湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

息子への、遺言。

2012年12月27日 | 詩歌・歳時記

                

               ・・・ 父が死んだら ・・・

① 医師に「死亡診断書」を書いてもらう。

② 米原市役所で「埋葬許可証」の交付を受ける。二十四時間受付可能。

③ 「ソニア ホール2 近江」TEL 0000-0000-00へ連絡し、

  父の「特殊な」考えを、係員に説明し、説得すること。

  通夜、葬儀のたぐいは、ノー・サンキュウだ。

  1番安価な棺を用意。霊柩車=マイクロバスにて「こもれび苑」にて、とにかく、

  死後24時間を過ぎたなら、ボクの遺体を焼いておくれ。  

  その際、骨壷・戒名・棺を覆う布・・・・金のかかることは、一切無用だ。

④ 時間があるならば、「アヤハ・ディオ」で、板切れを購入し、棺おけを作れ。

  母の棺は、最低のクラスで6万もした。 燃やしてしまうものに無駄な金をかけるな。

⑤ 僧りょうは呼ぶな。骨壷も小さなバケツで代用しておくれ。

           

⑥ 君のアカペラで「君だけを」「十七才のこの胸に」を歌ってくれれば、満足だよ。

   仏や神は、弱い人間が作り出した「幻想」である。あの世などあるはずがない。

   「たましい」「霊魂」があるとすれば、死者をなつかしむ者の心にこそ息づくものだよ。

 

   焼かれたお骨というものは、「物質」でしかないのだ。

   骨はロマン的には、魚津の海に散骨してほしいけれど、面倒くさけりゃ、

   天の川か琵琶湖へ捨てておくれ。 ただし、金槌で砕いて粉状態にすること。

   骨のまま、漁師の網にでも引っかかったら、やっかいな犯罪の捜査が始まるからね。

⑦ テレビの台の上に、保険証・契約書・土地の権利書・・・すべての書類がある。

  君の思いのままにしておくれ。 事故死にしろ、病死にしろ・・・いくばくかの保険金を

  受け取っておくれ。 

  土地・建物の名義変更の書類のひな形は、ボクのパソコンの「ワード」に残っているよ。

  弁理師に頼めば最低5万。自分ですれば印紙代の数千円で済みます。

  この父が出来たことさ。君なら簡単に仕上げるでしょう。 プリンターは無線でつながっている。 

⑧ バッグのなかの、滋賀銀行と長浜信金とジャパン・ネット銀行と中央競馬専用のリソナ銀行の

  キャッシュ・カードの暗証番号は、すべて「0000」です。

⑨ すべて、君の思うままにしておくれ。どうしても迷ったならボクの二人の弟に相談してくれ。

  君がこの家を要らない、と思ったら・・・彦根の妹の〇〇ちゃんにあげておくれ。

⑩ 僕の息子でいてくれて、ありがとうございました。

  この文章を綴ることが、とても幸せです。

 

 いつの日にか、君が成功したならば、父の歌集・句集・詩集を出版していただけるならば、

これにまさる幸せはありません。

 

けれども、息子よ!! 君と過ごした日々が僕の最高の幸せでした。

ありがとう。  


転校生物語

2012年12月21日 | 詩歌・歳時記

            石垣の岩を割るための、鑿の跡。・・彦根城・・

小学校の母校が私には六つある。 一年生の時、土浦市の学校を一学期のたびに転校した。

二年で東京の武蔵境の境南小学校~四年の時に田無小学校~五年の半ばに日立市の水木小

学校へ。 そして、卒業式の1週間前に、滋賀の醒ヶ井小学校へ転校したのだった。

     菊活けてひとりの厨はなやげる

父はバリバリの職業軍人だった。敗戦後、南方から帰還したあと、武家の商法の謂いのとおり、

商売に失敗して、会社を転々としたのだった。

今、私はその転校物語を肯定的に捉えている。 各地に「ペン・フレンド」ができ、手紙を書く楽しみ

から、文章を綴る歓びを身につけたことは、何にもまして貴重なことであった。

       それなりに彩づく妙や雑木山

でもね、九九が言えませんのさ。特に五の段以上が・・・・。 算数の授業の途中で転校した学校

では、もうすでに九九の授業は終わっていました。 だから今も、9・7って言えない。

頭んなかで7・9と置き換えて、63とはじき出すのですよ。             

長浜・湖岸道路

簡単な漢字の読み方も自信がないのです。 難しい漢字はバッチ・グーなんですが・・・。

「世論」・・・・せろん・よろん?。  「教諭」・・・・きょうろん・きょうゆ? 

最近の政治番組で「首長」を、くびちょうと言っている。えっ? しゅちょうじゃないんかい?

ごくありふれた漢字の読み方に、声をひそめてしまいます。

       二羽の鴨水尾重なりて秋ふかむ

5回も転校を繰り返し、ひとつっ処に安住していると、尻がむずむずしてまいります。

滋賀に移住してから20年・・・・そろそろ、生まれ故郷の魚津へ転校したくなりました。


雪山遭難者は、ほっとけ!!!

2012年12月15日 | 詩歌・歳時記

少し前に「岳」という、北アルプスの遭難救助隊の活躍を描いた映画を観た。

生まれ故郷の富山の立山がロケ地になったからである。

                            

確かにネ、雪山の遭難者を救助する為に命をかけて活躍する救助隊の面々の必死さは解かる。

感動的でもあったし、手に汗握る局面のスクリーン。美しくもあった。

今年も各地で遭難者がでた。ヘリコプターが探索にあたり、地元の捜索隊が命をかけて探索する。

そんな必要がありますか? 雪山で死ぬ奴は・・・・死ねばよいのだ。

その覚悟で雪山に登っているはずである。 

雪山に登る奴らには、一切の保護は無用である。 税金の無駄遣いであることだよ。

馬鹿どもに、税金を使う必要はないのさ。  

       

ましてや、遺体を山から回収するのに、多大な費用がかかる。それは父母や肉親に重くのしかか

るのだ。雪山へ登って遭難して・・・・そんな馬鹿どもに関わるって、なんだろうね。

一切を「ほっとくべし」と、私は思う。そいつらの「命の尊厳」なんて、屑同然さ。    

今の日本人に足りないもの。 個人の自覚と、責任感だ。

戦国の世が、恋しいやね。ひとがひととして命を的に、生きていたんだぜ。


ABCブック

2012年12月09日 | 詩歌・歳時記

       

     わがひとの

     嫁ぎ暮らせし里あたり

     朝の虹たち冬はきたりぬ

就職した印刷会社を1年で辞めた。高卒と大卒の、初めからの仕事違いの決然さに絶望した。

ホワイト・カラーとブルー・カラーが最初から決められている世界、冗談じゃない。

油とインクと汗にまみれる日々は、私の本来の仕事ではない。 

大阪・四ツ橋の「世界出版社」で、絵本のセールスの仕事を見つけたのだった。

     南海の野球帽子傾けて

     吾子の投げ来る

     球のうれしさ

毎朝、マイクロ・バスで大阪の各地へ連れてゆかれ、カバンに秘めた「ABCブック」という

絵本を売って歩く商売である。この絵本に惚れたんだね。

A巻は「アップル」・・・ウイリアム・テルの物語。

B巻は「バード」・・・・・青い鳥のお話しさ。

C巻は「キャット」・・・・長靴をはいた猫、という具合でした。

絵もさ毎巻、パステル画、油絵・・・・無名の頃の岩崎ちひろの絵もあった、素敵な本でした。

     

一冊330円、それが報酬で三冊売れれば、ひと月なんとか食っていけた時代でした。

次号からは、私たちが書いた地図を頼りに、配本係りが配るというシステムでしたね。

雨が降れば、堺の大団地への上り降り。 普段は文化住宅の密集する地域へのセールスでした。

「御免ください」と玄関をあけたなら、シュミーズ1枚・・・大股開きでうたた寝している、おばはんに

めんくらったこともありました。すぐさま股間が熱くなる年頃。よくぞ、事件をおこさなかったものと

今頃安堵いたしております。 

子供たちに本を読ませたい!! 若気の至りの熱弁のすえ、奥様が契約書にハンコを押して

くださる寸前、奥の間から、夜勤から寝覚めた旦那が起きてきて

「子供に本なんか、必要ないわい」と、一喝されて・・・・悔し涙にもくれました。

     賑わひの去りし漁村や桐は実に

生きることに必死で、ひたむきに明日だけを観ていた日々。

若かったあの頃を、写真のネガのように落ち着いて振りかえらせてくれる、

「ABCブック」であることです。

 

  


嘉田由紀子の時代だぁー。

2012年12月03日 | 詩歌・歳時記

車で遠乗りをすることが、好きだった。 滋賀を中心に放射線状にあらゆる処へ行きました。

50歳を過ぎた頃から、何故かトンネルを潜り抜けるのが怖くなっていた。

地下へ斜行していくような、不気味な感覚にあわせ、対抗車線を来る車が怖い。

     

          初雪の山の頂きはるか見て

          長き試練の時を

          思えへり

今回の笹子トンネルの崩壊事故は、福島原発とまったく同じ人災である。

昭和39年、新幹線開通とともに華やかに開かれた、わが国のいけいけドンドンの成長戦略が

肉体的疲労の限界の、とどめを刺したのだ。 前兆はあったのです。阪神・淡路の大地震での

高速道路のあの瓦解!! 福島原発の建屋のあの惨めな惨状!!

        

技術力にまかせて造るだけ造り、あとのメンテナンスには労力を惜しむ・・・・これは、自民党の

驕り高ぶった政策のつけが、今頃・・・形として顕われたのである。

日本人が総懺悔し、反省しなければいけないこの時期に、絶妙のタイミングで結成された、

嘉田由紀子の「日本未来の党」は、来るべきして現れた・・・救国の団体である。

          野も山も

          枯葉のいろの深まりて 

          散るも散らぬも風にしたがふ

もう、急速な国の発展を願う「劇薬」はいらないのだ。由紀子ちゃんが提唱する「漢方薬」こそが

明日の日本を救うのである。 おだやかに、ゆっくりと・・・・足元を確かめながら、歩くことこそが、

私たちの、子や孫の世代への約束切符になるはずである、そう確信いたしますよ。