しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

銀座の新しい顔

2010-10-10 08:29:54 | Weblog
                    

                     ウッドデッキに壁一面の緑、ここはどこでしょう



                           

                            笑顔のお地蔵様



                   

                      銀座4丁目三越新館の屋上です



                           
       
         縁起によりますとこの出世地蔵尊は、明治の初め頃三十間掘より出世したと云われています。
         当時地元の鳶職が銀座四丁目あたりの空き地に安置したところ、道行く人や近隣の信心篤い人々が、
         花やお団子を供え参詣するようになりました。

         やがてこの地蔵尊は、開運、出世、延命、商売繁盛のご利益があるというので、お堂も小屋から
         木造になり、毎月7日、18日、29日をご縁日に決まり、露天が出て賑わうようになりました。
         これが銀座八丁露天の始まりといわれています。

         波瀾曲折を経て、銀座三越が新築するにあたり屋上に移し、築地本願寺により、開眼法要が行われ
         銀座八丁の守り本尊となったそうです。

         ”ご利益を祈願して成就せざることなし”と伝えられているそうです。



                   

                      三囲神社
              墨田区向島にある三井越後屋が守護神として崇めていた歴史ある神社です
              (前回隅田川散策で紹介しました)



        
                    銀座の新しいお店は松屋にありました


                   

                     ラ・メゾン・デュ・ショコラ

                 このエクレールに惹かれて立ち寄ったのは午後のティ-タイムでした
                 ところが並んでいる人優先で、目の前で完売、並んで買うようなお菓子なのです



                   

              仕方なく、マカロンを注文、コーヒーはエスプレッソのシングル、(シングルはこんな量です)

              9月始めにオープンだったそうです、1Fの奥でした、よく行くデパートなのに知らなかった!



            

           入店時に見かけたエクレールは見あたりません



                   

               あとで調べたらフランスの有名なチョコレートショップだったようですが
               エクレール1個 651円 (1人5個まで)エクレアが651円、、、
               少し驚きました、でもあのつややかなチョコレートは食べてみたいです。

               1階フロアの一画ですから、ゆっくりお茶を楽しめる場所でもなく、
               マカロンとコーヒー2人分でかなりのお値段でした。

               「お気に入りのチョコレートサロンでゆっくり楽しんだ方がいいかしら」と
               話していた親しい友人が、今入院中なのです。

               お菓子が食べられるようになったら、このエクレールを届けたいです。


               そして三越屋上のお地蔵様に1日も早い回復を祈願してきましょう。
               
              


 


            




両国橋上流隅田川周辺散策 その弐

2010-10-08 09:01:23 | Weblog
                    広重「江戸百景」隅田川周辺探訪の続きは駒形橋からです。


                    

                  ブルーのアーチの向こうに吾妻橋橋詰めの見慣れた光景が見えます


 

        隅田川に似合う屋形船が係留されていました  その向こうの新景色スカイツリーが近くなりました


                   

                     この橋は渡りませんでした


                   

                    広重の時代から150年、様子はすっかり変わりました


                   

                       駒形堂

             東は隅田川、西は奥州街道に面して建ち、頭上に馬頭を頂き、忿怒の形相をした
             馬頭観音菩薩が祀ってあった。

             江戸時代には馬の保護神として、また旅の安全を守る神として広く崇敬を受けていた
             菩薩さまであります。 またここには浅草寺の総門があり、浅草観音を舟で参詣しにきた
             人々は、駒形堂の近くの河岸で舟を降り、総門を潜り、歩いて浅草寺に向かった。


                   

            広重の絵の中では吾妻橋の橋詰めに屋敷と森が見えます、佐竹右京太夫の中屋敷ですが
            今その付近はビール会社のビールの泡をデザインしたビルと奇妙な黄金色のオブジェを
            屋上に頂くビルの変わりました。


                   

               吾妻橋を渡り高速6号線の下を通り浅草のある台東区から墨田区に入ります


            

     吾妻橋は江戸時代隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋です、それまでは渡し船があった場所です。
     安永3年(1774)に完成した長さ84間(約150m)幅3間半(約6,5m)の橋です。

     民間人により架橋されたので、武士以外のすべての通行者から2文づつ通行料を取ったと記録に残っています。
     天明6年(1786)7月の大洪水の祭には永代橋、新大橋がことごとく流され、両国橋も大きな被害を受ける中、
     無傷で唯一残り、架橋した大工や奉行らが褒賞を賜ったといいます。

     橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれました、これは近辺で隅田川を「大川」と呼称されていたことにちなみます。
     現在の橋名「吾妻橋」と命名されたのは、明治9年(1931)架け替えが行われた時からです。
     この最後の木橋は大洪水で流失、明治20年に隅田川最初の鉄橋として再架橋されました。



 

     吾妻橋の次の橋は、東武線の橋です。少し隅田川を離れて、水門の所を通り墨田公園に入ります


                          

           墨田公園は水戸徳川家下屋敷があったところです、上屋敷は現在の小石川後楽園と
           東京ドームを含む付近に、中屋敷は現在の駒込東大農学部付近にありました。
           次の目的地はこの公園の一角にあります



 

                   本所の総鎮守 牛島神社です

          墨田区内では最も古い神社です、貞観2年(860)慈覚大師の勧進と伝えられています。
          いわれは慈覚大師が通りかかったとき、老翁が「師わが為に一宇の神社を建立せよ、
          もし国土の悩乱あらば、首に牛頭(ごず)を戴き、悪魔降伏の形相を現して、
          天下の安全の守護たらん」と託宣があったと伝えられています。


                    

                        撫で牛

                   病んでいるところを撫でれば快癒すると今も人気があります
                   友人が入院しているので代わりに悪い部分を撫でて快癒を念じました


                    

                境内からもやっぱり見えました、ここから近いですが、もう一箇所寄ります


 

     また隅田川の畔のテラスに戻りました、次の言問橋(ことといばし)が見えます、そして言問橋の少し手前の対岸に
     広重「真乳山山谷堀夜景」の絵の真乳山(まつちやま)現在は「待乳山聖天」の屋根が少し見えました。
     日を改めて行ってみましょう。


 

     隅田川を離れ、最終見学地は三囲神社(みめぐり)です

    文和年間に(1353~55)近江三井寺の僧源慶が東国を遍歴した時に、壊れかけていたこの社が弘法大師と
    縁のあるものと聞き改修しようとしたところ、土の中から白虎にまたがった老翁の像を発見しました。

    その時、白虎が現れその像の廻りを3回まわった事から、「三囲」を神社名としたと言われています。
    本殿は震災・戦災を免れ、安政期の建築と言われます。
    神社名「三囲」にあやかり、あの三井越後屋が守護神として崇めました。


                   

                 三角石鳥居  三井邸より移す、原形は京都太秦 木島神社にある


          

               歴史ある神社の趣ある境内


                   

                     どこかで見たようなライオン像

               神社境内に以前にはなかったライオン像がありました
               かつては池袋三越店頭に設置されていたもので、同店の閉店に伴い、
               三越と強い縁を持っている事から奉納されました。


                    

                     歴史ある本殿前、大輪の芙蓉の花が印象的でした





                            

                この日のすべての見学を終えて路地に出るともうスカイツリーは目の前でした


                   

               この下で「えど友」の~広重「江戸百景」周辺探訪~は解散です。

          真下から見るスカイツリーはやっぱり迫力があります、日曜日の午後、賑わっていました。
          もし広重がこの光景を見たらどんな絵になるのでしょうか。

          両国橋から言問橋まで、そして周辺の神社など、以前訪れたところばかりでしたが
          道先案内人の解説付きでの見学は知らなかった歴史や史跡など、新しい発見も多く、
          楽しい3時間半でした。

          投稿するのにあたり、広重の絵が参考に出来たらと思いました、資料にはコピーした絵が
          載せてありましたが、残念ながら今回は用意できませんでした。


          最後に隅田川の呼び名について、場所により違っていて、浅草近くでは浅草川とか宮戸川となり、
          それより下流では大川となった。
          大川端というのは普通両国橋から下流の霊岸島あたりまでの右岸を指しました。 以上資料より。

            

 


                  

           

                           
             

                     
                       
                   


 

両国橋上流隅田川周辺散策 その壱

2010-10-05 08:24:23 | Weblog
         江戸東京博物館友の会「えど友」の見学会に参加しました。
         今回は広重「江戸百景」周辺探訪の両国橋上流、隅田川周辺の散策です。

         出発は「両国橋大川ばた」絵の両国橋です。


 

      浅草橋側の標識です、たまには渡る橋ですが、通路側のこんな模様には気がつきませんでした。


                   

      両国橋ー江戸最大の火事、明暦の大火(1657)では、隅田川に橋がなかったため、10万人以上の焼死者や
      溺死者を出したと言われる、この様な惨事が起きないように幕府は寛文元年(1661)に、隅田川に橋を架け、
      さらに東西の橋詰めには火よけのための広小路を設けた。


 

       広重のころの両国橋は今より西岸で80m、東岸で70m下流にかかっていた。

       東岸の堤防の上に高速6号向島線が走る   スカイツリーの下が、今日の解散地です。


                          

         両国橋西詰、浅草橋側を両国広小路と呼び、橋ができた事による本所、深川地域の開発が進み、
         火よけ地広小路には店や、芝居などの見せ物小屋が並び、江戸いちばんの盛り場に発展した。



 

       両国橋からすぐの柳橋は、神田川が隅田川に注ぐ河口部に設けられた橋です、渡し船の往来では不便で、
       元禄11年木橋が架けられました。 名前の由来は諸説あり不明。
       
       江戸時代には隅田川の船遊び、向島への船便、特に吉原に向かう客を目当てにした船宿が集まっていた。
       そして幕末の頃から、新橋とともに花柳界として、有名な場所になりました。


 

       柳橋芸者は遊女と違い、歌や踊りなどで芸を立てることを誇りとし、プライドが高かったと言われる。



 

       隅田川テラスはこんなに整備され、気持ちのよい散歩道になっています
       
       「両国花火」絵
       八代将軍吉宗の治世に、全国的な大飢饉やコレラの流行で100万人以上に使者が出た。
       幕府はこれら死者の慰霊と疫病払いを享保17年(1732)5月28日に両国橋付近で水神祭と川瀬餓鬼会を催し、
       翌年5月28日には隅田川の川開きを行い花火を打ち上げた、これが両国川開きのはじめである。

       川開きとは、江戸市民がこの日から8月26日まで隅田川に船を浮かべて納涼が許された合図でもあった。



                   

                     蔵前橋の全景


 

        御米倉はいまの蔵前橋をほぼ中心に、川に沿い700m、2万7千900坪に広がっていた


                   

                      浅草御蔵跡の碑


 

      元和6年(1620)この付近一帯を鳥越神社の丘陵を崩した土で埋め立て、一番堀から八番堀まで
      櫛形の船着き場が設けられ、年貢米を収納する幕府の御米蔵が建てられた、蔵前の地名の由来です。
      御蔵の8本の掘り割りは大正初期までありましたが、護岸工事のため取り壊されました。



                  

        蔵前橋を渡りテラスで解説を聞く私達グループ、紫のキャップの人が、本日の先導案内人さん
        170数名が17班に分かれてそれぞれ先導案内人さんが付いて歩き、説明を受けます。
                


                  

                    次の目的地の厩橋(うまやばし)です


                  

             観光船が行き交う隅田川、手前の柵には屋形船が、説明を受けて初めて知りました


 

         「御厩河岸」(おんまやがし)の絵
      厩橋のたもとから右岸100m下流あたりに御厩河岸がありました、対岸の本所石原町との間に渡し船があり
      これを御厩河岸の渡しとといっていました。

      渡し船の渡し銭は、武士は無料、町人は2文であった。
      絵に描かれた渡し船の2人の夜鷹も往復4文の元手が必要であったようです。

                   

                    駒形橋が見えてきました

                  駒形橋から、吾妻橋を経て言問橋とその周辺は次回にします。


 



 


 

萩寺とスカイツリー

2010-10-02 07:18:40 | Weblog
             秋の長雨前線の北上に伴い、雨模様の続いた中、青空に誘われて開花が遅れていた
             萩と彼岸花を見に出かけました。
             



                     

                       慈雲山 龍眼寺(りゅうげんじ)通称萩寺
                       (応永2年(1395)良博の開基)


        
 
         布袋さまが笑顔で迎えてくれました、例年より少ないですが彼岸花も、萩もまだ見頃です


                  

                       地蔵堂も萩に囲まれ


                  

             不動堂も本堂も萩と共にありました ご本尊は「聖観世音菩薩」天台宗の寺院です


 
 
                   

                      境内の萩がある風景


 

       元禄6年(1693)以降、萩が多く植えられたそうです、その種類も多く、花が大きく美しい


       

           9月末に萩が見られ、彼岸花はまだつぼみも多く、猛暑の影響がここにもありました


       
         

          前回訪れたとき、池の周りは彼岸花でいっぱいでした、木陰に咲く一輪が愛おしく


                         

                          境内からやっぱり見えました


          

           亀戸七福神の布袋尊が祀られています 帰りもまた笑顔に見送られ萩寺を後にしました



           このお寺さんに向かうとき、バスでスカイツリーの真下を通過したのです。
           浅草通りに出ると、平行して北十間川が流れています、少し歩いてみることにしました。


        

          道路の正面に           川の向こうに             ここから墨田区の標識


        

         ひと停留場で十間橋、思いがけなく有名な橋の所に出られたのです、川面に映るスカイツリーは
         縦に撮しても入りきれなくなっていました、青空にすっくと立つ姿は壮観です


       

          ななめにしてやっと入りました、そしてクレーンが活躍する一番上はこんな感じです

          スカイツリーの建設現場はここからまだバスで2停留場先(歩ける距離ですが)
          2年前に萩寺を訪れたときはまだスカイツリーの影も形もなかったとき、
          大きく変わる景色と人の流れを感じました。