湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

おかん・・・・・詩

2011年12月26日 | 詩歌・歳時記

               醒ヶ井・地蔵川 

      「きれいな若葉やなぁ」と

      畑仕事の腰に手を当てて  おかんは、一本杉のあたりを見やはる

      額のしわには 僕たちの親不孝が刻まれて

      おかんの影が池にゆれてる

      膝のあたりでパクパクやってるんは 僕たち兄弟のような虹鱒の稚魚だ

                            

      苗を植えては地べたの神に 一心に祈る

      それがおかんの農業  大秘訣なんやて

      親元で借りてる めめんかすほどの畑かて

      村一番の大とまと 村一番の大すいか

      化学肥料を使わんといて そりゃア不思議と、隣のおばはん

 

      そやけど 僕たちだけは

      おかんよ 信じてるで

      一鍬ごとにこめてはる おかんの真心

      無にせえへんで これからの人生に

                        

      「目に沁みるようやなぁ」 と

      めっきり弱った両の眼 しばたいて

      おかんは帰郷の息子たちに

      豆を採る

  


湖北の虹

2011年12月20日 | 詩歌・歳時記

俳句の歳時記には 「虹」 は夏に分類されている。

陰暦と陽暦の違い、地方の南北の違い・・・・さまざまな矛盾をかかえた「歳時記」なのだが、

不思議なことに、ここ湖北では、虹は時雨時のものだ。 

                           

琵琶湖の北から南へ架かる、2連の虹の素晴らしさは、筆舌に尽くしがたいものだ。

あるいは、小谷山の麓から伊吹へ架かる、淡くはかなげな虹の愛しさ・・・・・

          大いなる湖水のうねり

     おのずから

     群れ浮く鴨は波にしたがふ

秋から冬への湖北地方への、つかのまの豪華な、そしてつつましやかな天地の

賜物といえようか。 湖北に暮らし、詩歌を生きがいとする者にとって、

何よりの宝物ではある。  

      晩秋の

      おどろき易き水鳥は

      湖に潜きてあきることなし

 

      初時雨

      湖北の空のなほ北に

      弧もたほやかに朝の虹たつ

                   


泉神社 ・ 湧水

2011年12月14日 | 詩歌・歳時記

                

伊吹山の麓には、名水として名高い三つの湧水がある。 

湧水量が一番多いのが、大清水の村にある「泉神社・湧水」である。

          太古より湧きつぐ水や蔦紅葉

          名水で沸かす珈琲山時雨

                       

            

岐阜や名古屋から車を連ね、大量のポリタンク持参で、汲みにくる人々は絶えない。

夏は冷たく、冬暖かい・・・・実に美味い水であることだ。

          山霧の晴れて師走の山となり

          哀号とすさぶ木枯らし空をゆく

                          

             大清水の村の道 

          風を呼び風に呼ばるる老ひすすき

          水脈ひいて鴨ゆく水面紅葉映へ                                  


今年の、晩秋・・・・・

2011年12月08日 | 詩歌・歳時記

                  

今年くらい、枯れ葉、落葉の切なさが身に沁みる晩秋はないようだ。

私もいよいよ冬の世代に突入したのかな。 雑木山の赤、茶色が胸に迫る。

                        

          哀号と荒ぶ木枯らし空をゆく

「哀号」とは、朝鮮の人々の、運命や生活の呻きに、つい口をつく嘆きの言葉だ。

        

          志と詩と死おのずと散りぬ枯れ葉かな

野心に燃えた若き日、静かな諦観に肩を落とした中年の日々、そして初老の今に、

夢の炎は消えず、燃えさかっている。 あと1枚、レコードを出さずにはおれない。

          朴枯れ葉生あるごとく舞ひて散る

                      

          村と邑つなぐ峠の時雨かな

          虹たちて湖北に冬はきたりけり

            


彦根・埋木舎

2011年12月02日 | 詩歌・歳時記

 高校時代、朝は東海道線の醒ヶ井駅

から米原へ。近江鉄道に乗り換えて「彦根口」駅で下車し、すぐ間近の学校に登校したのだが、

下校時は、毎日芹川堤を歩き、彦根城内を巡り、あちこちと寄り道しながら彦根駅へ向かった。

                       

内堀に沿って、先年、映画「武士の一分」のロケ地ともなったのが、埋木舎(うもれぎのや)

である。 彦根藩井伊家では、やがて藩主となる世子以外は、養子に行くか、寺に入るのが

決まりであった。     

          石蕗の花むかし美し彦根かな

          大老の苦き若き日初時雨           

彦根藩主の14男として生まれた、井伊直弼が15年の長き間、住み暮らし、

「世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」と詠み、    

 一生を300俵の    

捨て扶持の部屋住みの身を、後に腹心となる長野主膳に国学を学び、禅、儒学、洋学、

さらに書、絵、和歌のほか、剣術、居合い、砲術、乗馬、茶の湯など多数の趣味に没頭し、

世捨て人の諦念を抱きつつも、苦悩と屈託の多い青春を送ったのである。

                           

          古きものゆかしく残る

          彦根の地

          千両の実の朱色愛しき

 

          許されて

          直弼公のお居間より眺める

          庭の石蕗の花