10年の歳月を費やして大改修された華麗な建築の「西本願寺」
「お西さん」といわれるが、正式には浄土真宗本願寺派本願寺という
親鸞は「弟子は1人ももたず」といい、教団つくろうとしなかった
親鸞に帰依した人々が、その遺徳を偲ぶためにメモリアルのような建物として
墓所(大谷廟堂)を建て、それが寺(本願寺)へと発展し、現在のような巨大な
建造物となったのです。
龍虎殿では親鸞聖人750回忌法要が行われていました
志納をしてお詣りと特別公開の庭園など見学させていただきました
修復なった御影堂 江戸時代に再建されたものであるが、老朽化が目立っていた。
多くの法要に訪れた人達の中でこの日、比叡山から同行して帰りに立ち寄った
Yumiさんと2人でちょっと浮いていたかも知れません。
御影堂内部
内部は参拝者の目を奪うほど煌びやかで美しい、日本伝統の漆塗りや
金箔に技術が駆使され、三百数十年前の姿が再現された。
親鸞聖人の木像を安置する御影堂須弥壇
手前には黒漆で塗られた床が広がっている
3千人もの門徒が一同に集まれる御影堂は全国1千万の
門徒たちの熱い思いが結集する場である。
西本願寺の至宝が公開されていた
飛雲閣 (国宝)
金閣・銀閣とともに「京都の三名閣」と並び称される三層の楼閣
豊臣秀吉の邸宅だった聚楽第を移築したとも伝えられており、
左右非対称の変化に富んだ構造が印象的な建物でした。
特別名勝 「虎渓の庭」 中国廬山の虎渓を模したもの
唐門 (国宝)
境内南側に構える四却門、牡丹や唐獅子など実在するものから
麒麟といった空想上のものまで、様々な動物が彫刻されている。
漆塗りに極彩色の彫刻が映え、その美しさは西本願寺の数ある
建築物でも随一といわれるほどです。
樹齢約四百年の御影堂の向かいの大銀杏が芽吹きはじめていました
半世紀も前の高校の修学旅行の時に、西本願寺派の学校としましては
大広間で250人もの制服の女子学生が正座をして親鸞聖人のことなど
お話を聞いたのです。
内容はもちろん覚えていませんが”京都まで来てお寺さんで講話”
なんて思った同級生がほとんどだったでしょう。
その後の京都見学もあまり覚えていませんでした。
それから数十年経過してから京都の良さをあらためて感じる時がきて、
度々通うようになりました。
いろいろ思い出多い京都で懐かしい西本願寺拝観でした。
浄土真宗本願寺派の 「大谷本廟」に立ち寄りました。
真宗大谷派(東本願寺)の祖廟とは別のところです。
五条橋東の親鸞墓所に向かう橋
こちらも桜が満開でした
総門までの参道に親鸞聖人像がありました
総門
仏殿
覚真尼によって建てられた「大谷廟堂」はその後大谷本願寺となり、
門弟や門徒たちによって篤く守られてきた。
慶長八年(1603)徳川幕府の製作によって、親鸞が荼毘にふされた
鳥野辺の南とされる現在地に移された。
「南无阿弥陀仏」
親鸞独特の筆づかいで書かれている 「六字名号」
上下段は「無量寿経」の中の一節
親鸞聖人の誕生、出家、師との出会い、結婚など多感な青春時代を
過ごしながらも、流罪となった受難の地でもある京都。
還暦を過ぎて再び故郷に戻り、90歳で往生を遂げた京都をめぐる
「親鸞めぐり旅」 幸せなことに満開の桜が楽しめる時期でした。
今回の京都はあらためて親鸞聖人の足跡をたどる感慨深い旅でした。
流罪による越後での生活など知りたくて、越後にも出かけてみたく
なりました。
「親鸞めぐり旅」 講談社編 を参考にしました
今京都の美術館で親鸞の展覧会を開催中で沢山のお客さんが全国から来ています。
西本願寺は建築的にも凄く見所が多くて 以前 NHKの番組を見て 昔の日本建築の凄さに圧倒されたことがあります。
地震に対する対策も 昔の建築のほうが凄いことやっていたようですね。
こんにちわ
3日間の京都旅行でしたが、後々までいろいろ楽しめました。
「親鸞めぐり旅」もよい思い出になります。
展覧会の開催は岡崎を通りかかった時に知りました、時間不足で通過してしまい残念でした。
西本願寺のことは、「貴重な建築や書画を数多く所蔵する、我が国の建築界や
美術界にとって宝のような存在でもある」と書かれてありました。
この時は750年忌法要で人が多く、お堂内は見学できませんでした。
次の機会にゆっくり見せていただきましょう。
やっぱり京都はいいですね~。
15年ほど前、夢中で京都に通っていた頃、訪れたお寺さんを数えましたら
百ヵ寺を越えていました、また巡りたくなりました。
トシさんコメントをありがとうございました、また京都に行きます。