湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

諸悪の根源・「売防法」

2013年05月28日 | 詩歌・歳時記

    

大阪市長の橋下氏の「従軍慰安婦」への発言への諸問題がかまびすしい。 

女性への人格蔑視だと、口角に泡を飛ばし鬼の首を取ったかの如く、批判する人間ドモ!

戦争反対! 平和主義とのたまう愚かな人間ドモ・・・。

この地球上に、人類がはびこっている限り、戦争の絶える事は決してない、のだ。

オスの本能がそうさせるのである。 建前ではなく本音で語れよ。

 

兵隊の行くところ、遊女、遊郭はつき物である。 「サンダカン八番娼館」のあの、やるせない

映像が現実なのだ。 からゆきさんだった、田中絹代さんの演技を超えた演技を思うと、

涙が止らない。 けれども、ひとが生きるための切実な現実ではあるのである。

 

今の日本の堕ちかたはどうであろう。 性犯罪のオンパレードだ。

売春防止法の成立に、馬鹿走りした市川房江というアホな、ブスなババアの性児家のために、

日本は犯罪国家となってしまったのである。

      

法律なんぞのら致外で、社会からのけ者にされたヤクザでしか生きられない男、春を売ることでし

か生きてゆけない女、 それは確実にいるのである。 社会の下積みの、そのまた下層にしか生き

ることを得ない人たち。 そのような人たちの存在を知らぬ輩が、勝手なことを言っている。

男の前に「オス」であり、女の前に「メス」の立場で考えなければ、解決できない諸処がある。

 

人生の暗黒の深淵を、宿業の酷い体験を経験したことのない、オシアワセな人々には到底

理解はできまい。 昭和31年5月24日、売春防止法が施行され・・・・いわゆる「赤線」が消えた。

佳き日本が、消滅を始めた記念日であることだ。

 

五木さんの「青春の門」を読みたまえ。 池波さんの「鬼平」を読んでおくれよ。 

淺川マキの歌を聴いてください。

従軍慰安婦は必要であった、という橋下君の主張に、私は賛同する。 勿論それは必要悪では

ある。が、女郎の立場でしか、売春婦でしか生きていけない「宿業」の女性がいるのである。

それはもう、理屈ではないのだ。  生まれ落ちたときから、のうのうと生きてきた馬鹿なあんたらに

議論を任せるような問題ではない。 

江戸時代の吉原遊郭が復活しなければ、 この国は終わりでありましょう。

 

政治は、最下層の民衆を救うためにこそ・・・・あるのだ。

 

     


湖北の八岐の大蛇伝説

2013年05月24日 | 詩歌・歳時記

         

          風花やうしろすがたの人ばかり

湖北は古来より、神話時代の朝廷とは深いつながりの残る土地柄である。

「醒ヶ井」の地名のおこりは、日本武尊が伊吹山の荒神退治の折り、毒に当っての熱病を

清冽な清水に浸かって快癒したことに起因する。

          太古より清水湧きつぐ

          醒ヶ井に母を歩ます

          つわぶきの花

素戔鳴尊(すさのおのみこと)の八岐大蛇(やまたのおろち)の神話は、出雲地方が定番だが、

伊吹山を源流とする姉川の北方に、八島・・・八つの頭の竜を思わせる・・・という集落を山路へ

入ったところに、名庭で名を馳せる「近江弧篷庵」がある訳だが、その手前に「素戔鳴尊神社」が

何故か? 古色蒼然たるたたずまいで存在している。

   

          残されし生を値踏みて青き踏む

湖北にスサノオとは、にわかには信じがたいことながら、幾たびもへめぐって歩くとき、

湖北地方の奥深さにふれもして、「・・・かも知れぬ」と思い至るのである。

                

上流から、箸が流れてきた川とは・・・・姉川に違いない!! 

このことである。

湖北とは、そうした土地なのである。


琵琶湖を見おろす♪松原温泉

2013年05月20日 | 詩歌・歳時記

彦根の湖岸にたつかんぽの宿は、地下1000メートルから汲み上げた温泉が、

最上階の6階にあり、湯船から見下ろす琵琶湖の景色は実に気持ちの佳いものだ。

                 

やゃぬるりとした肌触りの、透明なお湯である。

もうひとつの湯船には、木綿の袋から伊吹山の薬草の茶色のエキスがにじみでている。
          

         鴨たてり勝利の文字をふた重ね

         真白なる木蓮に風汚れなし

松の並木が北へ伸びて、広い砂浜にはあくまで青い湖の打ち寄せる、白い飛沫が泡立っている。

松原の尽きる辺りが、夏に開催される「鳥人間コンテスト」の会場である。

今は湖へ延びるステージは取り払われている。         

その先の白い壁、赤い三角屋根の建物が、弟が結婚式を挙げたプリンス・ホテルなのだが、

ホテルを包みこむように磯山が東西になだらかな山容を見せている。

むかしむかし、傷ついた日本武尊が白鳥に姿を変えて飛び立った地とか。

      

磯山の向こうに広がる街が、まるで湖上に浮いたような長浜の町。彦根から長浜へ

湖岸線が弓なりに延びている訳である。

それらをすべて見守るように、伊吹山の雄大な山影が春霞にそびえたつ。

          満天星花三つ子五つ子かた寄せて              どうだんか

          晴嵐や大湖みおろす彦根の湯

絶景というオマケ付きの、お値打ちな温泉であることだ。



 


木刀の素振り、百回

2013年05月16日 | 詩歌・歳時記

      

渓流へ釣りに行って、帰りに崖をよじ登れなかった屈辱に、一念発起・・・・毎晩、木刀の素振りを

百回自分に科しました。

鬼平の太刀筋、秋山小兵衛の刀さばきなどを、頭に描きながら木刀を振り下ろしている。

          ひとつ岩

          相呼ぶ歌は刻まれて

          船岡山に啼ける山鳩

百回振り切ってから、さらにプラス10回・・・。 これが大切と信じています。

文芸、スポーツ、営業に限らず、限界を感じたところからもう一息、ぐわんばるところから、

本当の実力が身に備わるのである。

東映映画「あの雲に歌おう」での、西郷さんの役柄は高校の剣道部の主将である。

その彼の素振りは腰が見事に決まっていて、膝がきれいに折れている。

膝に弱点のあるボクには、とても無理だが・・・・西郷さんを目指して・・・・励もう!!

          花散るや無名でよしと想ふべし

今は二の腕がぎしぎし痛む。このままひと月鍛えて、もう一度、あの崖に挑むつもりだ。

 


丹生川物語・・・釣り編

2013年05月12日 | 詩歌・歳時記

        

丹生川へ釣竿かついで出撃したのは、何年ぶりであろうか?

この5年の間に、大きな手術を2度も受けて、それぞれ半年間の入院生活を送ったのだった。

それゆえ身体への、特に足腰の自信をめっきりと失ってしまい、 渓流から遠のいたのだ。

          渓谷へまず出迎えのしゃがの花

          リラの花ひとりの道は独りゆく

五月晴れ、しかも無風・・・絶好の釣り日和。 渓流の水音でも聴いてくるか!! と軽い気持ちで

丹生川へ乗りつけた。

崖の上部に両手をふんばり、前向きに飛び降りる。 こんなに高かったっけ? 

河原におりて岸辺の石ころをひっくり返し、餌の「黒川虫」を探す。 すなわち「かげろう」の幼虫

だ。 川は無残にも変わってしまっていた。 源流近くの崖崩れで、 大量の石くれが流されて

淵もチャラ瀬もありはしない平凡な川相になりはてていた。

          たらの芽よ今年自在に伸びたまへ

          さまざまなひとと別れて新樹かな

     

だが!! いきなりキタっ・・・!!!  ギュゥーンと竿先が逆Uの字だ。 キリキリと糸鳴りが響く。

腰を低くし竿を立てる!! うむっ!! 久々のこの手応え、この感触!! 

握る竿尻が小気味良くふるえる・・・・流芯へ逃げるやつ、水面にジャンプして針をはずそうと

必死な好敵手!! 少しずつ空気を吸わせ、弱らせて・・・なんと全長35センチの虹鱒である

     

だが、哀しきかな。一瞬の合わせが遅れて・・・針を飲まれてしまった。 釣りの醍醐味は魚の上唇

に針をかけるのを佳しとするのである。 うむっー、ブランクというやつ。

魚籠は持っていない。 小石にて虹鱒の頭を「南無」と絞める。 これが究極の魚の美味い食い

方に通じるのである。 残酷と言うなかれ。 美味しく食えば魚も成仏するというものだ。

柳の枝を切り取って、魚の鰓から差し、イタドリの花陰に陽をさけて隠し置くのである。

          春の川いのち駆け引き知る老いか

次にきたのが30センチの痩せたやつ、 そして25センチのピチピチを釣り上げて満足した。

ところが飛び降りた崖を、以前のようには登れないのだ。 石のくぼみに足をかけ、腕に力を入れ

るのだが、体重70キロの体が持ち上がらない。

両腕の筋力が想像以上に衰えていた。 散歩なんかではおっつかないと、つくづく感じたね。

また、岩や複雑な地形を踏みしめる足の筋肉も、最低である。

やっぱ・・・彦根城や小谷山へ登り、木刀の素振りが必要であるようだ。