湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

湖北の義経 ②

2010年06月30日 | 詩歌・歳時記
戦後まもなく、中世史家の松本新八郎という人が、
この山本義経こそが、平泉からひそかに上京した、若き日の九郎義経である、との
大胆な仮説を発表して、学会に波紋を巻き起こしたそうである。

          いにしへを恋ふらむ鳥よ
          山鳩の
          湖北に鳴けば花は散るらん

だが、そう考えると義経についての数々の疑念が、解きほぎされることも事実なのだ。
例えば、山国育ちであるはずの義経の、瀬戸内海での海戦の見事さ。
宇治川では、木曾義仲を敗り、一の谷の奇襲などは、ゲリラ戦術に長けていなければ、
とうてい叶わないはずだ。

同一人物説が間違いであっても、史上に現れる以前に、義経は
この湖北の山本城に身を寄せ、琵琶湖を教材に、山本義経から戦術の特訓を受け、、
伊吹の峰に明日を夢見る、多感な少年時代をすごしたと想像すると、妙に楽しくなってくる。

          近江野は小谷かくして走り梅雨
          
          デジカメを取り出す間なし鴨わたり

湖岸をさらに北西に回りこんだ所には、京からの逃走中に隠れ潜んだと伝わる
岩穴がある。この悲劇の若武者が、湖北とのかくも深い関わりがあった、と知るとき、
詩心、歌心、おおいに掻きたてられるというものだ。

余呉川の河口にのぼってくる、小鮎のなかに、時々、背中に二筋、三筋の
紅色の糸を散らせた鮎が、見つかるそうだ。
静への熱い想いがのり移った、九郎どのの紅の吐心であろうか。

湖北の義経 ①

2010年06月28日 | 詩歌・歳時記
湖北路を北上して行くと、沖にぽっかりと浮かぶ、
お椀をふたつかぶせたような竹生島が、もっともま近に見えるあたりに
尾上の漁港がある。

この漁村を抱きかかえるように、平地にひとつだけ、取って据え置いたようにそびえ立つ山が、
その昔、源義経が城を築き、打倒・平家の本拠地とした、山本山である。

          梅雨空へ
          掲げる白のはや錆びて
          愁いぞながし朴の木の花

この地でかの義経は、越前から京の都へ運ばれる、新鮮な魚介類などの運上物を略奪し、
また湖上を駆けては、反平家のゲリラ戦を展開、比叡山の僧兵と応呼して、
遠く鎌倉の頼朝の再起を、今や遅しと待ったという。

「えっ、ちょっと待って、おかしい?」というあなた。 
あなたは歴史にお詳しい、でござるよ。この義経は牛若丸、のちの九郎判官ではもちろんない。
だが、始祖を同じくする近江源氏、山本兵衛尉義経である。

同じ時期に、源義経という名の武将が二人いたことも面白いが、
当時の歴史年表を見てみると、実に妙なことがあるのだ。 

          水運の名残りを語る
          丸子船
          湖のひろさの帆柱の丈

牛若丸が平泉に行った、ということには証するものか゜不在とか。黄瀬川の兄弟対面の
時期から、初めてその名が登場する。
それ以前に、山本義経の方は「吾妻鏡」に、佐渡へ流罪になったとか、名がある、という。

そして、御曹司義経が活躍する時期には、山本義経は空白。
二人の名が登場する時期が、見事なまでに区分されている。

          幾重ねみどりの岬
          いろを変へ
          びわ湖最北波の静けさ
                                                    「つづく」

            

丹生川は僕の先生

2010年06月25日 | 詩歌・歳時記
川風が心地よい。
石のぬくみを尻に感じて、振り込むたびに釣れてくるのは、あぶらはや。
ここら辺では、べらこと呼んでいる。

初夏の丹生川である。



 上丹生には、タカハヤが多く、下丹生ではもっぱらコイツが多く、立派に棲み分けてる。
仕掛けは極小、極細、尺上の虹鱒でも掛かったひには、あえなく糸はプッツリ

以前ならおおわらわで、太い仕掛けに替え、もう一度狙うところだが……。
ウィスキーゴクリと一口。煙草いっぷく、再びベラコと遊ぶ。
   
          引き強し魚
          流心へ逃れんと
          弓なりの竿立てて抗へ

餌はクロカワ虫。
川に立ちこみ、ひっくり返した石の裏側に
へばりついた巣のなかに、うごめいているのが成虫。こいつは虹鱒用。
まだ幼い黒くて細いやつが、湿らせたティッシュにのせてある。




やがてふ化の季節、日暮れ時ともなると、カゲロウの大群が、命の儚さをただよわせて、
川上へ舞うように飛んでゆく。

          二タ刻で死すかげろうの
          群れて舞う
          川面に霧は下流より湧く


最上流の水源地の水を取り込んでいるのが、
醒ヶ井養鱒場。東洋一の規模だ。

そこから宗谷川、丹生川、天の川と名を変えて、琵琶湖へ注ぐ。

最近はめっきりと水量が減ってしまった。山の保水力が減少してしまったからだ。
子供の頃は深い淵があり、飛び込んでは、
水しぶき高く上げたことも、もう帰らぬ夢の世界だ。

                     

盛夏になっても、川遊びの子供の姿を見かけない。親が許さないのだろう。嘆かわしい限りだ。
自然界での生の営みを通して、川から多くのことを学んだ。
この丹生川も、それらの川のうちの一つである。