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湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

セピアの調べにのせて

2010年07月17日 | 詩歌・歳時記
ひと昔前の日本人は、つくづく佳い顔をしていると、
セピアの色もあせかけた写真を見ていて、思うことだ。

小学校の校庭に屋根付きの土俵があり、
角刈りの力士が5、6人蹲踞して、並んでいる。
後ろに立ち並ぶ紋付き袴の、村の顔役たち。
みんな顎を引き、自信に充ちた表情をしている。

     雷鳴は鈴鹿の山へ去りゆけり
     湖を大きく
     虹立つを見ゆ

或いは、これは、醒ヶ井駅の風景。
汽車の窓から身を乗り出す笑顔の軍服の青年。
母のひとつ上の兄の出征の朝の光景だ。
南方の激戦地で、遺骨も戻らず、戦死された逢ったこともない叔父の、
何の屈託もない、弾けるような笑顔。素晴らしい表情だ。

     惜春や なにもつけない コッペパン

こちらの一葉は満州の戦場でのスナップだ。
分隊長の父をまん中に、部下の兵隊、制圧された中国人、
昨日の敵は今日の友。
みんな目的意識を確かに持った、佳い顔つきだ。
広場の前には銃架が3つ、それが、激戦を物語る、唯一のものだ。

     紫陽花の
     彩をとどめて枯れいたる
     山路に風は往くや還るや

セピアの写真見ていて、強烈に感じるのは、昔の日本人の美意識と、潔さだ。
今のこの国が失ってしまった、謙虚さだ。

明治時代に生まれたかったと思う所以である。

トマトとうりん坊

2010年07月14日 | 詩歌・歳時記
山から引いた清水が、飲料水だった。
コンクリートの箱に、なみなみと注がれる冷たく、旨い湧水。
学校から帰ると、先ずは大きな柄杓でひと飲み。汗が、スゥーと引いたな。
それから、朝から浸けてあるトマトをガブリやるのが、夏の日課だった

          美しき水湧く湖北
          おのずから母なる国と
          謝して飲むべし
            
あの頃のトマトは、青臭い匂いがしてたな。
しかも、畑で真っ赤に熟したやつだもの、旨いはずだよね。
キュウリはひたすら曲がりくねり、トゲが手に痛かった。
味噌なんか塗らなくても、キュウリは彼本来の味を主張していたな。
まくわうりなんてのも浸けてあった。種あくまで多く、芳しい匂い。

そして、麦こがしと砂糖少々、水で溶いて、立ち舐めの日々。
ほのかな甘味と麦の香りが素朴な、郷愁誘う味わいだった。

湖北は至るところに、清洌な清水が湧き出ていて、
伊吹山系、鈴鹿山系に囲まれた水の豊かな土地柄ではある。

          掌で受けて谷の真清水飲むために
          たどりきし道
          わけいりし山
   
腹が減ったら、山へ一目散。
野いちご、柴ぐり、あけび。何かしらあって、腹は満たせたな。
いつしか山深くさまよっていたものだ。

ある時、イノシンの親子にでっくわした時は、一瞬に凍りついたね。
母親と何匹かの子供達。
身体の縞模様が確かに瓜にそっくりで、「うりん坊」の名前が実感できた。
が、今はそんなことに感心してる場合じゃない。
恐る恐る後退り、そのあとは一目散。後ろ振り向く余裕もなく、駈けに駈けたさ。

山道駈け降りながらも、うりん坊の可愛いらしさ、目に浮かべてさ。
一時間かけて登った山を、10分そこそこで下ったものだ。

山もまた、川と同様。
学校では決して教えてくれない、様々なことを学んだものだ。
師であり、偉大な先達であった。

          薄墨に山は沈みて
          湖北野は寂しかりしよ
          ひとつ面影

一円札の頃。

2010年07月10日 | 詩歌・歳時記
1日のおこずかいが、一円札1枚だった。
50銭銅貨なんてものが、 流通してた。遥かな幼年時代。
ところは、茨城県土浦市、さくら川での、たなご釣りの日々。

一円札握りしめて、悪童どもが出撃するのは、町に必ず一軒はあった駄菓子屋だ。

          べーごまの 角を磨くや 鳳仙花

立て付けの悪いガラス戸は開けっぱなしだったな。
梅の形に切った、障子紙がひび割れに沿って貼ってあったっけ。
ところせましと、陳列してある駄菓子類、おもちゃの類い。

          蝋ぬって わがめんこたり 法師蝉

だが、悪たれどもが目指すのは、甘納豆のくじであることだ。
大きな台紙の下半分に、甘納豆の小袋がならんでおり、上には、景品が吊ってある。
一等は金色に輝くピストルが、射幸心120%煽り立てて、デンと鎮座してあった。

     夏の陽の 二割増したる 紙芝居

悪童の「プロ」は、甘納豆が半分ほどに減ったところで、やおら、果たし状を突き出すのだった。
袋を裏返し、貼るための糊の跡が、新しいものを探すのだ。
お店だって商売だ。早々に一等、二等が当てられてしまっては、どうにもならない。

半分ほどになったところで、当たりクジを入れた袋を、初めて台紙に貼るおばちゃん。
けれど、一度もくじを引かせてもらえなかったっけ。
おばちゃんこそ、若き日の、わが母であったことだ。

     野を駈けて
     ポケットに鳴る肥後の守
     手足の傷が勲章の日々


梅花藻の町・醒ヶ井

2010年07月05日 | 詩歌・歳時記
デジブック 『梅花藻の町・醒ヶ井』

「おっかさん、あっしの生まれは、
江州、坂田の郡、「醒ヶ井」から
西へ三里、番場の宿でござんす。

「瞼の母」 で、紅涙をしぼった、
忠太郎のせりふである。

その、「醒ヶ井」の初夏、梅花藻
いまだ二分咲きなれど、
ゆっくりと、歩いて
みました。