しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

待乳山聖天

2010-10-12 06:56:20 | Weblog
                 ”しょうでんさん”と親しまれている 待乳山聖天(まつちやましょうでん)
                 正式名称は「本龍院」浅草寺の子院です。

                 広重の「江戸八景」では「眞乳山と山谷掘夜景」 東岸(墨田側)から望んだ夜景で
                 解説のみでした、数日後、久し振りに出かけてみることにしました。



                    

                 小高い緑の山が眞乳山でしたが、頻発する隅田川の洪水から浅草を守るため、
                 この山の土を削り、山谷堀に日本堤を築いたため、背が低くなったといわれます。



 

    頂上の「聖天宮」 ご本尊「大歓喜天」は秘仏でお前立ちご本尊は「十一面観世音菩薩」



                   

                     歓喜地蔵尊 子育て地蔵尊として信仰されています



                   

                      舞殿



                   
 
                       築地塀
                    江戸時代の名残を留める唯一のもので全長25間(45,5m)
                    広重の錦絵にも描かれています



          

             天狗坂とそのあたりから見えるスカイツリー)実際にはもっとくっきり見えます)



                   

                  見上げると聖天宮の梁の飾りに大根と巾着、これには訳があります



                   

                     商売繁盛の象徴は巾着



                   

                     二股大根は健康と和合の象徴



        

            境内のいろいろなところで見かけます



                 

                    ここにもありました



                    

                     元禄の頃、活躍した歌人戸田茂睡の歌碑



                    

                       成就橋から庭に下ります



 

        本龍院の庭です、萩の花が残っていました



                    

                      庭の入り口ですが、ここからは入れません




                    

                     ひょうきんな人力車のお兄さんでした


            隅田川散策の時、対岸から屋根が見えた「待乳山聖天」さんは小高い丘にありました。
            かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。

            商売繁盛、無病息災、夫婦和合にご利益があることで知られ、近くの花柳界の信者も
            多かったそうです。



                     ここを訪れたのにはもう一つの目的がありました。
                     池波正太郎の生誕地碑があるのです。


                     

                       待乳山聖天公園の入り口に碑が出来ました


                     

                旧東京市浅草区聖天町61番地で1923年(大正13)に生まれた。
                昭和35年「錯乱」で直木賞を受賞
                「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛け人藤枝梅安」など時代小説の傑作を発表、
                生誕地近くの待乳山聖天、浅草周辺は作品の舞台として多く描かれています。

                この3作品は私も大ファンで、よく登場する地名は今も残り、どのあたりか
                分かりますから、古地図など見ても楽しんでいます。

                聖天さんをあとに浅草寺方面に向かいました。