3月19日の気温は25度にもなり、上野の桜はもう3分咲きほどになっていました
間もなくこの桜の木の下は賑やかななることでしょう
かわいい散歩の列も見かけました
2月に国立西洋美術館研究員の方の、エル・グレコ展を
”より楽しく見るために”という講演会に参加していたのです。
上野の「東京都美術館」
この日の目的地はこちらでした
日本では25年ぶりとなるエル・グレコ大回顧展
没後400年を迎えるスペイン絵画の巨匠の回顧展です。
プラド美術館、ボストン美術館、トレドの美術館など
世界から集まった油絵とテンペラ画51点を展示。
第Ⅰ章 スペイン・トレドで人気画家として活躍していたころ
白テンの毛皮をまとう貴婦人 (1577-90年頃)
内縁の妻を描いたという説もある作品
一流の知識人に支えられて肖像画家としてかなり
成功していた。
エル・グレコはスペイン・トレドで半生を送ったが、
1541年ギリシャのクレタ島生まれ、1560年代には
独立したイコン画家として活躍していた。
(エル・グレコとはギリシャの人という意味)
Ⅰー3 見えるものと見えないもの
宗教画にあらわれる天使やキリストなど
「目に見えない世界」に属するものを
視覚芸術としていかに表現するか。
聖アンナのいる聖家族 (1590-95年頃)
エル・グレコは幼子イエス、聖母マリア、養父ヨセフの3人に聖アンナ(マリアの母)
洗礼者ヨハネ、マグダラのマリアを添えた「聖家族図」を数多く残した。
それらの画面は常に家族の愛情に表れ、この作品でも、マリアはイエスの顔を
優しくなで、ヨセフは幼子を保護するかのように左手を差し出している。
一方マリアによる授乳の場面が描かれ、背景には女性が自ら子供を育てるよう
促す人文主義的、養育論的な意図もあったといえよう。 (絵の解説より)
悔悛するマグダラのマリア (1576年頃)
キリストと出会いそれまでの放蕩な生活を悔い改めた
マグダラのマリアを表した一枚、スペインに渡る前後の
作品だそうです。
フェリペ2世の栄光 (1579-82年頃)
エル・グレコの作品の中でも最も珍しい宗教寓意。
最前景に黒衣のスペイン国王、フェリペ2世を中心として、
人々が跪き神の裁きを受けるべく天上に浮かぶIHS
~キリストの御名を表す~に祈りを捧げている。
第Ⅱ章 クレタからイタリア、そしてトレドへ
イコン画家(聖画像)として活躍していたギリシャ・クレタ島を離れ
ヴェネチィアへ渡ったのは1567年
受胎告知 (1576年頃)
ヴェネチィアからローマへ、ローマ時代の最後に描かれた作品。
グレコの作品の中でも構図や色彩、人体表現において際立った
古典的調和を見せる作品で、イタリア時代の画業の総決算とも
いえる主要作品である。
1576年スペインに渡り、翌年トレドに移住する。
トレドはスペインの古都で、カトリック教会の中心地です。
第Ⅲ章 トレドで宗教画:説話と祈り
聖衣剥奪
トレド大聖堂からの注文作、「聖衣剥奪」が完成した(1579)。
キリストが十字架にかけられる直前に衣服を剥がされる姿が
描かれたものですが、大聖堂側は気に入らなかった。
前列にマリアが3人登場したり、キリストの顔より群衆の位置が
高く描かれていることなどの理由から大聖堂と支払いの額を
めぐって紛糾、訴訟に発展、最後にはグレコが提示した額の
約3分の1で受け入れた。
(実際の絵より小型の作品を出展)
1582年にスペイン国王フェリペ2世からの{聖マウリティウスの
殉教}完成するも国王はこれを気に入らず、翌年撤去などの
エピソードもあったそうです。
第Ⅳ章 近代芸術家エル・グレコの祭壇画、建築家として
福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り
(1595年頃)
無原罪のお宿り (1607-13年) 347x174
大胆な縦長の構図、聖母マリアの曲がりくねった長い体、極端な角度で
描かれた天使の翼。 見上げる人に絵全体が動いているかのような
ダイナミックな印象を与える。
聖母マリアの頭上の鳩と光は、聖霊と神の恵みとしての光を示している。
エル・グレコはこの絵を礼拝堂の高い窓の下に配し、窓から自然の光が
絵の中の神聖な光と一致するように工夫したという。
「無原のお宿り」とは、聖母マリアが母アンナの胎内に原罪を免れて宿った
とするカトリック特有の教義。
とりわけスペインでは今でも篤い信仰を集める。 ユリやバラはマリアの
純潔の象徴。
聖母マリアの足元に描かれている風景は、エル・グレコが30台半ばから
死ぬまで居を構えたトレドの町並み。
発注主のトレドの教会の意向を受けて、描きこんだ可能性もある。
エル・グレコ展を楽しく見るための講座でも、この大きな絵の解説は
ひときわ熱がこもっているようでしたから見るのが楽しみでした。
エル・グレコは教会や修道院の祭壇画を手がける際には、
祭壇を取り付ける祭壇衝立の設計も行った。
死後、一度は忘れられたエル・グレコが欧州で再評価されて
約1世紀。
ギリシャのクレタ島で生まれ、ヴェネチィアからローマ、そして
スペインのトレドに定住。
1613年 「無原罪のお宿り」完成。
1614年 トレドで死去 (73歳)