しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

板橋宿 その弐

2011-10-01 16:09:23 | Weblog

                天保14年(1843)の記録によると、当時の板橋宿は573戸で
                人口は2448人、本陣1軒と脇本陣3軒が置かれ、旅籠数は
                54軒を数えたという。

                本陣のある仲宿は宿場の中心で、ここに問屋場や貫目改所が
                置かれ、宿役人が詰めていた。
        
                上宿には大木戸があり、それを囲むように商人宿や馬喰宿が
                密集していたとされる。
   
                江戸寄りの入り口に位置する平尾宿は、今ではJR板橋駅の
                駅前商店街として賑わっているが、かつては仲宿・上宿と比べて
                閑散としていたようだ。

 

 

         

             江戸時代は「縁は切ってくれるが、良縁は結んでくれる」といわれ
             庶民の信仰を集めていましたが、昭和44年再開発のあおりを受け
             現在地に新しい榎を植え祠堂も新しくしました。

             狭い場所なのでちょっとだけ覗いてみたら、「離婚できますように」とか
             「彼女と別れられますように」など絵馬に書かれていました。
             絵馬に書くのが男性が多いのに驚いた!といっている人がいました。

 

             和宮降嫁行列が迂回したといわれる「縁切榎」の榎は根本から梢まで
             菰すっぽりと隠した。

             桂離宮からの行程は
            
            文久元年(1861)10月20日 桂御所出発  午前休憩、昼食、午後休憩
            そして宿泊された場所が書かれています。
            11月14日 板橋宿に宿泊、 翌15日出発、 その日から12月11日に
            江戸城本丸に入られるまで清水屋敷となっています。

 

             もう一つ和宮下向の祭に街道沿い村落、各宿場に出された禁止事項は

            1)  公私領の別なく、通行の3日前は旅人の通行を禁止する。
            2)  往来の草深い場所は刈り込み、2日前から掃除をしておくこと。
            3)  街道の木立の枝は、日傘に触らぬように刈り込むこと。
            4)  通行時、家屋の前には盛り砂をして、水を入れた桶を置くこと。
            5)  宿場の2階家は、雨戸を閉じ、看板や暖簾は外しておくこと。
            6)  通行時は、店の土間にむしろを敷き、平伏すること。
            7)  商いものは片づけるかよしずを被せること。
            8)  旅や草鞋など軒先で売らないこと。
            9)  農家の軒先に竹木を立てかけておかないこと。
           10)  通行時、近くの寺の鐘は鳴らさないこと。
           11)  通行の2日前から鳴り物を鳴らさないこと。
           12)  通行時は、煙を立てないこと。
           13)  目障りなものはよしずやむしろで覆うこと。
           14)  男は裏手にいること。

                
                     ちょっと面白かったので載せてみました。

 

 

 

                

                   宿場を離れ土手沿いに行くことになりました
                
            石神井川沿いの桜並木は千本を超えるそうで、江戸時代から有名な
            飛鳥山まで続く桜並木は区内を代表する名所なのだそうです。

 

 

 

         

          板橋宿の東側には、加賀百万石前田家の下屋敷があっった。
          板橋の加賀藩邸は敷地約21万8000坪という広大なもので、現在の町名に
          加賀の名があるのを初めて知りました。

 

 

                

                       金沢小学校もありました

 

 

 

                

                      圧磨機圧輪記念碑 かなり大きな碑です

             この碑は大正11年(1922)陸軍省が設置。圧磨機圧輪火薬製造に
             使用した。
             下屋敷内に陸軍歩兵板橋火薬製造所として石神井川の水力によって
             火薬製造を開始、およそ30年間使用したそうです。

 

 

                     

              現在は中に入れませんが、この道にはかつてレールが引かれ
              工場内の荷物運搬のトロッコ列車が走っていたそうです。

 

 

                

                 加賀公園ですが、終戦までは陸軍火薬製造の拠点で、
                 火薬開発、燃焼実験、弾道実験など行われていました
                 下屋敷敷地内にも当時の施設があり、実験の跡が残って
                 います。(崩れている部分)

 

 

         

          石神井川に沿った歩道は風も心地よく、えど友の案内人、玉木さんの早足に
          ついて行くのもやっとでしたが、3時間半ほどの行程は知らないことばかり、
          江戸時代の板橋宿に思いを馳せて、楽しい時間でした。

 

          明治17年(1884)には上宿を火元とする大火が発生し、旧板橋宿は
          一夜のうちに灰燼と化してしまった。
          これ以降かつての宿場は、遊郭街へと変貌を遂げて行くことになる。

 

 

         *  加賀藩下屋敷範囲は、現在の加賀一・二丁目・板橋一・三・四丁目、
             仲宿の6町内にまたがる。

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (雲母舟)
2011-10-03 06:49:34
板橋の方に子供の学校があるので
何度かこの界隈を地下鉄から降りて
歩いたことがあるのですが、
歴史のある街道で、驚きました。

季節の花の咲くお寺さんなども点在し、
見所のある宿場町だったようですね。
江戸四宿、すべて歩かれたら、
面白そうですね。
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Unknown (しなこじ)
2011-10-03 09:12:30
雲母舟さん
板橋はまったく知らないところでした。
石神井川のほとり、桜の季節はいいでしょうね~
品川宿には行かれなかったのですが、また機会が有れば
参加しようと思っています。
旧跡の立て看板しかないところもありますが、
何となく想像したり、解説も丁寧で楽しい宿場歩きです。
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