湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

腹帯観音とペンション「ビックフット」

2010年12月28日 | 詩歌・歳時記
湖北地方は古来より、戦乱の歴史を繰り返してきた。
京に近いこと、東海道と北陸道の分岐点に位置すること、等が要因である。
人は死ぬと、生前の行いによりそれぞれ6つの地獄へ堕ちるのだそうな。争いごとを繰返した人は
観音道へ堕ち、それを助けに来てくれるのが観音菩薩という訳だ。
よって、湖北には多くの観音菩薩が、寺やお堂に、或いは資料館にお祀りされている。

「丸子船の館」のほんの近くに、この辺の言葉では、ホンネキに「腹帯観音堂」がある。
小さな遊園地の奥の山の麓に、こじんまりとしたみ堂があり、世話人の名前と電話番号が記されてある。
やがて、鍵を持って世話人が来てくれる。所によっては、当番制になっていたりもする。
少し小振りで、細いお身体だ。地方仏らしい素朴さに満ちている。それよりも、先ず目にはいるのが、

腹に巻かれた岩田帯だ。安産を願う女人が乞うと、一定期間、腹に巻かれたあとで、持ち帰るそうな。
皇后の美智子さんが浩宮を懐妊されたその昔、宮内庁に献上したそうな。
この仏も例にもれず、戦国のみ世の焼き討ちのさなか、水の底に沈められ、難を逃れたとか。
そのせいか、宝冠や肩先、随所に虫食いのようなほころびが見てとれる。このお人は最近も、
災難に遭われたのだ。盗難にあい、行方知れずだったのだが、無事、ご帰還なされた。

南へ少し下ると、琵琶湖の最北だ。右へ道をとると、昔ながらの大浦の町並みが素朴な風情で続く。
まっつぐ行くと湖岸道路が始まる。岬を回り、入江を眺め岬巡りが楽しめる。
やがて、左手にメルヘンチックな建物が見えてくる。ペンション・ビックフットである。
薪ストーブが、パチパチ音をたて、迎えてくれる。珈琲をいただく。
マスターの高桑さんはイケメン長身のナイス・ガイだ。
湖上ではカヤック、カヌー。山へ入ればトレッキング、沢登り。アウトドアの達人である。
ここから眺める湖は、落ち着いた雰囲気で、ひときわ大きな桜の並木が目を和ませてくれる。

早春に訪れてみたまえ。マスター自ら山へ入り、採ってきた山菜料理の数々が、食卓に並ぶことだ。
蕗の薹の天婦羅、ふきみそ、タラの芽、ウド……。ひと冬を雪の下で耐えた、コイツラの美味いこと。
湖北の山を歩くも良し、湖にボートを浮かべ、ブラックバス狙うも良し、今の季節ならスキーだね。
とにかく、アウトドアの楽しみには、最適な立地条件に恵まれているペンションではある。


趣味人倶楽部その2

2010年12月23日 | 詩歌・歳時記


「趣味人倶楽部」のなかの「昭和歌謡」というコミュニティは、
昭和30年、40年代の歌謡曲を語り合おうという趣旨である。
管理人の玉置せましと言うお人は、ニックネームも可笑しいが、もの凄いひとであった。
なんと、集めた歌謡曲のレコードの数、2万枚!! そのせいで家の床が抜けて、転居したそうな。
コレクションを保管するために、別にもう一軒借りているとか。
そして、あの頃の歌謡界の知識の幅の広さは半端ではなかった。

丁度、ご三家特集の最後に、西郷さんのトピックが始まり、訳解らずに即会員になって、
西郷さんを語りまくった。今まで彼の話をする相手には、ただの一人も巡り会ったことがないのだ。
ところが、超ファンでなければ知らない事もご存じで、驚き、呆れ、感動的ですらあった。
何か一曲取り上げて語ると、30分もしない内に誰かがYouTubeへのリンクを張り付けてくれる。
歌謡曲好きには、応えられないコミュニティである。

西郷さんのレコードで、唯一持っていない、そればかりか一度も聞いたことのない歌
「ペダルに生きるやつ」を聴くこともできたんだ。ひょんな事からそのレコードを、通販で手に入れた。
まったく、幸せな心持ちにさせてくれる場所なのだ。

しかし西郷さんの特集が終われば、居場所がなくなる。
トピックを立てる名人、よっしーさんを紹介してもらい、歌謡炉端焼き「お寄り亭」を開店した。
彼が店長、フレンドの魔女さんがママ、私は酔いどれの老詩人という役回りである。
300余りコメントがよせられ、大盛況であった。みんなが青春時代を懐かしみ、
さまざまな歌謡曲が語られた。珍しいレコード・ジャケットをアップしてくれる人、
地方の名物料理の写真を披露してくれる人。もう、入り浸りである。
店長のよっしーさんのコレクションも、玉置せましさんには及ばぬものの、実に膨大である。
その文章も誠実をきわめ、気持ちの良いお方である。

「趣味人倶楽部」には、また、写真投稿の欄があり、
生まれ故郷の富山県、雨晴し海岸の素晴らしい風景をアップする人がいて、いつも見惚れている。

今度はどんな人と巡り会えるか?興味津々である。
まだまだ、さまざまな楽しみが隠されているような「趣味人倶楽部」である。

趣味人倶楽部その1

2010年12月18日 | 詩歌・歳時記
ある日突然、カナダからの手紙、ならぬ、東京の従妹から一台のパソコンが送られてきた。
「オークションで手に入れたから、これで自分にメールを送れ」と、
半ば強制的、かつ、愛情に満ちたお言葉である。ひとつ年下の実の妹よ、のような素敵なやつなのだ。

業者に、ねがい、依頼して、初期設定をしてもらいパソコン・ライフの始めからもう一度である。
今にして思えば、設定費用がもったいなかった、とつくづく悔やむ。
無線ランとスーとミキでプリンターと繋ぐのも、今ではこんなに簡単に出来るようになったのに。
とりあえず指南書を買い込み勉強する。一歩進んで二歩下がり、365歩のマーチ口ずさみながら、
少しずつマスターしていった。50の手習いという訳である。
ついて来るかい、と言うパソコンに、君こそ我が命ってなもんや三度笠である。
インターネット漂流、さすらいの繰り返しに、少し飽きてきた頃、このブログを始める事にした。

「湖の子守唄」は、西郷さんの名曲「海の子守唄」からいただいた。
当初は文の合間に短歌、俳句を挿入していたが、何かもの足りない。
そんな折り、「趣味人倶楽部」というサイトを知り、早速、入会。
以来、短歌、俳句、詩を連載している。最初の目的は、同じレベルで短歌が語り合える、
男の歌人を見つけることだったのだが、残念ながら未だ、ふれあい、出会えない。

まぁ実にさまざまの人がいる。現実社会とまったくおんなじである。
一、二時間を仮想空間に遊び、仮面舞踏会を楽しみ、憩い、明日への活力とするのだろう。
ここでは、誰もが、若い二人になるようだ。青春時代を、あの素晴らしい愛をもう一度、って訳だ。
面白い人のページに遭遇した時は、「伝言板」に書き込み、発信する。まず返事はもらえるものだ。
何度かのやり取りをして、もっと長い会話がしたいと思う時には、「マイ・フレンド」の申請をする。
そうすると、ふたりだけの「ミニ・メール」が使えるのである。
面白いことに、男同士では伝言のやり取りは長続きしないようだ。
同じ趣味にどっぷり浸かっているもの同士はまた別だが。

「趣味人倶楽部」のなかに、個人が開いたコミュニティがたくさん存在する。
映画は映画館で見る会、吉田拓郎の会、信州を愛する会……多種多様だ。
「昭和歌謡」というコミュニティがあり、覗いてみると、西郷輝彦特集が始まったばかりであった。
即、入会。
管理人の名前が、なんと、「玉置せまし」である!!

猛獣狩りゲーム

2010年12月13日 | 詩歌・歳時記
子供の頃の遊び道具は、ほとんどが手作りだった。お金で買うなんて発想はなかった。
ポケットにはいつも、小刀「肥後の守」が忍ばせてあった。
手頃な竹があれば、真っ二つに割って、時間をかけて削りあげて弓を作った。
矢は篠竹を削って、先端に釘を埋め込んだりした。時にはBB弾を仕込んだりもした。
蒲鉾板があればヨットだ。真ん中に割りばしおったてて、帆をこしらえる。

何度、指を切った事だろう。
ほとばしるわが血の赤さに、刃物の扱い方、心身の痛みを心得ていったのだ。
野っぱらが遊びの主戦場だった。

雨が降りゃァ、家の中でも手作りの紙相撲に熱中した。紙の土俵をトントン叩くのだ。
安念山、北の洋、信夫山なんて、紙の相撲さんの顔を、何十年たっても忘れないものだ。
菓子の段ボールの箱が貴重品だった。箱を見るたび、遊びの発想が浮かぶのが嬉しかった。

正方形の箱が手に入れば、待ってましたとばかりに野球盤を作った。外野フェンスは紙を
まあるく貼り廻す。スコアボード板なども設置。野手の小さな人形を立たせる。
小さな木のバットでベアリングの球を弾く。
センター後方に小さな穴を付けておく。即ちホームラン。
野手の間にヒットの穴、野手の周りには大きめの穴、アウト・ゾーンである。

後年、エポック社から野球盤が出た時は、その豪華さに羨望の眼差しを投げかけたものだ。
磁石を動かし、カーブ、シュートまで投げられる。バットはバネ式である。
あまつさえ、ホームベースの手前に開閉式の穴があり、消える魔球と言う訳だ。
少年の創意工夫の限界を、しみじみと悟ったものだ。

サイコロのゲームもいくつか作った。そのひとつ、「猛獣狩りゲーム」。
ボール紙の四隅に出発地、そこから道が四方へ伸びている。全体がジャングルである。
随所に5センチ角の厚紙が伏せて置かれている。

プレイヤーは、即ち私と歳の離れた弟、妹、4人であるが、
サイコロ振ってそこへ到着すると、今一度サイコロを振り、胸を躍らせてカードを表にする。
そこには、ライオンや虎、オオカミやゴリラなどの絵と10点から1点までの表示と、
ゲットできるサイコロの目が書いてある。
その目と振った目が合わなければ、名誉の負傷で、二ヵ所の「野戦病院」へ行って、
10点のライオンなら3回休みである。表になった動物カードはそのままにしておく。

高得点の者が安全策を取って、1点のうさぎなどを狙っても、
たったひとつの無い目を出して、病院送りってこともあるのだ。
人生何が起きるか解らない。そんな駆け引きも子供心におもしろかった。

今もまだ、健在であるが、角は丸くなり、彩色した色も褪せ、年期ものになってしまった。
二人の子供達も嬉々として遊んでくれたし、弟や妹の子供達も、興じてくれた。
作者冥利に尽きる「猛獣狩りゲーム」である。

キャンプ場の朝

2010年12月08日 | 詩歌・歳時記
テントの中の朝の目覚めはしごく快適だ。朝日を受けて、テント内が淡いみどりの光につつまれる。
南海ホークスゆかりのグリーンが好きで、その緑色にこだわった余慶だった。
先ず、顔を洗う。携帯ストーブに火を入れて、お湯を沸かす。
水は滑川市の「アクアポケット」 で、汲んできた富山湾の海洋深層水だ。
ドリップ式の珈琲パックに、お湯を注ぐ。
椅子に深々座って、漁を終えて漁港へ帰る船の白い影を見るともなく、眺める。
ふっと、一句がごく自然に浮かぶ、たゆたいのひととき。朝の潮風が頬をなぶってゆく。

或いは、谷の湧水を沸かして、小鳥の鳴き声を聞きつつ、高原を吹きわたる風の語らいを楽しみ、
珈琲を飲む。31文字がすらすらと湧いてくる、時の流れを捕まえた、充実感に満たされる一瞬だ。

キャンプ場の朝の行動は、とにもかくにもゆったりを旨とする。
その内に、夜露に濡れたフライシートがすっかりと乾くのだ。フライシートを長方形に折り畳む。
テント内をかたずけた後は、やおらテントをひっくり返し、底を朝日に向けてやる。
そして、朝食。二杯目の珈琲を入れる。 バターロール二個ほど、それに夕べの残りのチーズ一かけ。
昼飯に処の名物料理を食わねばならぬ。その頃には、短歌と俳句が3つ、4つはものに成っている。

太陽が上がりきって、煮炊きを始めた隣の家族連れを横目に、テントをたたむ。
前に付けた折り目を外して、両膝を滑らしながら、空気を抜いてゆく。きつく巻いてゆき、
更にその上からフライシート巻きつけ、紐で縛れば収納完了。
フレームは1メートルのアルミパイプの中を丈夫なゴム紐で、つないである。
ポキポキ折ってゆくだけ、いたって簡単至極だ。

そして、出発。来た時とまったく同じ状態に戻して、キャンプ場を後にする。