しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

エル・グレコ展

2013-03-20 20:47:57 | 美術館 博物館

       

        3月19日の気温は25度にもなり、上野の桜はもう3分咲きほどになっていました

 

        

                 間もなくこの桜の木の下は賑やかななることでしょう

 

                

                    かわいい散歩の列も見かけました

 

                  

                  2月に国立西洋美術館研究員の方の、エル・グレコ展を
                ”より楽しく見るために”という講演会に参加していたのです。

 

            

                    上野の「東京都美術館」 

 

                 

                      この日の目的地はこちらでした

                  

                  

                   日本では25年ぶりとなるエル・グレコ大回顧展
                   没後400年を迎えるスペイン絵画の巨匠の回顧展です。

                   プラド美術館、ボストン美術館、トレドの美術館など
                   世界から集まった油絵とテンペラ画51点を展示。

                

                 第Ⅰ章 スペイン・トレドで人気画家として活躍していたころ

                   

                   白テンの毛皮をまとう貴婦人 (1577-90年頃)

                     内縁の妻を描いたという説もある作品

                    一流の知識人に支えられて肖像画家としてかなり
                    成功していた。

 

                    エル・グレコはスペイン・トレドで半生を送ったが、
                    1541年ギリシャのクレタ島生まれ、1560年代には
                    独立したイコン画家として活躍していた。

                      (エル・グレコとはギリシャの人という意味)

                

                    Ⅰー3   見えるものと見えないもの

                           宗教画にあらわれる天使やキリストなど
                           「目に見えない世界」に属するものを
                           視覚芸術としていかに表現するか。

       

                聖アンナのいる聖家族   (1590-95年頃)

         エル・グレコは幼子イエス、聖母マリア、養父ヨセフの3人に聖アンナ(マリアの母)
         洗礼者ヨハネ、マグダラのマリアを添えた「聖家族図」を数多く残した。

         それらの画面は常に家族の愛情に表れ、この作品でも、マリアはイエスの顔を
         優しくなで、ヨセフは幼子を保護するかのように左手を差し出している。

         一方マリアによる授乳の場面が描かれ、背景には女性が自ら子供を育てるよう
         促す人文主義的、養育論的な意図もあったといえよう。  (絵の解説より)

 

                  

                      悔悛するマグダラのマリア  (1576年頃)
                         
                   キリストと出会いそれまでの放蕩な生活を悔い改めた
                   マグダラのマリアを表した一枚、スペインに渡る前後の
                   作品だそうです。
                   

 

                  

                     フェリペ2世の栄光    (1579-82年頃)

                    エル・グレコの作品の中でも最も珍しい宗教寓意。

                  最前景に黒衣のスペイン国王、フェリペ2世を中心として、
                  人々が跪き神の裁きを受けるべく天上に浮かぶIHS
                  ~キリストの御名を表す~に祈りを捧げている。

 

                   第Ⅱ章   クレタからイタリア、そしてトレドへ

               イコン画家(聖画像)として活躍していたギリシャ・クレタ島を離れ
               ヴェネチィアへ渡ったのは1567年

 

                  

                       受胎告知      (1576年頃)

               ヴェネチィアからローマへ、ローマ時代の最後に描かれた作品。
               グレコの作品の中でも構図や色彩、人体表現において際立った
               古典的調和を見せる作品で、イタリア時代の画業の総決算とも
               いえる主要作品である。

               1576年スペインに渡り、翌年トレドに移住する。
               トレドはスペインの古都で、カトリック教会の中心地です。

               
               

                      第Ⅲ章   トレドで宗教画:説話と祈り

 

                    

                           聖衣剥奪  

                 トレド大聖堂からの注文作、「聖衣剥奪」が完成した(1579)。

                 キリストが十字架にかけられる直前に衣服を剥がされる姿が
                 描かれたものですが、大聖堂側は気に入らなかった。

                 前列にマリアが3人登場したり、キリストの顔より群衆の位置が
                 高く描かれていることなどの理由から大聖堂と支払いの額を
                 めぐって紛糾、訴訟に発展、最後にはグレコが提示した額の
                 約3分の1で受け入れた。
                      (実際の絵より小型の作品を出展)

                 1582年にスペイン国王フェリペ2世からの{聖マウリティウスの
                 殉教}完成するも国王はこれを気に入らず、翌年撤去などの
                 エピソードもあったそうです。

 

                 第Ⅳ章    近代芸術家エル・グレコの祭壇画、建築家として

 

                    

                      福音書記者聖ヨハネのいる無原罪のお宿り
                                  (1595年頃)

 

              

                   無原罪のお宿り  (1607-13年)  347x174

              大胆な縦長の構図、聖母マリアの曲がりくねった長い体、極端な角度で
              描かれた天使の翼。  見上げる人に絵全体が動いているかのような
              ダイナミックな印象を与える。

              聖母マリアの頭上の鳩と光は、聖霊と神の恵みとしての光を示している。
              エル・グレコはこの絵を礼拝堂の高い窓の下に配し、窓から自然の光が
              絵の中の神聖な光と一致するように工夫したという。

              「無原のお宿り」とは、聖母マリアが母アンナの胎内に原罪を免れて宿った
              とするカトリック特有の教義。
              とりわけスペインでは今でも篤い信仰を集める。 ユリやバラはマリアの
              純潔の象徴。

              聖母マリアの足元に描かれている風景は、エル・グレコが30台半ばから
              死ぬまで居を構えたトレドの町並み。
              発注主のトレドの教会の意向を受けて、描きこんだ可能性もある。

              エル・グレコ展を楽しく見るための講座でも、この大きな絵の解説は
              ひときわ熱がこもっているようでしたから見るのが楽しみでした。

 

                エル・グレコは教会や修道院の祭壇画を手がける際には、
                祭壇を取り付ける祭壇衝立の設計も行った。

 

                死後、一度は忘れられたエル・グレコが欧州で再評価されて
                約1世紀。
                ギリシャのクレタ島で生まれ、ヴェネチィアからローマ、そして
                スペインのトレドに定住。
                1613年 「無原罪のお宿り」完成。
                1614年 トレドで死去 (73歳)