとけなき秋のあざみに逢ひにけり

 


蒲生野・万葉公園

2011年10月21日 | 詩歌・歳時記

         蒲生野・・・・と聞けば、万葉の華麗なる、かの相聞歌を思い出すだろう。

   天皇、蒲生野に遊猟したまう時に、額田王が創る歌

      あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君がそで振る

   皇太子の答えたまう御歌

      紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに 我れ恋ひめやも

                          

この巨大なレリーフの後ろが、万葉植物園になっていて、ゆかりの花々、木々がその根元に

和歌を刻んだ小さな銅版が掲げられている。 やがて、坂道にさしかかる。茶処でもあるのだ。

            12年前に、

八日市市が、秋の「万葉祭り」に合わせて募集した短歌が、幸運にも「蒲生野大賞」を受賞して、

賞金とともに、歌碑を建ててくれた。今は、程よく苔むして、私のお墓のようだ。

      墓に参ろう!!

          ひとつ岩

          相呼ぶ歌は刻まれて

          船岡山に啼ける山鳩                     受賞歌

                                 いわゆる、万葉かな、漢字をかなに当てている。 眼下に近江平野が広がり、遠くうみがきらめく。湖北とはまったく違う光景である。 遥かなる時代を偲ぶ、最高の場所である。 私がこの世に生きてきた証しが、三つある。

この歌碑、レコードの作詞「二人のビートルズ」そして、子供たちである。幸せな人生といえようか。

                        

 短歌を創る人間にとって、四季折々、訪れたい・・・・素敵な空間です。

 


「親鸞」 五木寛之

2011年10月15日 | 詩歌・歳時記

新聞連載が2008年9月でしたか、気にはなるものの、切れ切れに読むなんて、

性に合わない。いずれ単行本になったら・・・と思った。2年後刊行。何度本屋で

手に取ったことだろう。何故か、買う気になれなかった。       ↓ 根本中堂

                      

そして、安価な文庫で発売。親鸞さんを文庫で読む訳にはいかない。本との出会いは、

実に「運命」としか言えないような、不思議な巡りあいがあるとしか言えない

     

         ↑ 横川中堂

図書館で巡り逢った。上下2巻。2日で読了。素晴らしかった。

高校生の時に読んだ、吉川英治の世界とは、まったく違う五木ワールド、堪能しました。

                        

父は富山県魚津市の、浄土真宗の寺の次男に生まれた。本家の従兄弟の調べでは、

ご先祖は親鸞さんの影武者だったとか? 或いは、旭将軍・木曾義仲の部下だとか?

「倶利伽羅峠」を過ぎる時の、胸のときめきは、血のなせる技なのか?

比叡山を歩きとおして、自分のルーツに思いをはせたものだった。

五木さんの、ストーリー・テラーに今更ながらびっくりしながら、良い本を読ませて戴けた。

感謝!! 五木寛之さん、そして、比叡山。

 


湖北水鳥公園・野鳥センター

2011年10月09日 | 詩歌・歳時記

                     

湖岸道路を北上する。名づけて 「さざなみ街道」という。 信号のほとんどない、快適な

ドライブ・ロードである。 竹生島が間近に見えるあたりの湖岸一体が 「湖北水鳥公園」として、

整備されている。  観察施設として、野鳥センターがあり、もっとも賑わう季節の到来だ。                        

天然記念物のオオヒシクイ、そして湖の女王コハクチョウ、まがも、ユリカモメ、オオバンと

多士済々の渡り鳥が集うのである。 この岸辺から竹生島にかけて、安全で、餌となる

水草が豊富な上に、遠浅の好環境なのである。

               

常連さんの、県鳥・カイツブリ、シラサギ、アオサギ、竹生島の糞害の厄介者・カワウまで、

234種類の水鳥たちが、越冬し、子育てをする聖域なのだ。

                      

このステージのおおとり、体長1メートル、両翼2.4メートルのオオワシが、やがて飛来する。

                             ↓ ヒシとヒシの実

            

水鳥たちは種類によって、少しずつ違う餌を食べていて、住処も野原、湖、川と、上手に

住み分けている。秋晴れの空の下、湖上に集う水鳥たちの姿は、平和そのものである。

人間どもも大いに学ばねばならぬ、大自然の見事な生態を展開している。