湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

親鸞は ♪好きなんだーけど・・・

2013年07月02日 | 詩歌・歳時記

      

わが父は富山県魚津市の、浄土真宗のお寺の次男坊として生まれました。 大正2年です。

東京の学校へ行くまで、その父と兄の後を慕って、檀家をまわったりして得度こそしていませんが

坊主としての修行は重ねたようです。 経を読むその声の、素晴らしかったこと・・・。

          まぼろしのわが故郷よほたるいか

伯父が死に、跡を継いだその長男・・・即ち、私の従兄弟が死んだ跡で!!  

その息子、長男が「お寺を継がない」と言うのですよ。愕然といたしました。

ちょっ、ちょっと待てよ。 お前さんの父が系図を調べ、さかのぼって調査して、我が家は

かの旭将軍・木曾の義仲につながる末裔なんだぜ。 寺こそがよりどころではないかい?

          兄逝くや魚津の海に冬の虹

「おいっ、俺が魚津へ還る場所がなくなる、ではないか?」 

富山では有名な大企業の、えらいさんになっていて、檀家の少ない寺なんて継げるか!!

ですって。 カチーンときましたよ。 じゃー俺が寺を継ぐぜ!!

          ちちははが生きて今朝みる鹿の子百合

魚津の駅前に夏になると、魚津の市花の鹿の子百合が咲きます。 駅の前に湧く清水を飲みなが

ら立っていると、軍服を着た父が胸を張ってよぎる幻をみる気がいたしまする。

     

でもなぁー、仏教も神も信じてはいない私でおます。 しかも死体を見たら震えますよ。

だいたいが「お寺経営」というものに、否定的な私です。 

葬式に経を唱える僧侶に、金十万だの・・・誰が決めたのか?  無償が原則ですよ。

 

親鸞さんに繋がる、いいチャンスではおましたが、♪ 好きなんだけーど 黙って宝 見るように。

魚津の「私たちのお寺」は、京都の西本願寺に取り上げられてさ、その後は知りません。

けれども、父のために自分のイデオロギーを殺してでも、住職になるのもアリかな? って。

思うけれど、私の還るところは魚津のあの蜃気楼のゆれる、海の底なのですね。

 

          


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